1060話 黒幕の告発と賛同者

 伏見今川屋敷 一色政孝


 1591年秋


「そうか。よく調べてくれた」

「いえ。ですがこれでようやく無念が晴らされるということでございましょうか」

「そう、だな。俺はそうだと思っている。重治がどう思っているかなど分からぬがな」


 落人自ら報告にやってきたとある調べごとの情報。俺はその内容におおむね満足していた。

 一方でもう少し詳しく聞こうと思っていたのだが、落人の視線が俺から外れた場所に向いたことで誰かが来たのだと察する。


「もう俺から何か頼むことは無いであろう。今度こそ、誠心誠意政豊に仕えよ」

「我らの出番がこれより先にあるかどうかなど分かりませぬが」

「そうだな。だがそれはお前たちだけではない。この乱世で必要とされた多くのものが不要になる時代がもう目前に来ている。俺もいずれは不要な存在となるのであろう」


 落人はわずかに首を振り、そして誰かを見たのちに姿を消した。

 この話はあまり多くの人間には聞かせられない。俺の個人的な仇討の件にしても、今後の日ノ本で不要な人間の話にしても。

 さて、落人が気にするほどの人物とはいったい誰であったのであろうかと部屋に通ずる廊下を見ていたのだが、入ってきたのは昌友であった。

 そうであるならばわざわざ落人を下げることも無かったと思いつつ、俺は昌友を部屋へと迎え入れる。


「如何した。そのように小難しい表情で」

「宮中で何やら騒ぎが起きたようで。その影響が幕府にも及んでおります。先ほど細川様が室町新御所よりお戻りになられましたが、公方様も幕臣の方々も多くが困惑されているようで。そのことについて、細川様よりご隠居様にお伺いするようにと求められました」

「そうか。すでに幕府にまで話が及んでいるのか」

「…この話、ご隠居様も耳にしておられましたか」

「先ほど落人より人があった。宮中の騒ぎとは正親町三条家のこと。帝に対する不忠を問われた騒ぎであると理解しているのだが、幽斎殿は何と申しておられた」

「まったくその通りでございます。正親町三条権中納言様と四辻権中納言様、他幾人かの公家衆が帝に対する不忠、また宮中の風紀を乱したという疑いがかけられております。すでに対象の公家衆には自邸での謹慎が申しつけられておりますが、場合によっては流罪などの重罪が言い渡されるとも」


 これが先ほど落人から聞いていた報告である。

 そして俺の個人的仇討ちの始まりだ。俺の暗殺を企てたのは正親町三条権中納言を中心とした旧一条派閥の公家たち。

 だがその罪の追及に俺の暗殺未遂は含まれていない。なぜならばすでにこちらは解決したと表面上されている事件であるからだ。今回問題視されたのは、公家間の派閥闘争の末に起きた足の引っ張り合い。

 神宮伝奏に任じられている大炊御門家や、勅勘を蒙った後に許された山科・四条・冷泉の三家、そして外戚としての地位を確立しつつある勧修寺家や現当主の近親関係にある諸家の失脚を狙ったいくつもの謀略。

 加えて幕府が約束した帝への実権返上の妨害など。これらが帝への不忠として問題視され始めたのだ。


「しかし何故このようなことに」

「いくら日和見体質であるとはいえ、自身に火の粉が降りかかればみな必死に払いのけるであろう」

「…つまり公家衆自ら重たい腰を上げたということでございますか?」

「そういうことだ。先日、頭弁様と話していてわかったことであるが、すでに勧修寺家では正親町三条家が俺の暗殺未遂に関与していることを把握しているようであった」

「な、なんと!?では」

「俺自らの手で重治の仇を討つ気はない。相手は表面上武力を持たぬ公家である上に、そういう時代でもなくなった。だから俺は俺なりのやり方で、重治の命を奪った者たちに報いを受けさせる」


 それがこれだ。

 長らく俺の命を狙ってきた者たちの情報を集め、協力者を作ってきたのはまさにこの日のためだったと言える。

 公家連中に騙される形で1人紀伊へと逃れていた四辻季満を味方として京に手引きしたことも、黒か白かわからない人物を片っ端からしらみつぶしにしていったのもこのためだ。

 おかげで時間こそかかったが、本命をピンポイントで狙うことに成功した。巻き込まれた公家は保身のために、必ず大事にしてくれると踏んでいたが、思った以上に大物が動いたおかげで、たった数日の内に幕府に影響が及ぶまでの大事となったわけだ。


