1056話 回想 一色政孝と織田信長

 伏見 一色政孝


 1591年夏


「大伯父上様、あの巨大な池はなんでございましょうか」

「あれはだな、巨椋池というものだ。かつては目の前の橋などもかけられておらず、実に不便な土地であった。伏見がこれほどまでに発展していなかった頃の話よ」

「これだけ栄えている伏見がまだ発展していなかった頃…。それはいったいどれほど話なのでございましょうか」


 純粋な顔で尋ねてくる萬千代に俺は思わず吹き出してしまった。


「どれだけ前の話だと思う」

「100年以上も遡れば、それは応仁の騒乱以前の話となってしまいます。さすがにそれほど前ではないと思いますが、ですが20年から30年前となればいささか発展が早すぎるようにも…。それに父上曰く、京は何度も焼け野原になったと…」


 そう言いかけて矛盾に気が付いたようだ。

 萬千代の言ったように、京は幕府を取り巻く権力争いの中で数度の大火に巻き込まれている。そのたびに京の町は焼け落ち、何度も再興の道を歩んでいるのだ。

 だから京再興が早いのかと言われればそういうわけでもない。誰が再興に尽力するのか、それによって時の権力者が決まっていったゆえに付近の大名らが力を貸していたに過ぎない。細川であったり、六角であったり、そして三好であったりな。

 そういった事情はつい最近まで平然と起こっていた。この伏見をたった十数年で築き上げた男だ。一応将軍家とその男の協力により、以降京の町が荒れることはなくなった。

 そう、その男こそが。


「織田信長様がたった1代で伏見をこれほどまでに栄えさせられたのだ。徳様のお父上様であるな」

「なんと!?ならばこの発展はたった数年の間に出来たものということでございますか!?」

「そういうことよ。当時の信長様は幕府と適度な距離を保つため、御所のある山城北部に影響が及ばぬ場所に織田の拠点を築くことを画策されていたのだ。そこで目を付けたのが、当時はお世辞にも栄えていたとは言えない南部の伏見である。あそこに見える指月伏見城と、近くにある伏見屋敷を築き、そこを中心に城下を整備された。その中で行ったことの1つが、巨椋池とその近辺を流れる複数の河川の治水である」


 当時は凄まじい大きさの巨椋池を完全に持て余していた。旅人は池を避けるように敷かれた道を歩むため、伏見の辺りはとにかく人の通りが少なかったのだ。

 そこで淡海から流れてくる川に加えて、西にある川など。とにかく付近の地理をかみ合わせて出来たのが今の伏見を取り巻く地形である。

 これがおそらく伏見を発展させるうえでの最適解だったはずだ。それゆえにここまで商業都市として発展した。

 信長亡き後も子らがその方針を引き継いでまとめている。信長の死で揺れた伏見の民たちも安心していることであろうな。


「この橋のおかげで南からの旅人が回り道をする必要なく山城に入ることが出来るようになったのだ。おかげで人の出入りが活発になり、その分だけ京やその近辺の国に活気が出るようになった。一方で京の東にも廃れた地があったことを知っているであろうか」

「京の東、でございますか?いったいどこのことを」

「名は聞いたことがあるであろう。近江と京をつなぐ山科という地よ。かの地はかつて山城の支配者やその周辺の大名、そして宗教勢力らを巻き込んだ大乱によって荒れ果てていた。そちらを信長様や公方様が尽力されたことによって本願寺が戻り、山科の再興が始まったわけである。また織田家や将軍家と縁の深い近江守護の浅井家が山科へつながる近江の街道を整えたことで、こちらもまた人の通りが多くなった。元々人の往来はあった方ではあったのだが、誰も荒れた地に滞在しようとは思わぬゆえ、ただの道としてしか役割を果たしていなかったのだがな」


 今では山科に戻った本願寺や、その流れを汲む寺院。他にも空き地を活用する形で大名屋敷も立ち並び、町としての役割も取り戻し始めた。さすがに幕府や織田家が絡む再興事業であったため、山城においては3番目の活気を誇ると言ってよいほどのものだ。

