警固衆京都見廻組

1035話 五条橋の弁慶

 京五条橋 一色政孝


 1591年春


 もうじき行われる一色・児玉の婚儀に関わる調整を口実に、俺は山科にある毛利屋敷へと招待されていた。

 招待主は毛利屋敷の留守役である穂井田元清殿である。

 元清殿は大名屋敷の留守役であると同時に、大名家より幕府に派遣された名代意見役と呼ばれる立場にある。名代意見役というのは幕臣ではないが、大名家の名代として常に京に身を置いて主の言葉を代弁する役目の者たちのことだ。

 他のところで言うならば、上杉家は色部長実殿、織田家は明智光秀殿他数名、島津家は一門の島津歳久殿だ。

 もちろんただ代弁するだけではなく、大名家の意向を受けて政策などの議論に参加する。もちろんであるが彼らも派閥に属しており、そちらの意向を受けて行動したりもする。

 基本的には大名の言葉が最優先であるが、それを成すために同じ志や利害が一致している者たちと手を組んでいるわけだ。つまり幕臣らの派閥争いよりはまともに機能していると言ってもよいはず。

 俺や氏郷殿は主の意向を受けていないゆえ、ただの相談役になる。だがまぁ公方様に直接意見できる立場であるため、やはり特殊といえば特殊であるし、そういう意味で言うなれば名代意見役と相談役を同列には語ることが出来ない。どちらが上とか、そういった話ではなくな。


「しかし山科に向かう道も活気が出てきたな」

「たしかにな。まだ復興が始まった頃は、大工や復興に関わる者たちばかりが東へと向かっていたが」

「今では宿場町としても栄えているからか、旅人の装いをした者たちもだいぶ増えた。山科の復興を押し進めた公方様も一安心だな」

「まことに」


 馬車を操る御者の隣にどっかりと座る慶次と、馬車の近くを馬に乗る如信。他数名の護衛らとともに五条橋を抜けて山科へと向かう。

 出発前に思ったことであるが、なぜ慶次は狭いと分かっていて御者の隣に座っているのか。

 出発してすぐに聞いたところ、馬に乗っていたら何かあった際に俺を守れないからだと言っていた。それならば如信はどうなのかといえば、怪しげな男が逃走した際には馬が必要であるから乗せているのだそうだ。


「復興の進む山科と、未だ戻れぬ延暦寺。同じように信長様に抗い、なんなら先に頭を下げた延暦寺。いったいどこで両者に違いが生まれたのであろうな」

「さてな。しかし比叡山への復帰もそう遠くない話であろう。公家の中でも国家鎮護を目的に比叡山に延暦寺を戻そうという動きがいっそう活発になり始めたと聞いている。いくら伏見宮家でもこの動きを無視することは出来ぬであろう。それに当初反対しておられた殿下もだいぶ心変わりはしておられるのであろう?」


 あとは延暦寺の復帰に否定的な者たちを説得させることが出来れば、そこからはとんとん拍子であると踏んでいる。

 もう周囲の環境は完璧に整いつつあるのだからな。


「そういえば比叡山で思い出したが、橘屋から報せがあった」

「橘屋?どこのだ」

「そりゃ紀伊だろうよ」

「…紀伊?ならばついに決心したのか」

「そのようだぜ。ようやく京入りを決心した」


 慶次が蒔いておいた種がようやく芽を出した。芽を出した正体は四辻季満。

 あれだけ京への復帰を望んでいた男が随分と待たせたものであるが、これで役者がそろい始める。

 四辻季満の京入りは命の保証をするために大々的に報せることは無いが、俺の左足と重治の仇をとるためには必要なピースであった。

 もちろん季光の帰京が実現しなかった場合も事は進んでいたが、圧倒的にこちらが楽だ。

 なんせこの男の証言をもとに裏を取っていけばよいだけだからな。


「橘屋は商品の仕入れを理由に、紀伊畠山領内の数少ない整備された港から定期的に堺に船を出している。今回はそれを利用して京に運び込む手はずだ。さすがに実家には戻せぬから、山科の東に空き家を借りた」

「手筈は完璧、か。さすがは慶次だ」

「普段はこんな回りくどいやり方はしないんだがな。俺も護衛としてあんたや重治殿を守れなかったことの責任は感じている。今回だけはやれるだけやってやる」

「頼もしいわ。普段からそうであればよいのに」

「それだけは聞けねえな」


 ガハハと笑う慶次であったが、突如として御者の「やぁ!」という声とともに馬の歩が止められ、笑う声が遮られる。


「如何した」

「いや、少しばかり橋の上に人が多くてな。あの調子で走っていたら誰かしらはねていたやもしれん」

「そういうことか。まぁ何事もなければそれでいい」


 ちなみにここ五条橋は、鴨川に架かるいくつかの橋の中でもっとも巨大な橋である。理由は単純で人の往来が最も多いゆえ、一度目は織田家の、二度目は幕府の命で修繕・改装された。

 しかし歩みを止められ馬たちはいっこうに走り出さない。どうしたものかと小窓から外を見てみると、たしかに橋の端に何事か大勢の民が集まっている。


「俺が向かいましょう」


 如信はそう言って、護衛の1人に馬を任せて集まりの中へと駆け寄っていく。

 俺はジーッと小窓からその様子を見ていたのだが、人の集まりが割れた瞬間に騒ぎの中心がわずかに見えた。

 何やら高札のようなものが掲げられている。それを読むために人が集まっていたらしい。しかしこのような人々の往来がある場所かつ、馬車や大型貨物の運送をしている者たちが多い五条橋に立札など、明らかに交通の邪魔になっている。これは高札を張り出した者のミスであった。

