1034話 警固衆と警護衆

 室町新御所 一色政孝


 1591年春


 公方様と話を終えた俺は崇伝殿と別行動とした。

 あちらはあちらですべきことがたくさん残っており、こちらにつきっきりではいられない。

 そこで後のことを俺に任せて御所を後にしたのだ。

 一方で俺はとある方々を集めて、会談の場を設けた。声をかけたのは政所執事である伊勢貞興殿と、おおよそ100年ぶりに任命された侍所所司である赤松政広殿。

 政広殿は播磨での織田・毛利の勢力争いに敗れて、同じく京から落ち延びた義昭とともに安芸に潜伏していた人物である。出自は赤松宗家ではなく、龍野赤松家という宗家当主の庶子から生まれた一族ではあるが、今では宗家も滅んだため自称宗家として幕府に仕えている。

 ようは崇伝殿や細川輝経殿らと同様に安芸で京に戻った組で…。いや、戻ったわけではないか。

 主を義昭から公方様へと切り替えたのだ。

 また妹が二条右府様に嫁いでおり、京における後ろ盾もしっかりと得ている。そして何よりも喜ばしいことに、派閥に属していないのだ。安芸からの帰京派閥にすら属さない姿勢を貫いたため、公方様は慣例に従って侍所頭人に命じられたということである。

 ただ先日も述べたように、現在京の治安維持は織田家の京都所司代である前田玄以殿が担っておられる。通常であれば所司に任じられる四家(赤松・一色・京極・山名)の家臣を所司代として置き、実際は所司代が兵を指揮することで京の治安を守っていた。

 ところが長らく所司が不在となり、幕府も安定しない時期が続いた。

 代わりに京の治安を維持していた織田家に相応しい役職を与えたわけであるが、それこそが京都所司代というわけだ。

 過去の形に則るのであれば、所司が赤松家ということは所司代が織田家の人間であることは双方居心地が悪いことであろう。

 赤松家が衰退した原因は織田家であり、赤松の宗家こそ滅んだが、分家や諸流は未だ織田家に仕えているような状況だ。

 そこに経緯が経緯であるものの、所司として赤松が任じられた。織田家としても、赤松家としても内心良くは思っていないであろう。

 そこで取り決められたのが、先ほど公方様が口にされたとある計画であった。


「こうして我らが集められたということは、あの話に進展があったということでございましょうか」

「一色…。政孝殿は何を公方様よりお聞きになられたので」


 一色の名を口にすることが憚られたのか、政広殿は名を改めて呼びなおす。実は先日顔を合わせた時も、一度は一色と呼んでいたが、以降はずっと政孝殿と呼んでいた。

 まぁ播磨のすぐ近くに別の一色がいたゆえ、意識して当然であろう。俺とはまったく関係の無い一色であるのだがな。


「先に言うておきますと、我らは内野に御所を移す計画について聞かされておりますので」

「貞興殿はまことにこちらの尋ねたいことがよくわかっておられる。先ほど話をしたわけであるが、公方様はまだ迷っておられた。時期が今でよいのか。まだ待つべきでは無いのかと」

「私はせめてあの計画を完遂するまでは待つべきであると思うのですが」


 政広殿の言葉に対して、貞興殿は首を横に振る。


「城にしても、屋敷にしても、1日で完成するものではございません。また内野にふさわしく、また幕府としての権威も残しつつとなれば立派なものになることは確実。つまりそれはそれは長い時間をかけて内野に幕府の中枢を築くということなのです。同時に進めても、必ず侍所の計画が先に成りましょう。さすれば公方様を危険に晒すこともなくなる。またこれらの支出はまとめて計算させていただいた方が、幕府の懐を預かる我らとしても非常に助かります。政所の役目はこれだけではございませんので」


