1061話 天秤

 室町新御所 一色政孝


 1591年冬


 じきに冬を迎えようかという頃、俺は非常に私的な呼び出しを公方様より受けていた。

 今回に関しては義任様の仲介など一切なし。

 本当に、直接公方様よりお呼びがかかったのである。


「政孝よ、最近宮中がやけに騒がしくなっていることは耳にしておろう。いくら義任に余計なことに首を突っ込み過ぎぬよう釘を刺されたとしても、おぬしがただ何もしないなどあり得ぬでな」

「…少しばかり、でございますが」

「万里小路頭弁様が伏見の今川屋敷に足を運んでおられることも私は知っておる。それは自身の手足とは別に宮中の情報を探っていたのではないか?」


 公方様は俺のここ最近の動向について、やけに詳しく調べておられるようであった。たとえここでの会話が仮に義任様に漏れたとしても、嘘やごまかしが出来ないのだとあらかじめ手を打たれてしまったらしい。

 たしかに万里小路様やその前には栄衆などを使って情報を集めていた。また商人らが屋敷を訪ねてくれば、それを利用して堺や北陸方面などの情報を話してもらっていた。

 決して大事にせず、ただ自身の興味のままに調べていたにすぎない。

 ちなみに朝廷の内情に関しては、正親町三条家の問題が表沙汰になって以降は特に何もしていない。なんなら潜ませていた者もすでに撤収済み。俺が朝廷の内情を秘密裏に探っていた証拠など、もう何も出てこないはずである。

 それでも俺は公方様に正直であるべきだと判断を下す。なぜ今日になって、突如として私的な呼び出しをされたのか。

 その理由はなんとなく想像がついているゆえに。


「さすがは公方様でございます。すべてお見通しでおられましたか」

「日ノ本全土に私の目が行き届かずとも、京の中くらいはな。それはよい。何やら最近気になる話があるようではないか」


 どちらかとは言わなかった。

 俺は今、最も興味を惹かれている事態について即座に口にする。なぜならば2つ浮かんだ気になる話の内、より緊急であるのがこちらであるからだ。


「南蛮人らが堺から離れ、若狭の諸港や敦賀、三国など越前の港に船を入れていることでございましょうか」

「やはりそのことも知っていたのだな。いや、むしろそれを嗅ぎまわったゆえに釘を刺されたか」


 公方様は部屋の外にある池へと身をかがめながら、そこで飼っておられる鯉に餌を与えておられた。

 もうじき冬眠が始まるため、鯉も餌を食わなくなる。これが冬への備えと言わんばかりに、匂いに釣られた鯉らが続々と公方様のお傍に集まって来る様が廊下からも見えた。


「私がこの話を知ったのはたまたまでございました。淡海にてとある噂を耳にし、不審な点がいくつかあったため興味を惹かれたのでございます」

「近江で流れたその類の噂は1つのみ。あの件に関しては輝政にも苦労を掛けてしまったわ」


 水面がバシャバシャと泡立っているのは、投げ込まれた餌に群れているからか。

 だが餌を投げ込まれる公方様の背中は明らかに小さく見えた。これまでの頼もしい公方様の背中は、雰囲気だけの話であろうが随分と小さく…。


「何やら迷っておられるように見受けられます。私であれば何を言われたとしても聞き流すことが出来ますので、どうか想いをここで吐露してくだされ」

「たった1つの誤りであった。私は近江の民が抱える不安と、日ノ本の安寧を比べて、諸々の要素を鑑みたうえで日ノ本を危険に晒してしまったのだ」


 この懺悔ともとれる言葉の数々。

 公方様が小さく見えるのは、実際色々背負いすぎたために大きな負担としてのしかかっているのであろう。

 今の言葉もきっと近江経由で運び込まれた宣教師からの献上品に関してだと思われる。荷の一部が行方不明になったというあの噂。

 最終的には浅井家が噂を否定する旨を公表したために、噂はかろうじて落ち着きを見せた。もちろんその結論に疑問を持つ者は多く存在するが、絶対的な存在である幕府や大名家に対して、意見できる領民などいない。


