1037話 当理流と柳生新陰流
京五条橋 小西如信
1591年春
「ほぉ、あの馬車の者が今の主か」
「…その話はまたの機会でお願いいたします。それと今は如信と名乗っておりますので」
「名まで改めたか。しかしそうまでして主人に関することに口を閉ざすとは、よほど世に聞かせられぬ人物と見た。どうだ、正解であろう?」
あくまでこの場で言葉を交わしているのは無二様と俺だけである。
しかし明らかに周囲で待つ男たちの視線が我らに突き刺さっているように思えて仕方が無かった。
もちろん当初から方針は変わらず、俺は政孝様の名を一切出すつもりは無く、それをほのめかすような言葉も使わないつもりである。
少なくとも無二様以外の耳目があるところでは。
「…」
「ふむ。からかいがいが無いものよ。では話を変えるといたそうか。お父上、隆佐殿は元気でやっているであろうかな。かつてはよく傷の手当てをしてもらったものであるが、ろくに挨拶も出来ぬままに宇喜多を出てしまったであろう?追いかけようにも、当時の儂は宇喜多に仕える身。結局言えぬままにここまで来てしまったのだが」
「父は現在堺で薬種問屋をやっております。もしお時間があるようでしたら案内もいたしますが」
父と無二様はそれなりに親交があった。
先ほど言われたように、よく無二様は身体に傷を作っておられたゆえ、それの治療を行うために薬を煎じて渡しておられたのだ。
俺が無二様を剣術の師とできたのも、そういった父の縁があったゆえのこと。結局父は兄弟らを連れて堺に戻ってしまわれ、その後しばらくして無二様をお暇を頂くと言って故郷美作へと戻ってしまわれた。
噂では一時期公方様の前で披露した剣の腕が評価され、幕府の剣術指南の地位を与えられたと聞いていたが、それもどうやら出鱈目であったらしい。少なくとも政孝様のお傍に仕えるようになってから、そのような話を幕府の中で聞いたことが無い。
ならば師はいったいどうしておられるのかと思っていたら、まさかこのような場所で再会することになるとは…。
「ほぉ、ならばまたの機会にお願いするとしようか。また生傷が増えそうであるゆえ、効きそうな薬を先に貰っておかねばならぬ」
「生傷が増える?まさか京にやってこられたのは、道場やぶりが目的でございましたか!?」
俺が思わず声を上げたために、周囲の視線がより強くなった。
だがそれは、先ほどまでこちらに一切関心を寄せなかった高札の男も同様であることに気が付く。
間違いなくあの男は“道場やぶり”という言葉に反応を示した。ならばこやつはそのどちらかなのではないかと、勝手ながら推測することが出来る。
道場を営むものか、はたまた道場やぶりをする者か。
しかし後者であればこのような場所でただ待っているだけのはずがない。ならば前者であろうか?
「余計な敵が出来るであろう。迂闊なことを言うではないぞ、如信殿」
「も、申し訳ございません。ところで先ほどの話についてお伺いしても?」
「儂には隠し事をするくせに、儂のことは根掘り葉掘り聞こうとするとは。少しばかり不公平ではないか?」
「…ならば仕方がありません。事情は聞かず、後日父上のもとにご案内いたします」
「まっこと面白みのない男になってしもうたな。ならば仕方がない。今回だけは教えてやるとしよう。此度、美作の地よりはるばる京にやってきた理由。それは幕府に仕えるためである」
無二様の言葉にまた反応を示した者たちがいた。しかし一方で高札の男はまったくの無関心。
いったい何がそこまで興味を惹いたのか。道場やぶりがいったいなんだというのであろうか。
「幕府、でございますか。幕臣としてでございますか?それとも剣術指南にでもなられるおつもりで?」
「剣術もよいが今はこれで飯を食うているのよ」
懐よりかすかに見えるそれは、鉄製十手であった。
「殺さず制す。世捨て人になった儂がたどり着いた仕合の境地よ」
しかし鉄製ともなれば、懐に入れて持ち運ぶことは不便であろうに。その辺り、昔からよくわからない師ではあった。
しかし1対1での仕合において、師に勝るものを見たことがないことも事実。殺さず制すを体現したのが十手を使った剣術、いや兵法なのであろう。
