1039話 親明国派と征李派

 京山科毛利屋敷 一色政孝


 1591年春


「滞りなく用意が進んでいるようで何よりです。しかし驚きました。まさか婚儀を海の上でやってしまうとは」

「興味本位で多くの人が集まりましょう。さすればその分だけ祝いの声も聞こえるというものです」


 毛利屋敷の一室。俺と屋敷の留守役である穂井田元清殿は1対1で顔を突き合わせていた。

 護衛はたしかに部屋に外にいるものの、俺たちのやりとりを邪魔する者は基本いない。このような機会はそうそう作れるものでは無く、本当に貴重な意見交換の場となっている。


「我が兄も喜んでおりました。長らく悩みの種となっていたようでございますし」

「ところで随分とその…。言いづらい話ではございますが、厄介者のように扱われていたと聞きました。一度顔を合わせる機会がありましたが、そのように扱われるだけのものは感じられませんでしたが」

「…まぁ水軍衆の決まりごとに堂々と反しておりましたので。毛利家は今の影響力を誇るようになってからは、ほとんど水軍衆が主力のようなものでしたので。いくら山陽水軍の双璧の一角である児玉家であるとはいえ、軍規に従えぬとなるとそれだけ周囲から向けられる目も冷たいものになるというもの。就英は随分と庇っておりましたが、それにも限界はございますので」

「なるほど。水軍衆が主力ゆえの悩みでございますか」

「その通り。一方で同じように水軍が強大でありながら、女子を船に乗せることができる一色家の存在はまさに鶴姫の道が開けたと多くの方々の喜びました。その喜びにも色々含まれておりますが、ようやく頭の痛い悩みの種が1つ無くなると。あとは婚儀にさえこぎつけることが出来れば、と」


 聞けば聞くほどひどい話だ。

 しかしそれだけ規律・軍規を厳しくし、そして徹するのは、毛利家が成り立つ過程から生まれたもののような気がする。

 根底に織田家のような常識外れのものがあれば、今川のような寛大な心があれば鶴姫は家中で十分幸せになれたはずだ。

 だが毛利はそれがどうしても認められなかった。今では大名と認められ、それだけの地位と名誉が与えられ、名実ともに中国地方の覇者として君臨している。

 だが先代、毛利元就公がまだ小さな国人であったころから死ぬまでに築いた経緯を思えば、規律はやはり馬鹿にできるものでは無い。

 むしろ規律こそ、国を成り立たせる最大の道具なのだと思わされる。


「鶴姫はこちらで幸せにいたしますよ。倅もそのように配慮すると言っております。ただやはりそう簡単に船には乗れぬでしょうが」

「それはもちろん。時には厳しく指導してやってくだされば」


 おそらく勝手に乗りに行くのではないかと思っている。一色家にもかつていた。

 船に執着し、自分がどのような状態でもこっそり乗り込もうとして周囲に何度も注意されていた男が。

 その志はしっかりと一族に引き継がれているが、それでも異常なまでの執着心だった。鶴姫もどこかそれに似ている。

 禁止されていても船に乗り、厳重に注意されても海賊であったり、海のならず者どもを討伐し、話に聞いている限りだと無茶苦茶な姫様である。だが狩られる海賊は大井川周辺にはおらず、厳しい軍規は無いものの、厳しい指揮系統は徹底している。

 いくら他国の姫が乗り込んでこようとも、問題はそうそう起きないはずだ。だからこそこちらも安心して受け入れられる。

 まぁ、姫様の境遇に感化されなければの話ではあるのだがな。


「さて。まぁ婚儀の話はそれなりでよいのです。元々大方決まっているような話ですので。あとは当日を迎えるのみですから」

「その通り。わざわざ屋敷にまで足を運んだ理由、聞かせていただけますか?」


 元清殿は足の悪い俺をわざわざ山科の屋敷に招待した。

 今川屋敷にやってこなかったのは、あの屋敷は立地上、そして俺が過去に起こしたことが原因で色々と目立ちすぎる。

 あと俺がいるせいで商人の来客が多い。その中に何者かが紛れていても、気が付かない危険があった。

 ゆえの招待である。また毛利の京屋敷は山科でも近江に近い場所にあり、そう簡単に来られる場所でも無い。この場所は山科の郊外地域であったため、本願寺再興の計画からあぶれた場所であった。そこを毛利が屋敷を構えることで、周辺の復興にも影響させたというわけである。今では宿屋が増えて、山科宿場町の入り口のような存在となっている。

 まぁそれはさておき、いよいよ本題だ。


「はい。現在我ら毛利が属する派閥に多くの公家衆が関心を持っております。すでに何人かは接触されたとのこと」


 毛利の派閥とは、元清殿を中心とした親明国派である。もちろん他にも主張はあるものの、おそらく明国との交易に関する利権に関する主張が大きいためこういった名で呼ばれている。