「紛失した荷というのは南蛮の者たちよりもたらされた異国の火器を中心とした戦道具である」

「…やはり」

「聡明な政孝であればすでに考えが及んでいるやもしれぬが、当時行われた献上品というのは2つの意味があった。1つは今川家より報せがあった布教活動を認めた際に定めた協定に反する行いがあったことに対する詫び」


 一色水軍が呂宋で見たという奴隷貿易の実態。これは範以様に報告したうえで、範以様より公方様に報告していただいた。一介の相談役が伝えてよいような内容では無いからだ。

 また今川家としても宣教師から裏切られた形である。情報を早急に共有することで、領内における対応を改めなければならなかった。

 幕府でもこの報告を大きな問題として扱い、南蛮人ら。とりわけ宣教師らが慌てて謝罪を申し込んできたというのが1つと公方様は言われているのだ。

 実際に奴隷の売買をしているのが商人であったとしても、日ノ本での諸々の活動が認められなかった場合、直接的に被害を受けるのは宣教師である。あの者たちが必死に関係を良化させようと働きかけるのは至極当然のことだと言えるであろう。

 ならばもう1つの意味とは何なのか。


「そして南蛮の者たちと敵対する勢力、国に対する尖兵とすること」

「敵対する者たち。つまり」

「うむ。明国と李氏朝鮮である。李氏朝鮮の内情に関しては、短い期間の中で宗家より人が送られてきておる。決して良い状況とは言えず、いつ両国間の関係が終わってもおかしくはないほどであると言われておる。一方で耳の早い者たちの中では、日ノ本と南蛮人の関係が悪化していることを理由にそちら側に引き込むよう働きかける者たちもいたとのこと」


 これは俺も知らなかった話だ。

 外に出たがり、自身の妻のために発展の足掛かりを得た呂宋の地を奪いたい明国と、柵封国家だと思っていた日ノ本が明国と対等にまでなったことに不満を持っている李氏朝鮮。

 ゆえに何がどうなっても敵なのかとも思っていたが、どうやら彼らの国の中には敵の敵は味方理論で日ノ本をそちら側に巻き込もうとしていたとは。

 当然であるが俺たちが南蛮人と組んだところで大した利にはならない。使い捨ての駒として、すり潰れるまで西欧の進んだ技術の盾とされ続けるだろう。明としても日ノ本の立ち位置というのは、あまり納得のできるものでは無いと思われるゆえに。


「だがそれもあまり期待すべきでは無いのやもしれぬ。今両国内における勢いで優勢と言えるのは、日ノ本を討ち滅ぼして大洋への足掛かりとすること。また李氏朝鮮として自国の格を上げられる好機ゆえ、日ノ本はこれより先何年後かに大きな戦に巻き込まれるやもしれぬ。そしてそれを先導するのが日ノ本の民では無く」

「宣教師、ということでございますか」

「うむ。越前・若狭に船を集め始めたのも、両国を揺さぶるためのもの。幕府に火器など戦に必要な物資を献上したこと、それを大々的に知らしめたのも明国の不安と対日ノ本への敵対意識を煽るため。積み荷を紛失させたのは、幕府としてそれを受け取ることが出来なかったゆえである。それゆえとある者たちを使って、幕府に荷が届かぬように仕向けたのだ。しかしここで想定外の問題が発生した。積み荷の中身までは広まらなかったが、南蛮からの献上品という事実だけは広まってしまった。かつての怨念騒ぎもあって、ちょっとした噂が近江の民を酷く怯えさせてしまった」


 近江の民と日ノ本の安寧を天秤にかけたというのは、おそらくここの話であったのだろう。


「結局隠した荷を秘密裏に幕府に届けさせ、何事も問題は無かったと輝政に公言させたのだ。荷は間違いなく届いている。物が物であるゆえ、今は侍所に預けているが」


 公方様の後悔の念はまだ尽きぬようだ。

 俺はもう少し、静かにその言葉に耳を傾けることにした。

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