 萬千代には帰る前に一度くらいその景色を見せてやりたいものであるが、今日は少しばかり難しいか。これから宇治川に沿って淀の関を見に行く予定であるからな。あの場所は絶対に一度見ておくべきである。

 特に市井を見たいと萬千代が思っているのであればなおのこと。


「よし、ではこのまま川を下っていくとしようか」


 宇治川の北側は信長も特に力を入れて開発した地域だ。桂川と合流する辺りまでそれは含まれており、馬車の中からただ眺めているだけでも正直面白い。

 あと、民たちがとにかく楽しそうにしている。困窮している者が一切いないというわけではないが、比較的生活に余裕のあるものが多いためか、他人同士でも助け合いの精神が異様なまでに高いのだ。

 おかげで凶悪な事件などは起きていない。この辺りは京都見廻組の巡回対象地域外であるにも関わらずな。


「ところで大伯父上様は織田様とどのようなご関係であったのでございましょうか」

「聞いておらぬのか?徳様でなくとも、信康ならば何か言っていそうなものであるが」

「父上は似た者同士であると申しておられました。ですがそれは私の聞きたいことではなく…」

「まぁそうであろうな。それはただの内面の話であるで」


 まぁあまり人のことであるから言えなかったというのが信康の本音であろうか。別に言うてくれても問題は無いのだがな。


「信長様と初めて出会ったのは、ワシの父が織田家の家臣に殺されてまだ日が経っていない頃であった」

「…それは桶狭間のことでございましょうか」

「それだ。ワシは家康からの要請を受けて久、萬千代殿の大伯母上を正室として迎え入れるために自ら岡崎城へと足を運んでいたときのこと。そこで信長様と出会った」

「お、岡崎ででございますか!?ですが何故織田様も岡崎城に」

「見物に来たそうだ。威勢のよい者がいると、どうやら信長様の耳に入ったようでな」


 本当はただ聡明な女子として名の通っていた久を嫁がせる相手が無名の男であったために興味を惹かれただけの話であるが、もうその当時の心境を話せる男はいないため、少しだけ見栄を張っておいた。

 さすれば萬千代が良い反応を見せてくれるのだ。今もまた目を輝かせながら話を聞き入っている。


「以降何かと縁があった。そして尾張と伊勢の間にある長島で発生した一向一揆に呼応して発生した東海一帯、というよりも東海西部を巻き込んだ一揆の際には当時戦力を整えた一色水軍が織田家からの要請を受けて今川家に迷惑が掛からぬ程度の共闘を果たしたのだ。かつては三河や尾張を巡って争っていた者同士であるのにな」

「大伯父上様は父を織田家に殺されたと申しておられました。なにゆえ協力することが出来たのでございますか?」

「第一にワシは父親とさほど良い関係を築けていなかったことがある。心が無いと思われるやもしれぬが、父の死の報せを聞いた時も涙は一切流れなかった。そしてもう1つ」

「…」

「当時の今川家は内から崩れかかっていた。義元公がご健在であった頃から考えれば、どこから滅亡してもおかしくはなかったのだ。ゆえに今川家の夢であった上洛を諦めなければならないような状況にあった。加えて多くの家臣らが離反した。萬千代殿の祖父もその1人であってな。だが今思えばこれが今川家の窮地を結果的に救ったのではないかと思う」


 ずっと真剣に聞いていた萬千代。特に家康が離反したという話のときは、顔を真っ青にしながらもずっと目を逸らさずに話を聞いていた。

 それだけ萬千代にとって、これは大事な話なのだと思う。


「当時はまだ尾張すらも手中に収め切れていない信長様であったが、その志は誰よりも高かった。目指すは京、つまりは上洛である。人の生とは短いものであり、背後になど気にしている暇はない。そこで今川家から離反した家康を東海に残る今川家に対する壁とすることで、自らの目を強引に西へとむけたのだ。おかげで弱っていた我らを勢いに乗っていた織田家が襲ってくるようなことは無かった。この協力関係をより強固にするために、信康のもとに徳様が送り込まれたというわけよ」


