1053話 宣教師の罠
室町新御所 一色政孝
1591年夏
俺はこの日、義任様にお呼び出しを受けていた。
そのため本来御所への訪問予定はなかったが、急遽駆け付けたというわけである。まぁ駆ける足は無いのだがな。
「回りくどいことは無しである。政孝よ、いったい何を嗅ぎまわっておるのだ」
「嗅ぎまわっている、でございますか?身に覚えのないことでございますが」
「嘘は止めよ。何やら叡山に人を送り込んでいよう。こちらの手の者が外からの介入を感じ取ったため、その旨が私のもとに届いておるのだ」
義任様の表情は大まじめなもので、決していつものような優しげな感情は読み取れなかった。
これは本当の警告であるのだと、直感で理解した。
しかしそこまでして隠さなければならないことがあるということ。この関係でなければ、俺は迷わず警告を無視していたことであろう。
さすがに副将軍相手にそのような暴挙をするつもりはないが。
「さすがに見張りがおりましたか。やはり調べ始める前に、義任様にお伺いを立てるべきでございました。このような形で義任様の信頼を失うべきでは無かったのでございましょう」
「…つまりこの報せの原因となったのが自身であると認めるのだな」
「おそらく私でございましょう。先日の淡海遊覧にてとある噂を耳にして、その真相を探るために人をやっておりました」
「して結果はどうであった」
「何もありませんでした。完全に無駄骨であったということでございます」
これは本当である。
あれから数日間、怪しいとされていた比叡山を中心に、荷が下ろされたという堅田やその近辺に至るまで、とにかく広い範囲で積み荷の行方について栄衆に追わせた。
しかし結果は何も得られず。
そもそも積み荷が堅田で下ろされたのかすら怪しいと報告が上がってきたため、これ以上は意味が無いと近江から栄衆を撤収させたのだ。
いずれ浅井家に従う伊賀や甲賀、蜂屋の者たちが出てくると踏んで。
しかし先に出てこられたのは義任様であった。浅井家より依頼があったのかとも思ったが、今の話を聞く感じだとそうではない。
義任様の手ごまとして比叡山を監視している者がいたのであろう。その者が栄衆の動向を察知した。そんなところか。
「これ以上、この件に関わるつもりは」
「真相を教えていただけるのであれば、素直に引き下がるのでございますが」
「出来ぬと言えば、また探りを入れるか」
「さて。それは直感に従うまででございますが」
これまでもそうであった。
まぁ今回のこの義任様の対応から見ても、何かがあることは確信できたのだが、今のやり取りからも手を出すことが相当やばいのだということもわかる。
引き際を見極めることは非常に重要なことであり、下手をすれば今の地位どころか何もかも失いかねない。
そんな気もする。これもまた直感だ。
「すでに公方様にはお伝え済みである。当初は政孝の耳に届かぬことが不幸中の幸いであると安堵していたのだが、やはりおぬしの情報収集能力の高さには驚かされるわ」
そう息を吐かれた義任様は、懐より1通の文を持ち出された。
「これは?」
「少しばかり前、私が彼杵郡と天草へ行っていたことは知っての通りである。その際に龍造寺の者と交わした書簡よ。あとは南の島へ船を出している商人より聞いた話をまとめたものもある」
受け取った俺は、今一度確認を取った後に中身を確認した。
そこに記されているのは、南蛮人の動向について。具体的に言うとポルトガル人宣教師の動向についてであった。
「例の奴隷売買の件に加え、コタローらのこともあって日ノ本は外交における方針転換を迎えておる。それは政孝も知っての通りであろう」
「はい。イングランドと国家間の盟を結ぶ話が進んでいると聞いております」
「その過程の中で、彼らが敵対する者たちへの対応が求められている。外のことにやけに詳しいおぬしであれば、容易に理解できるであろう」
「彼らとまっこうから対立している2国でございますね。そして彼らにとっては東洋と呼ばれる日ノ本やその周辺地域を巡っても、イングランドと他2国の間で緊張状態にあると」
日ノ本は他のアジア諸国と違って、国家としての関わりが求められている。植民地、入植という形ではなく、だ。
ゆえにあちらもそれなりに気を遣う立場にある。だがポルトガルやスペインといった従来の南蛮人はそれでも余裕ぶっていたはず。なんせ他の欧州列強は東洋に東・東南アジア圏に影響力を持っていなかったからだ。時間がかかっても、外とのつながりは宗教を絡めた自分たちしかいないと高をくくっていたはず。
