第6話 大聖堂の中
イグナーツは前総轄長を敬愛していた。自らも貴族の出身でありながら身分の差別などせず、腕っ節とそれ以外の突出した才を兼ね備えた騎士がいれば独自の試験を施す。それに合格した者は彼の右腕を任せたり、大きな捕り物に登用したり、さらには二団しかない騎士団の団長に昇らせた。彼が総轄長を務めた二十数年の間に、イグナーツも実力と素質を買われて騎士団長に選任されたのだ。
優等生をひいきする教師であったその半面、前任の総轄長は容赦がなかった。
腕っ節と仲間の談判のおかげで昇進した、盗賊討伐で現在離れているもう一方の団長も総轄長を嫌っていた。元々夜遊びが趣味な彼は、潔癖な総轄長とひんぱんに対立しており、部下が一騒動やらかしてもほったらかしにした。
総轄長にとっても第二騎士団長は目障りだったのに、辞職を要求できなかったのは彼の資質と、部下との篤い信頼関係のせいだ。仮に彼を首の首を切ったら第二騎士団の不満が爆発し、総轄長の椅子を蹴られるから。味方を増やせば上司一匹、怖くないと彼は影で嘲っていた。
そして総轄長が変わった今、彼は遠征地で心置きなく暴れ回っていることだろう。
二人がそれぞれの物思いから現実に返ると、荘厳な建築物が前方に姿を現しつつあった。空を貫く
手綱を持つ手に握力を込める。小走りから全速力で馬を駆けさせ、大聖堂の付近で停めた。途中で道が分からなくなり、フロレンスの後方に回っていたイグナーツも彼に
腰に
「これが
目を白黒させるイグナーツにすかさず解説を入れたフロレンス。
「詳しいな」
「一応、信者ですから」
庶民のみならず、王侯貴族の社会にもメサイア教は浸透している。福音だの祝福だの、ありがたい教えを説く職業は受けがよろしいようだ。
そのため、年に一度――――まめな人は週一で――――説教を傾聴しに礼拝する。庶民などはしょっちゅう足を運ぶ。教会は人々の心のよりどころであり、不可欠な存在なのだ。
フロレンスは大貴族ともいえるチェスティエ侯爵家の令息だ。しかし家督と爵位を継げぬ次男坊であるので、こうして騎士団に入団し、総轄長補佐にまで昇った。
彼に関する伝説は騎士団内でも語り草だ。身代金目当てで襲いかかった人さらい集団を、弱冠十五歳の時分で返り討ちにしただの、肩書のない平騎士時代の上司の横暴に堪忍袋の緒が切れて単身下剋上を果たしただの。後輩いびりが趣味な先輩の騎士に目をつけられた際、謀略でもって王立騎士団から蹴落とした。上司相手でも容赦しない性格だったからこそ騎士の信頼を集め、果てには次期総轄長に就任するのではと確実視されていたのに。
イグナーツ達の多大な期待をぶち壊したのが、外見さえ想像がつかぬ十九歳のヒヨッコ。そいつが幸福をもたらす『天使』だとは、笑わせてくれる。
再び悪い方向へ考えを進めてしまう。不快の塊がシワとなってイグナーツの眉間に浮き出る。
「イグは大聖堂に来たことなかったんだっけ?」
頼りないランプの光源でも見事に映し出された凶悪な感情に嫌でも気づいたフロレンスは、矢継ぎ早に大聖堂の内部を簡単に説明し始めた。
大聖堂を平面図に表すと、頭部だけ半円を描いた十字型であるという。玄関広間の拝廊を後端とすると、そこから十字架の横棒のように出っ張った、
ただし、至聖所を前に祈る人はほとんどおらず、聖職者専用の祈祷空間と化していた。
一般参拝者が祈り告解し教えを請う場所は、翼廊の左端に
「へえ。なかなか設備が整ってんだな」
純粋に感心するイグナーツ。怒りはいったん収まったようだ。
「でもフロー。そんななら修道女の外見ぐらい分かれよ」
至極もっともな一言をイグナーツが投げかける。フロレンスは品良い顔を瞬く間に難しくさせ、嘆息した。
「‥‥‥‥僕って結構不真面目だから。年に一回だってのに礼拝所の椅子に座ってすぐ居眠りするからなあ。女の子どころか、聖職者の顔すら覚えてない。あ、でもゴツイ人がいつも祭壇に立ってたな……」
「‥‥‥‥‥‥」
それは行く意味があるのか。
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