1062話 宣教師の尖兵
室町新御所 一色政孝
1591年冬
「この動きに便乗する者があることは知っておるか?」
「私の耳には入ってきておりませんが、この話に乗ってくるのであれば龍造寺や島津を中心とした征李派の方々でございましょうか」
「その通りである。これまで好き好んで誰も関与してこなかった派閥であったが、ここにきて日の目を浴びてきていることも事実。ここ最近は着々とその勢いを強めてきておる。このままいけば、小派閥の1つがいずれ大きな発言権を持つことになるであろう。毛利や上杉が禁中法度に賛同したことによって、親明国派の足並みがそろわなくなったことも1つやもしれぬ。そのおかげで禁中法度の方は大きく進展したのだが、政とはやはりすべてが一様に上手くいくわけでは無いのだと改めて痛感するものよ」
親明国路線か征李路線。外交の方針として対極にあるこの主張は、現在幕府で議論されている問題で最も難しいものと位置付けられている。
とは言っても親明国派は友好関係を築いている以上、得られる利が大きいことに加えて、早々に幕府に賛同した大名家が多く属していることもあってか人気のある派閥として名高いところだ。
一方で征李派に属する者たちは九州の三大名に加え、戦いに飢えた者たちが市井でも支持しているため密かに人気があるものの、すでに幕府・朝廷の中には嫌戦という空気が充満しているために毛嫌いされている。
これらの事情もあって長らく親明国派が優勢だったのだが、先日毛利家と上杉家の名代らがとある宣言をしたことを理由に足並みが揃わなくなってしまったのだ。おかげで別の議論に大きな進展があったゆえに公方様は余計悩んでおられるのであろう。
進展があったというのは崇伝殿が起草された禁中法度の実現に向けた議論である。
「最近では名代同士で言い争う姿もよく目にするようになってしまった。国家の一大事であるがゆえ、みなも白熱しておってな」
「公方様個人のお考えとしてはやはり」
「これまで何度も申した通りである。公方という役目でなかったとしても、私は征李派に属することは無いであろう。戦の場が日ノ本から外の地になっただけで、長らくかけてようやく手にした平穏を手放すだけの行為など認められるはずがない。政孝は如何考えておる」
「私も同感でございます。今川家先代当主である氏真様と、亡き織田信長様が手を結ばれたのは日ノ本の統一と、この地に住まう多くの民の安寧を実現するためでございました。日ノ本の民を戦で死なせることがないようにと、限られた時間の中で奔走されたのでございます。私はその志を継いでこの場所に立っております。ようやく実現した日ノ本の統一。これ以上、民を戦に巻き込むわけにはいきません」
「そう、か」
弱々しい言葉で振り向かれた公方様は、どこか安堵の表情を見せておられた。
俺と意見が一致したことに一息吐くことが出来た、と。おそらくそんなところではないだろうか。
しかし俺が元清殿をけしかけたために、公方様にいらぬ苦労を掛けてしまったようだ。本当は毛利家や上杉家が一体となって、親明国派に属する大名らを説得してもらいたかったのだが、どうやらそこまで上手くはいかなかった。
ゆえに仕方なく派閥では無く、一大名家として禁中法度へ賛同されたのであろう。その甲斐もあってか、すり寄ってくる公家は減ったと報告を受けたが、同時に同じ派閥にいる他の者たちらとも疎遠になってしまったと。島津や龍造寺がこの隙を見逃すはずもない。
尻ぬぐいをするべきだと、公方様の疲れ切ったお顔を見てそう判断した。
しかし今の俺に何が出来るであろうか。そんなことを考えていた時、不意に背後より視線を感じた俺はゆっくりとそちらへと目を向けた。
「責任を感じているのか、政孝よ」
「少なからず」
「であろうな。毛利をけしかけたのはおぬしであったと穂井田が吐いた」
その場におられたのは、今日は留守であると聞かされていた義任様である。
表情はひどく険しく、手には何やら書簡が握られている。
「義任よ、今日は政孝と2人で」
「知っております。ですがそうは言っておられぬ事態が起きております」
「どういうことか」
義任様は俺の脇を通り過ぎ、公方様もその尋常でない様子に何かが起きたのだとすぐさま池から離れ、我らの元へと戻ってこられた。
「何があったのだ」
「天草で何か大きな企てがあるようでございます。先日の天草入りで完全にその動きを潰したと思っておりましたが、どうやら何者かに煽動されているようで」
「それで?ともに送り込んだ者たちだけでは抑え込めぬのか」
