1036話 剣術の師との再会

 京五条橋 小西如信


 1591年春


「おぬしが五条橋の欄干に高札を掲げた者か?」

「さよう。この場所に留まって今日で5日目。今日に限ればおぬしで3人目の挑戦者である。しかし」


 五条橋を渡り切った先の団子屋に腰を下ろし、茶を飲む1人の男。その男はわずかに俺を見ただけで、小さく首を振った。

 力不足だと暗に言われているようで、カッとなる気持ちをグッと我慢する。


「しかしとはなんだ。日の本一の強者を賭けて勝負すると言ったのはお前であろう。ならば俺の挑戦を受けろ」


 それでもなお、この男は椅子から立ち上がる気配がない。まるで俺など眼中にないように。

 だがこのままでは政孝様を落胆させてしまう。それに得物を貸してくださった慶次殿にも顔向けできぬ。遠くから見ておられるであろうが、声までは聞こえていないはず。

 このまま決闘することなく戻れば、俺が怖気づいたと思われても仕方がない状況である。なんせこの男は自信満々に挑戦を受けると高札に書いていたのだ。

 そんな者がどうして断るなどと考えようか。


「挑戦を受けてもよいが、何事にも順序がある。たしかに腕に自信はあるようであるが、まだお前の相手をしてやることは出来ぬのだ」

「それはどういうことだ」

「どういうことも何も、某はただ1人を待っているゆえ」

「待っている?」


 その真意を尋ねようと近づきかけたのだが、フッと顔を上げたその視線で思わず足が止まった。

 気というのか、あまりにも強すぎるそれのせいで、俺はそのたった一瞬で恐怖を覚えたのだと思う。まさに強者の風格に相応しい。

 無意識のうちに俺は負けていたのだ。いったいこの男は何者で、これだけの強者が待つ相手とは誰なのか。

 これはすぐには戻れそうもなかった。


「あれだけ挑発したのだ。奴が京にいるという情報が正しければ、絶対に俺の首を獲りに来る。それまでは何人たりとも挑戦は受けぬ。受けるとしても某がその待ち人を無事に下してからとなる。それからでよいというのであれば、そこに座って待っているがよい」


 随分と無礼な話であるが、団子の串で指された場所には数人が腰を掛けて団子を喰らっていた。すでに串は山のように積み上がり、いったいどれだけの時間をここで過ごしていたのかというような状況である。

 いったん政孝様に事情を説明してこようか。不覚にも負けを意識した相手がどれほどの手練れを待っているのか。もはや護衛の任を放り出してまで知りたいほどに興味を惹かれてしまっている。

 政孝様の傍には慶次殿もおり、一色家の忍びらもいるゆえに事情を説明すれば一時的に離れることも許されるはず。何よりもこの気持ちを押さえることは出来ない。


「若いの。おぬし、逃げるのか」

「逃げる?ただ人を待たせているゆえ、俺を置いていくように伝えるだけだが」

「ほぉ、そのような乱暴な言葉遣いでありながら、人に仕える身であったか。それは実に興味深…」

「ん?なんだ、俺に対して何か言いたいことが…」


 この剣術家との対決を待つ者の中にいた1人の爺が俺を見上げて言葉を詰まらせたゆえ、いったい何事かとこちらもその顔を覗き込む。

 顔の大半が凄まじい毛量の髭で覆われていたが、その顔を忘れられるはずがない。かつては同じ御方を主として切磋琢磨した人物であり、元薬師である俺に剣の道を示してくださった御方であったゆえに。


「無二様!?」

「おぉおぉ、これは行長殿ではないか?ならば待たせているというのは殿であったか。だとすれば随分と失礼なことを申してしもうたな。はよう殿にお伝えしてくるがよかろう」

「い、いえ。今の主は宇喜多様では無いのです」


 ここで正体を言えば、あの少し離れたところで様子を見ておられる政孝様にご迷惑がかかる。

 ただでさえ敵が多い御方であるのに、こうして人の耳が多い場所で所在を伝えられるはずがない。


「うむ?あれだけ大恩、大恩と言っておったのに出奔したのか。人には心の移ろいが当然あるものだが、行長殿にもそのようなものがあったのだな。まぁ儂が言えたものではないが」


 周囲の目も気にせず、無二様は「ガハハ」と声を上げて笑う。明らかに周囲の視線が痛いのだが、そもそも宇喜多家時代より周囲の空気を読まれぬ御方であった。

 それゆえこれも当時から何も変わらぬとどこか懐かしい気分にさせられる。だが問題はそこではない。

 なぜ長らく世から離れて、山籠もりをしていたはずの新免無二様が京におられるのか。

 しかもどこの誰かも分らぬ強者と決闘するために、長らくこの場所に留まっておられるようである。


「ところで無二様はいつからここに?」

「5日前からよ。別の目的で京に子共々やってきたのだが、ちょうどその日にそこの高札が目についてな。さすがに子連れではいかぬであろうと、古い伝手を使って子を預かってもらい、儂はそこからずっとここよ」


