1051話 行方知れずの献上品

 近江国塩津浜 一色政孝


 1591年夏


 結局異国の者一行が降り立ったという塩津浜へとやってきた。

 これは幽斎殿の希望であり、足の不自由な俺には大変であるからと細川の関係者と俺の代わりに直政をつけて送り出している。

 一方で残された俺や如信ら、少数の護衛は陸よりもよほど安全であると少し湊から離れたところに船を浮かばせて酒と舞を堪能していた。当然であるがそれが目的なわけではない。


「さて、藤乃」

「はぁい。旦那さんの依頼通り、いくつか土産を用意しております。いったいいくらで買うてくださいますか?」

「情報の質次第でどうだろうか。用意はたんまりしているゆえ、遠慮なく良き話を聞かせてくれ」

「わかりました。用意した土産は3つでございます」

「3つな。ならば1つ目から聞こうか」


 藤乃は話始める前に立ち上がったかと思えば、ササッと身軽な動きで俺の隣に腰を下ろした。

 その姿に驚いたのは他の踊り子らであったが、一切声をあげない。また何も見ていないというように、視線をわずかに違う場所に逸らして、懸命に舞っていた。

 客がいないのはつまらないだろうと思い、あらかじめ如信には楽しむように伝えていたのだが、如信も如信で凝視するわけにはいかないと、どこか気まずそうに視線を彷徨わせている。

 だがおかげで周囲からは舞を楽しむ一団に見えていることであろう。藤乃が俺のすぐそこに身体を置いていることも、決して不自然なことではない。


「1つ目でございます。旦那さんはこの冬、京におられましたか?」

「京に?正月を越してからは伏見にいたが、それまでは留守にしていたな。それがどうかしたのか?」

「実は近江でとある噂が流れたのでございます」

「噂?それはどういった類の?」


 真っ先に亡霊騒ぎが浮かんだ。

 近江で最近話題になった噂話と言えば、まさに比叡山山麓の隠れ里で起きた虐殺事件であり、俺が周囲の注目を集めるために大げさに広げた話がそれであったゆえに。

 浅井長政の死後、近江は特に荒れていない。隣の京が安定したこともあるのであろうが、よからぬ噂が流れないのは織田家の庇護のもとで、浅井家が地盤だけは崩さないようにと奮闘しているからだ。

 ゆえに噂と聞いても、亡霊以外と言われるとさほど深刻なものではないと勝手に踏んでいた。

 だが藤乃の言葉の出だしを聞いて、飲んでいた酒を吹き出しかける。


「叡山の」

「!?」


 むせた俺の背中をさする藤乃の手は随分と優しかったが、いったい何事かと当然ながらに驚いている。

「なんでもない」と手で制するも、やはり心配そうに背中を撫でてくれる。そしてそのためには身体を寄せる必要があるわけで…。


「藤乃、篭絡でも命じられたのか?」

「…そのようなはずが」

「ならば少々近い。俺は大丈夫であるから、離れよ」

「…やっぱり旦那さんはいけずな御方でございますぅ。ここまでやっても顔色1つ変えはらへんなんてぇ」

「口調。情報料、少しばかり安くするぞ」

「それは困りますので、もういたしません。その代わり情報料はしっかり頂きます」


 スッと密着した身体を離す藤乃。如信もただならぬ空気を感じ取ったのか、ジッとこちらを見ているような気がした。

 しかし篭絡を試みたのは事実なのであろうな。正体こそ知られていないだろうが、どこぞの金持ちだということは前回の口止め料やら諸々で分かっているであろうし、俺が藤乃に情報屋としての価値を感じなくなったら疎遠になりかねないと心配したのであろう。藤乃か、その後ろにある組織が。

 だから俺が藤乃を手放せなくなるように仕向けたと考えるのが自然だ。それに前回の訪問から1年ちょっとの間が空いた。自然に縁が切れたと考えていても不思議ではない。


「そう心配せずともよい。俺はそう簡単に手切れを申し込んだりせぬゆえな」

「もうその話はよいのです!先ほどの話の続きでございます!」


 何故か頬を赤くした藤乃は口早に先ほどの続きを話し始めた。


「越前から運び込まれた荷の一部がここ塩津浜から大津湊につくまでの間に行方不明になったという話がございました」

「ふむ。して?」

「その一部の荷が下ろされたのが堅田ではないかという噂が出回り、下ろされた荷の行方がわからぬということから、普段人の出入りが無いと言っても過言ではない叡山の山麓のどこぞに運び込まれたという話にまで発展したのでございます」

「ここでその話をするということは、その荷が何か大物であったということだろうか?北からの荷であれば能登畠山家か、あるいは上杉か。もしくは敦賀の港からであれば東国の大名家から幕府への献上品であったということも」