 ここに属するのは同じく日本海側に領土を持ち、なおかつ良質な鉱山資源を産出している大名家。毛利と共同で旧尼子領の鉱山を営む山名家(大名)であったり、上杉家であったりが属している。

 ただ親明国派と呼んでいるが、あくまで友好的な関係を継続していくべきであるという主張に留めていることは留意が必要である。すでに日ノ本から産出される鉱山資源の海外流出にはストップがかけられており、本格的に国内消費を目指すための法整備が整えられているのだ。毛利としてもそれに反対しているわけではない。

 ただ一度築いた明国との関係は、どのような形でもよいから維持すべきを主張しているだけだ。

 あとはこれらの大名家に加えて、幕臣や俺たちと同じような立場の私的な相談役の一部がそこに属している。

 ついでに補足するが、これに対する派閥で征李派というものもある。

 これは李氏朝鮮の海賊行為が表沙汰になったことで結成された新興派閥だ。読んで字のごとく、宗家との丁巳約条があるにも関わらず、日ノ本や南蛮の船を海賊を装って沈めまくっていた李氏朝鮮との手切れを突き付け、朝鮮半島を征服すべきと声を上げる者たちのことである。

 主体となっているのは龍造寺家であるが、ここに琉球王国と日ノ本の間を取り持った島津や、南方との商いに大きな被害が出ている大友も含まれている。

 大友が今川と違う道を歩むのは仕方が無いことで、これに関しては範以様も認められている活動だ。いくらなんでも今川と大友の置かれている状況も治める土地も離れすぎているため、国益を害することがない範囲であれば自由な行動が認められているのだ。

 だがこの征李派はあまり好意的に受け入れられていない。ようやく日ノ本で戦が終わったのに、今度は外で戦をするつもりかというのが幕府や朝廷の中にある大半の意見であった。

 またこれにあわせて、李氏朝鮮との外交窓口である宗氏が色々と画策していることも、歯止めの1つになっている。加えて親明国派の存在だ。

 李氏朝鮮に手出しをすれば、明は黙っていない。冊封国が攻撃されたのだから当然である。それに朝鮮半島が落ちれば、日ノ本と明は陸続きとなる。明としてもそれだけは絶対に避けようとするであろうから、結局両者は戦わなければならなくなる。どちらからという話ではなく、いずれそうなるという懸念が征李派に圧を加えていた。

 俺も今のところ反対であるがな。


「ですが接触してきた大半の公家が明国から得られる儲けをともにしたいと邪な考えを持つ者ばかり。公家との関わりが得られると喜んでいた方々も、最近は会うことも嫌だと言い始めており」

「それを元清殿に相談されると?」

「その通りなのです。私としても彼らの気を削ぐ行いはやめていただきたいのですが、相手が公家衆となると強気に行くわけにもいかず」


 毛利領内へ下向する公家も多い。それゆえに派閥主である元清殿も無下には出来ずに困っているというわけか。

 だが同時に鬱陶しいとは思っていると。


「策が無いわけではありません。寄ってくる公家がいなくなることは無いでしょうが、少しばかり減らすことは出来ます」

「減らす、ですか。具体的にはどうするので」

「簡単なこと。“あの”話に賛成してくださればよいのです」


“あの”が何を指すのかしばらく元清殿は考えていた。しかしそれが指すものに気が付いたようで、凄まじい勢いで顔を上げる。


「まさか禁中法度でございますか!?」

「その通り。本来の目論見に勘づいている公家はすでに大勢おります。我らが抑止したいのは帝の影響力増大ではなく、公家衆の増長でございますので」

「賛成すれば寄ってくる公家は減ると」

「我ら2人を見ればわかることでございましょう。味方は非常に少なく、敵はとにかく多い。特に公家衆であったり、それと親しい関係にある者たちの様子を見れば一目瞭然。如何でしょうか、これを呑んでいただければこちらとしても非常に助かるうえに、煩わしい雑音に惑わされることもないかと思いますが」


 俺の狙いは巨大派閥の1つである親明国派をこの議題については味方とすること。これで停滞していた空気は一変するだろう。そもそもこの議題について、おそらく毛利は中立を保っているはずだと踏んでいる。

 何故なら彼らには反対する理由が無いからだ。しかし帝に制限をかけることは恐れ多いと考えていると推測する。ここで中立の一角を崩すことで、議論を一気に賛成方向に傾けたいのだ。

 これに関しては悠長にやっている場合ではないゆえ。


「これは国許に相談すべき事案でございます。それに私とともにしてくれている方々にも相談せねば」

「それはよいのですが、あまり外には漏れぬようお気をつけよ。黙らせようと刺客が送られてくるやもしれませんので」

「承知しました。ですがよい助言であったことも事実。煩わしい者を払うには、その者たちが嫌がるような行為をすればよかったのですね。今後の参考にさせていただきます」


 そういって毛利屋敷での会談。いや密談は終わった。

 果たして毛利本国でどのような決断が下されるか、元清殿の説得する手腕が見ものである。

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