 そこからは本当にいろいろあった。

 東海一揆を機に家康は再度今川家に臣従することになったが、その際に徳様を織田家に送り返そうとしたことがあったそうだ。

 しかし信長は背後を守る者が絶対に家康である必要は無いと考えを改め、離縁の予定であった徳様をそのまま信康のもとに残した。結果としていくつもの調整を経て、水と油のような関係にあった今川家と織田家は婚姻同盟を成したのだ。家康があの時離反していなければ、桶狭間以降も織田家と小競り合いくらいは続いていたであろう。それを完全に無くしたのは家康が掌握した西三河が今川・織田両家の緩衝地域となったからだ。

 また家康離反から一揆の流れが時間稼ぎになってくれたことも1つである。


「話が大きく逸れたが、当時のワシは今川家を生き残らせるためにはより信頼できる同盟相手が必要であると考えた。西に目を向けたい信長様であれば、間違いなく信用できると踏んでのことである。義元公を失った今川家の脅威は現在の同盟相手も含まれていると踏んでおったでな」

「それはつまり」

「ワシの義父様よ。武田信玄公は上洛を目指すと同時に内陸しか持っておられなかったために海も求めておられた。しかし北信濃の制圧に苦労しており、負担を考えれば弱った今川を食う方が簡単だと考えておられた。実際武田家と手切れになる前から、そういった調略の動きは何度もあったゆえ」

「だから織田様と早急に手を結ばれたということでございますか?」

「まぁそういうことだ。信長様は美濃で起きた動乱によって生じた隙を突いて、迅速に美濃全域の制圧に乗り出されたが、美濃の東部には上洛を目指す武田家の手も伸びておった。加えて幕府も源氏の血を引く武田家の上洛を心待ちにしておったゆえ、色々と手を回されたのだ」


 かつての名門、斯波家や吉良家を巻き込む下剋上阻止の流れを作った幕府であったが、結局その動きも信長が食い破った。

 武田家は美濃入りの断念し撤退。これによって生まれた隙を今川家は上手く突き、さらに織田家からの助力も得て南信濃を制したわけである。


「織田家は西に勢力を伸ばし、今川家は同盟を切った裏切り者を制するために東に勢力を伸ばした。互いに背中を預け合うことが出来たのは、奇跡的に両者の利害が一致したからである。これに加えて軍事的な面で利害が一致した上杉家も今川・織田両家と同盟を結んだ。今川家の者たちが言うところの、新三国同盟であるな。まぁ一時、関係がこじれてしまったが、それも信長様の機転によって関係修復が絶望的にならずに済んだ」

「今川家を生き残らせるために、織田様と今川様の間を取り持たれたと」

「そういうことだ。それにワシが信長様に気に入られたのは間を取り持ったからではない。今でこそ誰もが当然のようにやっているが、当時は武家の人間が金勘定を熱心にやっていると笑われたのだ。商人にでもなればよいとな。しかし信長様もワシも同様に金を重視した。ワシは商人を優遇して領内における金の巡りを活発にし、信長様は領内の関を撤廃し、商人を領内に呼び込む政策を続けられた。たまに信長様に場を設けていただいた際には、 意見交換なども行った。御家の垣根を越えた関係を築けたのは、むしろこういったところからであると思う。あとは日ノ本統一後の理想が異様なまでに似ていたことも1つか」


 それゆえに俺が京に滞在してからは信長によく呼び出されたのだ。なんなら今川家の屋敷に顔を出すこともあった。

 あの頃はまだ元気であったな、そういえば。


「そんな話をしていたら、もう幕府と織田家が築いた関の前に来てしまったな。続きはまた話してやろう。ワシも昔話が出来て楽しいゆえ」


 萬千代も俺に言われて気が付いたようで、馬車から見える外の景色にまた釘付けであった。しかし言うても他人に近い萬千代とここまで触れ合っているが、政豊の子である鶴丸とはほとんど疎遠なのがまた問題である。

 京の治安が悪いからと京に連れてこられぬことは仕方が無いにしても、去年1年蟄居で国許に戻っていながら、屋敷を出られぬ足枷のせいでまともに様子を見ることすら出来ていない。いつか今のような昔話を聞かせてやれるのであろうか。

 とことん自分の身内とは疎遠だと改めて考えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る