「告発を行ったのは正親町三条権中納言の正室の実家に当たる勧修寺家であるが、処罰に賛同したのは関白である一条殿下に加えて、九条家や近衛家の五摂家も大半が同様の動きを見せている。またこのまま旧一条派閥に属していても得が無いと踏んだ公家衆らも同様の動きを見せていることから、ほとんど間違いなく報いを受けることにはなるだろう。だが問題は死と同等のものではないということ」


 落人からの報告は実に事細かであった。さすがは長年俺の目となり耳となってきた忍びたちである。


「帝は今回の正親町三条家の行いを、日ノ本の安寧を脅かすものであると強く非難しておられるが、公家衆への極刑は流罪と公家諸法度によって定められている。ゆえにどれだけ帝がそれ以上を望まれても、実現されることは無いということだ」


 かつて慶次と話したことがある。

 天下無双のイケメンと宮中で話題になっている山科家の若き先代当主。今回首謀者の1人として名前をあげられた四辻権中納言の四子。従五位下侍従の位にあたる猪熊教利はまだ10にもならぬものの、すでに宮中の風紀を著しく乱していると一部から疎まれている話題の問題児である。

 この男がいずれ宮中にてシャレにならない問題を起こし、それをきっかけに帝が公家諸法度の改定を求められるであろうと。

 さすればいずれ幕府が実権を帝にお返しした時に、ある程度自浄された公家衆と返還と同時に組み込まれることになるであろう武家衆によって健全な国家運営が行われるようになると期待しているのだと伝えていた。

 しかし俺の思わぬ形でこれが実現しようとしている。加えて仇討ちも同時に進むことになる。この宮中の動きを探ることこそが、栄衆に命じた俺からの最後の命であった。見事に落人はこれらの任をやりきってくれたわけである。あとは帝が、公方様が上手くやってくださるであろう。

 幕府としても朝廷内の腐敗が健全化されるのであれば、それこそ望むところであるはずなのだから、どのような形でも期待に応えようと動き出されるはずだ。

 加えて崇伝殿起草の禁中諸法度もある。

 公家衆が大きな顔をし過ぎない世を作ることは、これまでの歴史の反省から来るものであり、決して武家の傲りでは無い。


「…ご隠居様はこうなることが見えていたということでございますか」

「まぁある程度はな。これまで政から完全にはじかれていた連中が浮足立つとすれば今しかない。新たな世が作り上げられた後では、手出しなど出来ぬからな」

「いったい何年前から考えておられたのでございますか。当初は」

「重治が死んだ日からずっと考えていた。どうやれば重治の仇が討てるのかと。もちろん相手によっては実力行使もいとわなかったが、どちらにしても俺の身体では自ら仇が討てたとも思えぬ。逆に返り討ちになっていたやもしれぬ。ゆえに別のやり方を考えたのだ。特にあの頃は公家衆からの恨みを強く買っていた故、どうにかして他の公家を動かすことが出来れば、その動かす公家が有力であればあるほど悲惨な目に合わせることが出来ると踏んでいた」


 想定外であったのは九条家との縁であろうか。

 先にも言うたことであるが五摂家の大半が勧修寺家の告発と処分を求める声に賛同している。しかし大半であるのだ。

 五家の内の三家。つまり他の二家は賛同まではしなかった。あくまで中立、悪く言えば日和見の立場をとったわけである。

 だからこそ九条家を味方に引き込めたことは大きかったのだ。事実上、宮中を掌握している者たちの半分以上が支持した。ゆえに大事になった。


「まぁ幽斎殿には様子見でよいと伝えよ。こちらが何かせずとも幕府も勝手に動き始める。この動きを無視することなど公方様には出来ぬゆえな」


 明日だ。明日の内に間違いなく事が起きる。

 さすれば義任様からもお呼び出しがかかるやもしれんな。そのために俺も用意をしておくとしようか。

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