第1話 すべての始まり

 人が下した決定も、果たして神の御意思と呼べるのだろうか。

 すべてを動かしたのは、1枚の羊皮紙だった。



 フロレンスは今朝、宮廷の配達人から手渡された手紙に愕然と目を通す。


 本来、王立騎士団の頂点に立つ『総轄長そうかつちょう』が座る重厚な執務机。そこに代理として座っている彼は、机上にこれでもかと蓄積された書類の山々を見渡す。本当ならこの忌々しい仕事の塊は、今日届いたこの書面をもって先走り気味に片づけられるはずであった。


 王家の紋章を押した封蝋ふうろうで閉じられた文書の中身は、人事の内示である。正式な任命の前に、事務の引き継ぎなどの準備期間を考慮してこっそり伝えられるものだ。

 王国テネーレの王都に拠点を置き、人々の治安を護り、発生した事件を解決する王立騎士団。しかし騎士たちを統率する立場の総轄長が3ヶ月前に突然辞任し、空席となってしまった。おかげで総轄長本人の決裁や意見を必要とする書類の数々がたまり通しで、次位にある補佐官のフロレンスが中身を確認したり草案を練ったりしてきたる日に備えてきた。


 きたる日、とは彼自身が総轄長に昇任する日のことだ。一番上の人間がいなくなったなら、直下にいる人間がその座を継ぐのが当然だろう。補佐官を勤めて5年。26歳と若いが彼しか適任はいない。それだけの異動なのに、3ヶ月も熟考を重ねていた宮廷が不自然なのだ。


 新しい総轄長決定の知らせが来るのが先か、それとも楽に人を窒息させられそうな量の処理待ち書類が雪崩を起こすのが先か。やきもきしていた頃にようやく内示が来てフロレンスは安堵した。


 心が躍ったのは封を開ける瞬間だけ。たった数行の文面を読むなり、フロレンスは金茶の髪をぐしゃりと掻いた。指の間からさらさらと零れる。


「……ふっざけんな……!」


 思わず漏れた罵倒は、存外大きかった。怒りに任せて羊皮紙を床に叩きつける。

 3ヶ月かけて宮廷が決定した、次期総轄長の指名。


 そこにフロレンスの名はなく、ただ修道女と記されていた。

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