1038話 師岡一羽の弟子たち

 京五条橋 小西如信


 1591年春


「兎角!待っていたぞ!」


 高札の男は、突如現れた男に問答無用で斬りかかる。

 これまでのゆったりとした空気から一変した出来事に、面白半分に集まっていた野次馬らも驚きで顔面蒼白になっていた。

 あれだけ穏やかに団子を食っていた男がこうも豹変するのかと。


「あの男の待ち人は微塵流の道場主であったか」

「宗章殿はあの斬りかかられた男をご存じなので?」

「京で道場を営んでいる男だ。かつては常陸の住人であったらしいが、何年か前にこちらに住み着いて道場を開いたと。あの男の剣術には信綱様の業が感じられると噂があったゆえ、その真相を確かめるために一度見に行ったことがある」

「それで感じられたのでございますか?」

「あいにく道場主は不在だったため、特に何も得られるものは無かった。しかし」


 宗章殿の眼光が鋭く光る。

 今、斬りかかられた男は見事な太刀さばきで剣戟を躱していく。顔は相変わらず真っ赤なままであるが、それでも冷静さは失っていない。

 この京では剣術道場の需要が伸び、有象無象がそこらかしこに道場を開いているような有様であるが、あの男の実力はそこらの者とは明らかに違っているように見えた。


「あれを見れば納得だ。奴は間違いなく信綱様の業を取り入れた戦い方をしている。どこか父上とも重なるゆえ、絶対に間違いは無い」

「懐かしゅうございますな。新陰流をどうにか自分のものにするために、悪戦苦闘しておられた父上の姿が思い出されます」

「だが少しだけ父上と違うところもある。父上は信綱様の剣術を自分の者にするために、自らにあった変化を加えていた。これによって柳生新陰流を興したのだ。しかしあの男の振るうものは誰かの見様見真似。決して自身のものには出来ていない」


 さすがその道に精通している男たちである。

 俺にはまったく理解が出来ないが、2人には襲われている兎角という男のことがよくわかっているようであった。


「あの男の名は根岸兎角。常陸より京へ移り住んだことはそこの者たちの説明にあったとおりであるが、その剣術の由来は師である師岡一羽なる人物から来ている」


 名も教えてくれぬ色白男がそうつぶやいた。

 まるで襲われている男を知っているような口ぶりである。


「師岡一羽殿の師は上泉信綱殿。つまりそこの2人の父である柳生宗厳殿の兄弟弟子にあたる」

「やはりそうであったか。どこか懐かしく感じるのはそのせいなのだな」

「常陸で道場を開いていた師岡殿は病で倒れたと聞いていた。そこで師岡殿に教えを受けていた弟子らが2つに割れたそうな。片や献身的に看病し、常陸江戸崎にある道場も守ろうとした者たち。そしてもう一方が早々に師を見限り、大きな都市に道場を開こうと画策した者たち。前者が高札の男で、師岡殿の筆頭弟子の1人であった岩間小熊殿。後者が襲撃を受けた男で、これまた師岡殿の筆頭弟子であり一羽流を継承した微塵流の祖である根岸兎角殿」

「もしやおぬしは常陸の者か?」

「5日も時間があったゆえ、宿に残している供に調べさせただけのこと。仕合をするうえで、まずは相手のことを知らねば話にならぬ」


 一切こちらを見ない色白男は、それでも文句を言うことが憚られるほどに真剣な表情を戦う2人に向けていた。

 しかし真剣な表情で見つめるのは無二様も、そして柳生の兄弟も同じである。

 やはり根っからの剣術家、兵法家と俺は違うのだと改めて感じる。ここにある男たちは血が滾っているのだろう。次は自分だ、と。

 俺にはそこまでの熱意が無い。ただここに加わったのは、京の治安を守らんとする政孝様のお力添えをする目的だけであったゆえに。


『貴様はお師匠様を裏切っただけでは飽き足らず、その業をさも自分のもののように触れ回っているようではないか!そのような外道は一羽派一番弟子である岩間小熊が切り捨てる!!』

『師の最大の理解者である俺がその業を継承して何が悪いか!あのような場所では門下も増えぬ!京でその業を広げることこそが、師への恩返しだとなぜ理解できぬのだ!!』


 激しくぶつかりあう刀同士の衝撃に、もう誰も目が離せない。

 このまま見続けていると、おそらくどちらかが死ぬことになる。あの2人の様子をみていると、とことん最期までやるつもりであるようにしか見えなかった。

 俺は決して相手を殺すなと木刀を授かったわけであるが、俺が関与していない、しかし俺の目の前で死人が出かねないような状況である。

 これでは政孝様の命を果たしたことにはならぬであろう。もしその時が来れば、俺が身を挺してでも止めねばならぬ。


「如信殿」

「…なんでございましょうか、無二様」

「助太刀も仲立ちも無用であるぞ。あれは生死を賭けて立ち会う2人。そのような者たちへの敬意を忘れてはならぬ」

「本来京での私闘は禁じられております。木刀でのやり合いであれば、それは指南の延長であると京都所司代も目をつぶっておりましたが、これは明らかに幕府の命に背く行為」

「罰があったとしても譲れぬものがある。儂に師事したおぬしであれば理解できると思っておったがな」

「あのときの俺であれば理解したと引き下がったやもしれません。ですがあれから様々な経験をした俺はここで引き下がることなど到底出来ぬことでございます。どうかご理解を」