「一揆の雰囲気ではないのでございます。詳しくはこれを」
義任様の手にあった書簡が公方様へと渡される。
俺はその様子は静かに背後から見ているだけだ。完全に置いてけぼりであるが、お二方は俺にもわかるように言葉にして話してくださるおかげで、それとなく理解することは出来た。
「…民が船を使って天草を脱していると?」
「そのようで。調べたところ、その大半が自ら出ているようでございます。この異様な動きの背後にはやはり」
「宣教師か。島津らは如何しておるのだ」
「例の話に絡むものだと認識しているのか、島津領・龍造寺領の傍を通る南蛮船に関して全て見逃していると」
「これが征李に絡むと踏んでいるのだな」
「そしてその予想はおそらく当たっております。現在、天草を脱した者たちがどこに向かっているのかは不明でございますが、1つの可能性として高山国に集められているとの報せも」
高山国は後に言うところの台湾のこと。
現在、かの地は何処の国というわけでもなく、また誰かに一帯を完璧に支配されているというわけでもない。訳アリが身を隠すには非常に便利な地とされているのだ。
呂宋貿易の船や南蛮船を襲っている船は、高山国のどこかしろに根城を持っていると言われているくらいだ。一方で宣教師らもこの島に人を入れて入植を進めているという話もある。日ノ本・明・李氏朝鮮など東アジアへの足掛かりとして利用する腹積もりなのだろう。
「高山国。もし島津らの目論見通りであれば、時期が来れば宣教師らの兵として李氏朝鮮の地へと送り込まれるのであろう。彼らの送り込む兵と称して」
けしかけてくる宣教師らは一切ダメージを負うことが無い。兵も金も現地調達しているのだから、彼らは権力者に囁けばよいだけなのだ。
「我らの敵を滅ぼせ」と。そう考えると、イングランドがこの時期に接触してきたのは日ノ本にとっても非常に大きな転機となったわけである。
なければ我らは強大な相手に従うしかなかったであろう。おそらく近く、正式にイングランドより使節が寄越される。そしてこちらからも送り込むことになる。
国家としての条約の締結。これにより西洋の列強の一角と手を結ぶことが出来るのだ。宣教師の悪魔の囁きに耳を傾ける必要もなくなる。
「とにもかくにも私は天草へ向かうことといたします。この目で状況を確認し、場合によってはあちらに派遣した幕臣らと協力して事を収める所存でございます。此度はその御許しを得るために参りました。政孝が公方様とともにいるという話を聞きましたので、今日こそが好機であると踏んで」
「…政孝がいると聞いて?それはいったいどういう」
「政孝は島津とも縁を持っていると聞いております。私は龍造寺と縁があるものの、島津とは疎遠でございますので」
「まさか政孝を天草へ同行させるというのか!?それはさすがに」
「政孝の立場は私的な公方様の相談役。名代ともなればおいそれと京から連れ出すことは出来ませぬが、政孝はそれに当てはまりません。また相談役になるにあたって、公方様のために尽力する旨の誓紙を公方様に差し出しているはず。これは幕府にとって、そして公方様にとっての一大事。あの誓いを実行するは今でございましょう」
くるりと身体を翻された義任様は、腰を下ろしている俺を見て「そうであろう」と問いかけられる。
俺は「もちろんでございます」と頷いて頭を下げた。
名代は替えがきかないが、屋敷の留守役であれば替えがきく。現在は同様の立場で幽斎殿がおられるため、国許にその旨を伝えれば一時的にでも役目の交代は出来るはずだ。
問題は俺が天草に行くことが認められるかどうか。しかし範以様であれば頷かれるであろう。
「すぐさま国許に人をやって、天草行きの承諾を得ようと思います。公方様」
「…義任が無理を言ったようであるな」
「いえ。私も天草の様子については気になっておりました。ここに宣教師が絡むのであればなおのことでございます」
「そう言ってくれるのであれば嬉しい限りよ。私からも今川家へ人をやるといたそう。ゆえに頼む。島津を説得し、ここ最近大きな動きとなっている征李派を牽制してくれ」
「かしこまりました!」
幕府を中心に日ノ本が大きな力を手に仕掛けている。
だがその力の使い道だけは決して間違ってはならない。今の日ノ本は間違いなく大きな起点に立っているのであろう。俺は自身の考えを信じて、公方様のお力になる。
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