1059話 造貨所の開所

 堺造貨所 一色政孝


 1591年秋


 今川家が朝廷から正式に鎌倉府の補佐を任じられてしばらくして、ついに造貨所が始動した。

 造貨所の直接的な責任者はもとより噂されていた孫左衛門が選ばれ、今後は一切を取り仕切ることになる。

 またこれに合わせて日ノ本各地に幕府の下に新たに用意された両替所りょうがえどころなる機関による両替所りょうがえじょが置かれた。

 ここで従来使われていた銭を回収し、代わりに新たな銭を広めていく。

 また貨幣制度に関して細かい規定が定められ、今後は両替所を介さぬ金銭の売買は全面的に禁止され、犯せば日ノ本の根幹を揺るがす事態として大小の規模を問わず重罪と定めた。これは武家だろうが公家だろうが、町民だろうが誰にしても同じである。

 また徴税に関しても各大名家に収められる税は原則銭と定め、物品での納税を禁止とした。これはまぁ大名家相手に命じたものとして受け取ればよい。

 そして原則としたのは、未だ銭の計算方法を知らぬものが大半であるからだ。たとえば納税のために農民が商人に品を売るとして、その計算方法を理解している者がほとんどいないのが現状だ。こうなると損をするものが絶対に出てくる。

 商人の中にもあくどいものは絶対にいるであろうし、この政策を悪用して品を安く買おうとする連中が出て来てもおかしくはない。

 そこで該当する者は物品での納税を認めている。それを大名家が銭に変えるという手間を行うことで納税と認めたのだ。

 ただこの辺りはもう少し詰めていくことになるだろう。あまりにも穴が多いゆえに。


「しかし順調そうで安心した」

「多くの方々に協力いただきましたので。ところでよいのですか、このような場所に来られて」

「良いのだ。今の俺に出来ることなどほとんどないゆえな」

「またまた、ご冗談を。一色様に出来ぬことなど…」


 そう言いかけて、俺が本気で暇をしていることを悟ったようであった。


「時間が許す限り、ここを見て回ってくだされ。みなも天下に名の知れた一色様が熱心に見ておられると知れば、きっと喜んで仕事に気合を入れましょう」

「そうであればよいがな。そもそも職人らは俺に関心など無かろう」

「それがそうではないのでございます。なんせこの場で働く者たちの中には雑賀や国友、そしてここ堺の鍛冶職人も大勢おりますので。元々はそれぞれの地で火器を作っていたような者たちが、減る火器の依頼に嘆いてこちらに参加してくれているのでございます」

「国友はわからぬが、つまり俺を知っている者たちが多いということか」

「その通りでございます」


 孫左衛門は随分と自由な商いを制限されたというのに、それでも生き生きしているようには見えた。

 元々縦や横のしがらみがない人選が求められていた造貨所の頭取であるが、清廉さが求められる役割であるからこそ色々と雁字搦めになっているはずなのだ。しかし孫左衛門からはそういった不満は一切感じ取れなかった。

 むしろここが本来の生きる場所であったと言わんばかりに輝いているように見える。


「孫左衛門」

「なんでございましょうか、一色様」

「不自由はないか?ここ最近は家業の方に全く顔を出せていないと聞いたが」

「誰がそのようなことを言ったのかわかりませんが、この場所が実働し始めてそれなりの日数が経過した今、それなりに私は自由でございます。それに店に私がおらずとも、そちらの仕事をすることも出来ますので」


 孫左衛門の視線の先には山積みの紙があった。

 てっきりあれはこの造貨所に関するなんやかんやだと思っていたのだが、大半は末吉の店のものであったらしい。


「一色様、私は楽しくやっておりますので心配は無用でございます。ですがもしそれが顔に出ていたのであれば、今一度気を入れ直さねばならぬのやもしれませぬ」

「安心せよ。心配していた者がいただけで、孫左衛門の顔は生き生きとしておったゆえ」

「まことでございますか?そりゃぁようございました」


 ペチッと頭を叩いた孫左衛門は、ついつい生んでしまった間を嫌ってか茶を一口飲んでいた。


「ところで本日はどういった御用で?ただ造貨所の様子を見に来られたとは思えませんが」

「勘が鋭いな。実はここ最近、とあることを調べていたのだが、副将軍様に釘を刺されて身動きが取れないのだ」

「これは…。一介の商人が深入りしてよい話ではないような」

「何かをしてほしいわけではない。ただ少しばかり情報が欲しいのだ」


 俺の言葉を聞き切るよりも前に孫左衛門の身体はスーッと後ろへと寄っていた。利益を追求する商人として、何かやばい匂いを感じ取ったのかもしれない。

 しかしさすがに損をしてまで俺に協力を求めるようなつもりは微塵も無いわけで、ただ俺は孫左衛門と世間話がしたいだけである。


「そう怖がるでない。ただ少しばかり話がしたいだけだ」

「話、でございますか?」

「あぁ。最近堺で何か気になることは無いか?」

「…気になること、でございますか?それはどういった意味で」

「全てにおいて。特に南蛮人、あるいは宣教師の動きで気になることがあれば教えて欲しい」


 俺自ら動けぬ分を補うには、やはりそちらに明るい者たちから直接情報を仕入れるに限る。

 孫左衛門は持ちのよい薬を販売する商人であるから南蛮人との関わりは少ししかない。だがその分、俯瞰的な意見を聞くことが出来ると踏んだのだ。そりゃもっと踏み込んだ情報を得るのであれば、呂宋交易の諸々で縁を得た助左衛門に聞いた方が良いだろうが、あちらは自身の利に直接絡む話であるから公私混同される危険がある。

 今回に関して言えば、関係が希薄である孫左衛門の方が適当であると踏んだのだ。


「南蛮人でございますか」


 顎に手を添えて考え込む孫左衛門。

 長らくここに詰めていたため、直接堺の商業区に行くことは減ったという。それでも商人の情報網は馬鹿にできない。


「あぁ、そういえば店の者から聞いた話でございますが、少し前まで多かった損傷した南蛮船の入港は減ったと申しておりました」

「減った?それは損傷した船が減ったのか、そもそも南蛮船の入港が減ったのか」

「南蛮船自体が減っております。特に宣教師の姿は随分と少なくなったような。それはここに至るまでに一色様も感じ取られたやもしれませんが」

「…そういえばこれまでであれば、その辺りで布教活動している宣教師もよくみたものであるが、今日はさほど目に入らなかったような」

「それにおそらくでございますが、おそらく織田家の領内で唯一内陸部での活動が認められている伏見に向かう宣教師も減ったのではないかと思います」

「…すれ違う者たちの中に宣教師は少なかったような気がする」


 思い出してみればたしかにそうだ。

 あの者たちは目立つゆえ、すれ違えば記憶に残るというもの。しかし此度の堺入りの際にはほとんど見なかった。

 これが今日たまたまそういう日だったのか、あるいは何かしらの理由で減っているのか。もう少し探ってみなければならない。

 もちろん義任様には勘づかれないように。

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