そこに突如現れたイングランドの使節団。しかもこちらは国家として、日ノ本と盟を結ぼうとしているのだ。明らかに状況がイングランド有利に傾きつつある。そんな中で発覚した、禁止されていたはずの奴隷売買だ。
もはや少なくとも宣教師と日ノ本が友好的な態度で接することは無いだろうというところにまで事態は及んでいる。
幕府としてもイエズス会の司祭や、日ノ本での活動責任者らに抗議をしているとのこと。
そんな中でもこれであった。
「…天草の改宗した者たちが戦支度を?」
「その通りである。幕府の命をもって解散させたゆえ、二度と同じようなことはせぬであろうが、それでも我らが同地にたどり着くまでの間に、何者かによってそう仕組まれていたことは事実である。天草はそもそも島津の目がなかなか行き届かず、肥前の彼杵郡に関しては、すでに多くの地が寄進されていたために龍造寺ですら状況が把握できていなかった。幕府では寄進された土地を取り返す用意を進めているが、それよりも先にすべきことは南蛮人の意のままに動こうとする日ノ本の民を正気に戻すことであろう。そうでなければ…」
「明国と戦う上で、伴天連の尖兵として使い潰されることになりましょう」
「まさにそれを心配しているのだ。そして話を戻すが」
「…」
そこまで言われてようやく話がつながった気がした。
なぜ普段は使われぬであろう敦賀の港から荷を運び込んだのかも。
「姑息なやり方でございます」
「あれはたしかに幕府に献上される荷であったが、それはこちらが望んだものでは無い。それゆえに荷の一部が行方不明になったと聞いて、公方様も含めて安堵の息を吐いたのだ」
「しかし広がった噂がよくない方向に進展してしまったわけでございますね」
「その通りである。ようやく叡山に延暦寺を戻し、国家鎮護の役割を果たしてもらうことが出来ると。長年かけてようやくこの時が来たというのに、その叡山によからぬ噂が付きまとう。それだけで延暦寺の復興が間違いであったのではないかと言われてしまう危険があった」
浅井が騒動の幕引きを図ったのは、やはり幕府の意向があったからだった。
本来であれば望まぬ積み荷など、どこぞにいってしまえばよいと思っていた幕府も、さすがにこれを看過するわけにはいかなかったというわけだ。
だから問題なく荷物が届いたことにして、比叡山にいわくなど無いように仕向けたわけである。結局これによって南蛮からの荷が幕府に届いたと公言しなければならなくなったが、外の脅威よりも、まずは国内の脅威を取り除くところから始めなければならない。
特に延暦寺は寺院関係で留まらぬ問題であるゆえ。それこそようやく伏見宮家を説得したのに、ケチがつくのだけは避けなければならなかったのだ。
「敦賀の港では間違いなく明の商人らが幕府に届けられるという荷を目撃したことであろう。すでにあちらの国では噂になっているやもしれぬ」
見せつけるように敦賀の港に入ったのは、日ノ本にその気が無くとも明をその気にさせるため。
いくらこちらに戦う意思が無くとも、明が攻め込んでくれば戦わなければならなくなる。両国で一度でも刃を交えれば、もうそのあとは奴らの望むままの状況に持ち込めるわけだ。
日ノ本が負けると奴らが考えていないのは、日ノ本・南蛮ともに精強な水軍を有しているからである。日ノ本への上陸は何としてでも防いでくれるのであろうが、大陸での戦いでどこまで力を貸してくれるかなど分からぬ。それこそ現地で得た戦力の身の投入もあり得る。
そして両国が弱ったところでどちらも食われる危険もある。ゆえに日ノ本が置かれた状況が最悪なのだ。明が動けばなし崩し的に…。
「政孝には色々抱えこませ過ぎている。それゆえに話をしなかったのだ。これは幕府の詰めの甘さが招いた失態である。こちらで解決すべきであるとな。それにすでに朝廷も動いておる。近く明へ使節が派遣されることであろう。危険な旅になるであろうが」
「…」
「しかしこうなった限りは協力してもらわねばならぬ。これはすべて果てなき探求心が生んだものであるゆえ、せいぜい後悔して我らに協力してもらいたい」
「端からそのつもりでございました。それにいくつかの問題は解決に向かっておりますので、その分の力をこちらに割かせていただきます」
しかし南蛮人な。イングランドの関係が順調であるから、随分と焦っているのであろう。
まぁこれまでの態度が招いた結果である。それに布教活動を許す際の約束まで破ったのだから完全なる自業自得であろう。
あとの問題と言えば、俺はいったい何をさせられるのかということ。無理難題でなければよいのだがな。
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