 そんなことを考えていると、人の束より如信が疲れた様子で戻ってきた。

 そして馬にはまたがらず、まっすぐ馬車の中にいる俺に報告に来る。


「政孝様。あれは剣術自慢の挑戦状でございました」

「剣術自慢の挑戦状?なんだそれは」

「橋の欄干に巻き付けられるような形で掲げてあった高札のようなものに『我、日ノ本無双』と書かれており、下に日の本一の剣術家の名を賭けて一騎打ちを受け付けるとも書いておりました。勝った者には『日の本一の強者』である称号を。負ければ得物を置いて行けと」

「…得物を置いていけ?まるで弁慶だな。いや、それゆえに五条橋なのやもしれぬが」

「その日ノ本無双は橋の向こうで挑戦を待ち受けているとのことでございます」


 これは明らかに京の治安を乱す行為である。

 そもそも竹刀や木刀で戦うわけではないであろう。得物を置いて行けということからもなんとなくそんな気がした。つまり血が流れるわけで、さすれば物騒な連中だって引き寄せてしまう。

 こういうことになるゆえ、俺は早々に幕府直属の治安維持隊を結成したいのだ。前に話した(仮)京都見廻組のような組織をな。


「まぁ現状であれば京都所司代である前田殿に報告すべきであろうが」


 しかし明らかに如信も、そして慶次もその日ノ本無双の男に興味津々である様子。声色からも、そして馬車の前方から発される強烈な闘争心の気からもなんとなく感じる。

 だがここで俺が許可を出せば、結局血が流れることになるだろう。それは俺も、そして公方様も望むところではない。


「見なかったことにするゆえ、『日の本一の強者』の称号を得るか?」

「よろしいのでございますか!?」


 如信はダメもとであったらしい。俺が許可を出したことに驚き、そして目を輝かせた。

 一方で慶次からは大した反応が無い。ここは後輩である如信に譲るということなのか。もしくは…。


「見なかったことにするってことはある程度妥協をする必要があるってことだろ」

「その通りだ。さすがにこれだけ人の目がある中で流血沙汰など容認できぬ。俺が黙認する条件は相手を殺さぬこと、大量の血を流させぬこと」

「これまた難しいことを…」


 相手は日ノ本無双を自称する男だ。そのような相手に、ただ勝つだけではなく大量の制限が課されている。

 いくら腕に自信があろうとも、下手をすれば死ぬ。


「如信、俺の得物を貸してやろうか?」

「不慣れな得物であればなおさら厳しいかと。それとも慶次殿は私が真っ二つに切り裂かれている様子を見ることがお望みで?」

「馬鹿な。俺の得物は誰にでも操ることが出来る平凡なものであると同時に、人を殺せぬものだ」


 そういって前方の小窓から何かが差し込まれる。

 俺の目の前をスーッと通り過ぎ、如信の手にその獲物が渡った。受け取った如信が驚きの声を上げる。


「こ、これは!?いったいなぜこのようなものを持ち歩いておられるので!?」

「相手を殺してよいだけの護衛であれば、そのようなもの必要ないのだがな。この男を狙う連中は背後に大物を抱えていることが多いゆえ、決して後ろ盾を喋ることが無くとも捕縛する必要がある。だが俺の力加減だと絶命させてしまうゆえな。気絶させるための殴打の武器も忍ばせているわけだ」


 如信の手には通常の太刀と同じくらいのサイズの木刀がある。

 これであれば突き殺すなどしなければ、大量の血は流れない。つまり俺の条件を普通に戦った上で満たすことが出来る。

 だが問題はただの殴打になるため、相手に致命的な一打が与えられない。

 その辺りの道理を理解できない相手であれば、殴打のダメージでひざを折らせるまで永遠に突っかかってくることになる。もしくは誰かが見かねて止めるか、自身が撲殺される時まで。

 だから選択肢を与えた。

 ここで挑戦を受けて騒ぎを終わらせるもよし、面倒であることを認め京都所司代である前田玄以殿に報告して所司代の兵で騒動を収めるもよしと。


「如何する」

「やらせてください。日の本一の腕前をこの目で見とうございます」

「よし。ならば俺は遠めに見ていよう。必ず勝て」

「はっ」


 如信は馬車を降りたのち、集まる野次馬の注目を集めるように橋むこうへと渡っていく。

 そして挑戦する旨を高らかに宣言した。

 そのおかげで橋に集う人は徐々に橋むこうへと移っていき、ようやく馬車による往来が可能な状態となる。俺たちと同様に足踏み状態になっていた貨物輸送の者たちも安堵の息を漏らしながら、荷車の移動を再開していた。

 やはりとんでもなく迷惑な状況にあったようだ。


「ところでなぜあの剣術家はこのような真似をしたのだろうな」

「さぁ。だがすでに例の計画に関する触れが各大名家を通じて日ノ本全土に広まっていると聞く。今の京には剣術自慢の者たちが大勢いると踏んだのやもしれん。戦無き世で剣術家が名を上げる方法など限られているゆえな」


 しかし如信の腕前はどのようなものなのか。

 いったいどのような戦いになるのか。日ノ本無双を自称する相手との決闘に目が離せないな。

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