 一瞬であったが無二様からの返答が無かった。

 俺も仕合う2人を見ているために、無二様がどのような表情で沈黙に入られたのかわからない。しかしすぐに再び口を開かれた。

 その言葉に思わず俺は2人から目をきって、無二様の顔を凝視してしまう。


「おぬしの今の主、幕府に関わりのある者であろう」

「なにゆえ」

「主が変わったとしても、人の本質とはそう変わらぬ。世捨て人になった儂が未だに剣や十手を振るい続けているように。おぬしの本質とは主と決めた者と同じ道を死んでも歩もうとするところ。歩む道は宇喜多の頃とはまったくの別物ではないか?」


 指摘されて気が付いた。

 俺はたしかに政孝様のためだと思ってこれまで行動してきたが、その行動自体が宇喜多家にいたころとはまったく別物なのだと。少なくとも宇喜多家に仕官していた頃に、これだけ熱心に幕府のために働こうと思ったことは微塵も無い。

 あのときはひたすらに直家様に従い宇喜多を大きくし、秀家様に従い毛利と織田にすり潰されないように影響力の拡大に努めていた。それが主様の願いであったゆえに。

 今の俺は無意識のうちに政孝様の道を、背を追っていた。知らぬ間に幕府に忠実であったのも、おそらく無二様の指摘通りなのであろう。

 そしてその無意識のために、隠し通すつもりであった秘密を知られてしまった。なんたる失態か。


「どうこうするつもりはないが、もう少し気を配れるようになった方がよいやもしれぬな」

「…無二様にはかないません」

「それに今のように動転している間に見るべきものを見逃すことになるやもしれん」


 無二様の言葉の真意を探ろうとしたところ、派手な悲鳴とともに大きな衝撃音が耳に飛び込んできた。

 五条橋にまで移って仕合っていた2人であったはずだが、気が付けば高札の男、岩間小熊しか残っておらず、襲撃された根岸兎角の姿は無い。今の衝撃音はおそらく川へと落とされたのであろう。


「しかし如信殿の心配しているようなことにはならなかったようであるな」

「…どういうことでございますか」

「この仕合、結果は岩間殿の勝ちである。これだけ派手にやられ、そして師に対する不忠を広められては道場などやっておれぬであろう。京には多くの道場が存在しており、たった1つが潰れたとしても代わりなどいくらでもある」

「師に対する不忠と、道場主敗北による評判の低下でございますか」

「うむ。対して岩間殿はその力をこれだけの目がある中で広めたわけである。相手を殺さず、完全なる敗北を味合わせた。まぁ多少お上から何かしら言われるであろうが、そこまで大事にはならぬであろう。そのうえであまりにも大きな得物を手にしたのだから、まさに完勝であった」


 そういって無二様は立ち上がられた。気が付けば柳生兄弟もすでに姿が無い。


「では今度こそおぬしの主に挨拶させていただこう。この先、もしかすると付き合いが出来るやもしれぬでな」

「は!?岩間殿との手合わせはよいのでございますか?」

「ここでこれ以上暴れてはお上の介入もあろう。これから幕府に仕えたいと考えているのに、悪い意味で目立っては意味が無い。興味心も満たすことが出来たゆえ、5日も待った甲斐があったというものよ」


「ほっほっほ」と笑う無二様は本当にこの場から立ち去るようであった。

 ならば俺も付き従うしかない。

 ただ1人残る様子の色白男に気持ち程度に頭を下げ、その背を追った。ところで無二様はどこに向かって歩かれるつもりなのであろうか。

 まさか馬車の後を追われるのであろうか。そちらは山科方面であり、さすがに毛利との会談に割って入ることは出来ぬであろうが…。


「ところでどこに行けばよい。儂は京に不慣れな年寄りであるから、案内が必要なのであるが」

「…まずは無二様の宿に戻るべきであるかと。主様は多忙な御方でございますので、夕刻ごろに屋敷に戻れば、少しなりとも時間を取っていただけるやもしれません」

「ならば倅のもとに戻るといたそう。時間が来るまでおぬしもゆっくりしていけばよい。儂が宇喜多を出た後の話も色々聞かせてもらいたいゆえな」

「かしこまりました。ではそのようにさせていただきます」


 まぁ政孝様であれば会ってはくださるであろう。問題はその後であろうかな。無二様の興味が早々に逸れてくださればよいのだが…。

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