「ただでさえ」と貞興殿は口にしかけたが、ここが自室でないことを思い出して、何事もなかったかのように口を閉じる。

 だが寛大な処遇を受けた政広殿にとって、公方様はよほどに特別な御方。

 そもそも公家の懐に入ることの危険よりも、大規模な引っ越しによってどこぞの者かもわからぬ輩が公方様のお傍に近づくことを恐れているのであろう。


「警護衆の設立とその管理を担う侍所。まったくこれまでとは違う組織として成るであろう。また近く、織田様や所司代である前田殿とも話をする機会があるはず」

「公方様よりそういった場があることは聞いております」

「その場で公方様は、あるいは政広殿は織田家を納得させる必要があるわけだ。京の治安維持を担う織田家より、その権利の一部を奪う形になるのだから当然である」

「おそらくそれが一番難しいように思えます。所司代である前田殿は長らく治安維持に努めておられ、また近衛府との関係も良好でございます。今さらそれにとって代わると言っても、前田殿を支持する者の方が多いように思えてなりません」

「それゆえにあの計画をたてたのでございましょう?」

「最も心配なのは公方様のお傍を守る者の身元が様々であるということ。それだけがどうにも…」


 そう。新生侍所に期待されている役目とは、幕府独自の戦力である警固衆を作ること。だが政広殿の説明には少しばかり誤りがある。

 政広殿が懸念していることであるが、実際公方様のお傍を守るのはその者たちでは無いのだ。

 ようは警固と警護の違い。一般的に警護は人を守るためのことを指し、警固は場所を守ることを指す。

 今俺たちが急務としているのは、警固が出来る組織。つまり御所、あるいはその周辺を守る者たちである。

 一方で警護、つまり公方様専属の護衛をつけるというのはまた別の話。

 これまで役割自体が空白となり、政所に大半の権限が統合されていたこともあって、政広殿は独立した侍所の整備を急務とされていた。

 それゆえに小さな勘違いが今もまだ続いている状況であるのだ。

 本来あってはならぬことではあるのだが、こればかりはイメージが出来ている俺や周囲が正していく必要があるだろう。


「政広殿、公方様のお傍を守る警護衆は大名家の子弟が基本。今回の警固衆は基本として公方様の目には触れぬ」

「…そうでございました」

「それゆえに日ノ本全土から剣に自信のある者を多く集うわけである。ある程度選考が必要ではあるが」


 まぁそれでも危険分子が接近を試みることはあるだろう。

 だが公方様はその危険も承知でこの計画を進めておられる。目的の1つは職業選択の自由の幅を広げること。

 貨幣制度の導入に合わせて、納税が米から金へと変化する。民から米を集める必要もなくなるため、農民らを確保し続ける理由もなくなるわけだ。

 まぁそれでも食糧自給の観点から、これからは農民の重要性も上がるわけであるから、そちらの優遇措置なども進められるであろうが、ある種近代化の第一歩のような目的のために、広く警固衆を集うわけであった。


「しかし警固警護とややこしいことは事実。政広殿が混乱されることも至極当然のことかと。まぁ呼び方などいくらでも変わりましょうが」

「ならば仮として、どちらかの呼び方をかえようか」

「今後混乱が生じないようにということであれば。してなんと呼びましょう?」


 貞興殿からの問いに、俺はすぐに答えを出す。

 警護衆を近衛隊とすることも考えたが、五摂家に近衛があり、朝廷内にも近衛府があって、なんとなく呼びにくい。特に近衛家に配慮して。

 そこで俺は警固衆の名称を一時変更することにした。


「御所や周辺を護衛する集団を仮に『京都見廻組』といたそうか。京都所司代のように、その組織の意図が伝わりやすい」

「なるほど…。京都見廻組でございますか。わかりやすくてよいのでは?」


 貞興殿が賛同し、整理をしながら聞いていたであろう政広殿も遅れながらに頷く。

 これよりは京都見廻組の結成を目指して侍所は動き始める。大変なのはその人選だ。本当であれば識字率を上げてからと思っていたのだが、そんなことを言っていてはどれだけ前の話になるのかという話になってしまう。

 公方様の御所移動計画も含め、我々は急速な変化が求められているのだ。物事が急速に動き始めることは、もう仕方がないことであった。

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