 しかし藤乃は俺の言葉を聞いたうえで首を横に振った。


「荷は幕府に届けられるものではございましたが、送り主はどの御方でもございません」

「ん?それはどういう」

「相手は南蛮人でございます。この話、色々と不明な点はございますが、送り主に関しては確かでございます。なんせこの噂が出てすぐに、近江国守様が直々に調査に動かれましたので」


 しかしそれだけ大事になっていながら、国許に引きこもっていたころはおろか、京に戻ってからも俺の耳には届いていない。

 考えられるのは浅井家が情報を隠したか、あるいは幕府が情報を隠したか。この2つの可能性は似ているようで、まったく意味が異なるものだ。

 浅井が情報を隠したのであれば、幕府はその事実を知らない可能性がある。報せる必要すらないものであった可能性もあるし、自国の不祥事を隠ぺいした可能性もある。

 幕府が情報を隠したのであれば、浅井が動いたのは幕府の指示があったからかもしれない。そのうえで情報公開を渋ったのは浅井の体裁を守るためか、あるいは幕府がその荷の正体を隠すため。考えられることはいくらでもあるわけで、ここを掘り下げるのは公にされていない以上難しいだろう。

 公方様に聞けば、もしかしたら何かヒントを聞けるかもしれないが。


「それで、その荷は見つかったのか?」


 その問いについて、藤乃は口を開くことなくまた首を横に振るだけであった。


「ならば荷はどこに行ったのだ」

「荷はしっかりと幕府に献上されました」

「ん?それはどういうことだ」

「浅井様は噂の収束を図るために、そのように宣言して根拠なき噂であると否定されたのでございます」

「それゆえに俺の耳に届かなかったわけか」


 ただの戯言をわざわざ俺の耳に届ける必要が無い。伏見で果たしてこの噂が聞こえていたのかは不明であるが、否定されたのであればわざわざ忙しい身の俺に話さなかったのかもしれない。だが藤乃の言い方はやはりどこか引っかかるもので。


「まことにそれだけか?」

「叡山の山麓をすべて調べ上げることなど難しゅうございます。見落としがあってもおかしくはないかと。これに延暦寺と繋がりのあった堅田の者たちが関与しているのであれば、人目に付かぬ場所に荷を隠すことだって出来ましょう。それゆえ、まだ裏があると思っている者は大勢おります。ですがここは浅井家のお膝元、無責任な言葉は身を滅ぼしますので。特に我らのような者には」


 さきにも言うたように、朝妻船の女たちは同業の者たちで所謂組合を立ち上げている。一色家が領内で行っているように、浅井家の下に属することで大々的な援助と、同時に公認を受けており、安全な商いが出来るようにしているのだ。

 そして売り上げの一部を献上している。一色の他で言うのであれば、二条柳町の花街も同じ。あそこの場合は幕府公認だ。

 副将軍であろう義任様も身分を隠して、お気に入りの店によく通っておられる。

 話が逸れたが、浅井家に守られた存在である朝妻船の女たちが浅井家を害する言葉を発してはならない。これは暗黙の了解のようなもので、今の藤乃の発言もだいぶ危ないものである。

 その辺りも配慮しながら話を聞く必要があった。


「悪かったな。無神経な問いであった。しかしこの時期に叡山を巻き込むとは、少々厄介な話だな」

「そのように思います」


 如信も相槌を打つのだが、これ以上余計な言葉は使わぬほうがよいだろう。そもそも今川の人間が堂々と近江で情報収集というのも、あまり公にできるものではない。

 藤乃のように浅井側の人間が傍にいるのであれば、なおのこと知られるわけにはいかぬであろう。

 しかし比叡山に隠された南蛮からの幕府への献上品、な。

 浅井はいったい何を隠しているのであろうか。もしくは公方様もこれに関与しておられるのであろうか。

 それに気になるのは、南蛮の船が幕府に関わる品を送るときは堺を利用するのが普通だ。京までの道路・水路ともに整えてあり、平坦な道も多いため大量の荷物を運ぶのであれば堺一択だ。にもかかわらず、わざわざ少しばかり遠い敦賀の港を利用したことが気がかりである。調べれば何か出てくるやもしれんな。

 本当であれば直接公方様にお尋ねしたいところであるが、このような私的な用事のために多忙な公方様の時間を頂くわけにもいかぬで。

 さて、どうしたものか…。


「それで2つ目でございますが」


 そういえばまだ1つ目であった。

 すでに多額の土産代を払うつもりでいたのだが、今日はどれだけ金を使うことになるのだろうか。

 これは随分と優秀な情報屋を雇ってしまったのかもしれないな。

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