 指をどこぞに向ける。その先には大きな木の幹に突き刺さる大量の串があった。

 その数を数えることは骨が折れるように思えるほどであり、本当に5日間ここでそこの男の待ち人を共に待っていたようである。


「そういうことでございましたか。俺もともに待たせていただいてもよろしいでしょうか?」

「構わぬ構わぬ。みな、そこの男の眼光に興味を持った者たちばかり。手合わせできるのであれば、あと何日でも待つ覚悟である。のぉ、そこの若いのも同じであろう?」


 そう言って無二様の隣に座るひょろりとした男の肩を叩いた。

 その男はあまりにも青白い顔をしているゆえ、団子ばかり食って体調を崩したのかとも思ったが、言葉はハキハキしており決してそういうわけではないように見える。

 ならば外に出ることが全く無いのか。日を浴びぬゆえ、肌が白くなったのやもしれぬ。とても剣術自慢には見えぬが…。


「私はただ強者と手合わせしたいのみ。日の本一の強者などの肩書はいりませんが、果たしてどこまで我が剣が通用するのかは確かめてみたく思っております」

「なるほど。申し訳ありませぬが、名を伺っても?」

「名乗るほどのものではございません。それに我らの縁はここで切れましょう。名乗る理由が見つかりません」


 そういってもはや俺の顔を見ることもなくなった。やけに圧があるしゃべり方で、周囲でやんややんやと騒いでいた野次馬たちまで静まり返る始末。

 そんな中でも無二様はのんびりと団子を喰らい、そして指先ではじくように串を幹に打ち込まれている。無二様の他、この場に留まっているのは俺を含めて5人。

 誰もが凄まじい気を放っており、この場にいることが場違いであったのではないかと自信が無くなるほどに濃厚な気配。これは一種の殺気と言うべきか。

 間違いなく俺はここに残るべきだ。たとえてあの男と手合わせできずとも、剣術を極める者として得られる者はあるはず。


「少しばかり行ってまいります」

「待ち時間もあるゆえ、今の主について教えてほしいところであるな」

「それはどうかご勘弁を。今の主はあまり人前に出たがられない御方でございますので」

「それは残念。かつての師としてあいさつでもと思ったのだが」


 もちろん政孝様が許してくだされば、間に入る用意もある。しかしそれは少なくとも今ではない。

 政孝様には政孝様の任があり、今日に関しては毛利様との約束があるゆえ時間はあまりかけられぬ。

 どちらにしても今日は行っていただくしかあるまい。


「主様」

「なにやら面倒なことになっているようだな。時間があるゆえ、俺はそろそろ山科に向かうつもりであるのだが」

「俺はこの場に残りたく思っております。あの高札の男、何やら訳ありなようでございますが、その腕はたしかでございます」

「刀を振るう姿すら見ていないにも関わらず、そこまで断言することが出来るのか」

「断言いたします。あの男はただものではございません。ですがその腕前を見るためにああと数日ほど猶予を頂かなければならぬようで」

「ならば仕方あるまいな。慶次、俺の護衛を一層強化してくれるか」

「あぁ、わかった」


 慶次殿はいつの間にか俺の馬に跨っているが、よく主人以外を乗せたがらない福風が暴れないものである。

 いっとき伏見の使用人らの間で流れた噂があった。慶次殿は馬でも猫でも、犬や魚とすらも会話が出来ると。何人もの使用人が動物に語り掛けている姿を見たと証言しているのだ。しかし常人に理解できない御方であるからこそ、誰もそれを気味悪がったりはしない。その程度ではもはや誰も驚かない。

 気難しい福風を大人しくさせたのも対話の力なのであろうか。


「…」

「如何した。はよう行け。ただし何かしら成果は持ち帰ってくること。無事に生きて帰ってくること。この2つの条件を付けくわえる。自信があるならばあそこに戻れ」

「必ずや」


 得物は未だ俺の手の中にある。よって最初の条件は変わらず達成できるであろう。

 問題は今しがた増えた2つの条件だ。1つ目は待ち人が来ればわかるやもしれぬが、2つ目に関しては必ずやと言い切れぬ。だが政孝様より与えられた任であるゆえ、必ずこなさねば。

 まずはやはり無二様から情報を得てみるとしようか。

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