「儂はこの十手術を以てして、幕府に忠誠を誓うことにした。これまでとは明らかに違う幕府の形に、老いぼれながら興味をもってしもうたのよ。そこで耳にした京の守り人、たしか…」
「京都見廻組でございますか。無二様はそれに参加するために上洛されたというわけでございますね」
「その通り。これで労せず、我が十手術を試すことが出来る」
グッグと奇妙な笑い声が漏れているが、無二様はだいたい剣術に関わることになるとこうなってしまう。
手合わせ頂いている最中、突然動きが止まったかと思えば突如として奇妙な笑い声を発しながら、改善に没頭されていた。
少なからずいた弟子らはその奇行にも慣れてはいたが、慣れぬ見物人らは危ない男であると逃げ出す始末。それでも宇喜多一の腕を持つ無二様は多くの者たちに慕われていた。宇喜多家現当主である秀家様も弟子の1人である。師事する時期は随分と短かったがな。
「生傷が増えるというのは、腕に自信のある曲者らが多く集まることが予想されているからであるな」
「そういうことだ、爺さん。俺たちのような曲者が大勢集まるんだから、生傷の1つや2つでは済むまい」
突如として我らの話に割り込んできたのは、無二様が幕府に仕えるという話をした際に強烈な気を放った2人。
1人は俺より年下であろうが、もう1人に関しては微妙なところである。
「ふむ。若い者は勢いがあってよいな。小僧らの名を聞いてもよいか?」
「俺の名は柳生
「柳生?柳生とは松永家に仕える柳生家であろうか?」
「その通り。我が父の師は、天下に名高い上泉信綱様である」
そういえば政孝様の庇護下に上泉の血筋の方がおられたはず。上泉の名を語らず、城下で道場を開いているとか…。
詳しくは知らぬが、年を考えるに子か孫か。いや、子ということはあるまい。そうなると色々時期がおかしくなる。
少なくとも上泉信綱殿は随分と昔に国許を出て、剣術修行の旅に出られたと聞いているゆえに。
「ほぉ。ならばそなたらの流派は新陰流であろうか。あの者には随分と弟子が多いゆえ、何度か手合わせしたことがあるがみな手ごわくてかなわぬ。おぬしらもそうなのであろうな」
また始まってしまった。
こうなると無二様は止まらない。自身が満足するまで語り合おうとされるゆえ、弟子はその気配を感じたところでみな逃げていくのだ。
そしてたいてい最後まで残っておられるのは秀家様であった。あの御方は心優しいゆえ、逃げるという選択を毎回取られなかった。
あぁ、なぜか涙があふれてきそうなほどに懐かしい記憶である。
「ほぉ、爺さんも新陰流を知っているか」
「もちろんじゃ。天下に名高いあの流派を知らずして、剣術家、兵法家を名乗ることは出来ぬ」
「よくわかっているじゃねえか。なぁ、宗矩」
「その通りでございます、兄さま」
第一声があれであったゆえ、ひと悶着起きるのではないかと気を配っていたのだが、どうやら俺の心配したようなことにはならなかったようだ。
無二様と柳生の兄弟は意気投合したようで、団子を片手に俺そっちのけで剣術論議に花を咲かせている。
いずれにしても無二様が元気そうで安心した。それにまさか柳生の兄弟までもがこの話に乗ってくるとは驚きである。柳生家は反足利義昭派の一角、三好家の家臣松永家に仕える一族である。つまりは陪臣だ。
いくら四子、五子であるとはいえ、柳生の地位はそれほど低くはない。大和掌握の尽力した功が認められて、その存在感は随分と大きくなったと聞く。それにも関わらず、わざわざ家を出てまで京都見廻組に名乗りを上げるとは。
まさかそういった者たちは多いのであろうか。たしかに戦無き世で、刀を振るうしか能の無かった者たちの出番は最早無いも同義である。
そういった者たちが存在できる場所は、もはやこういった組織しかないのやもしれぬ。それゆえに出奔したり、京で名を売ろうとするのか。
「…」
「どうした、如信殿。そのようにこわばった表情で」
しかしそれとなく顔を上げた時に気が付いた。
顔を真っ赤に染めた大男がこちらを睨みつけていることを。いったい何者かと思った途端の出来事であった。
ずっと団子を食っていた高札の男が飛びかかったのは。
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