1033話 幕府と朝廷の強固な繫がり
室町新御所 一色政孝
1591年春
「まったくおぬしらは。あの法度改正に関してみなに相談したところ、案の定凄まじい反発であったわ」
「やはり。して、誰も賛成の声、あるいは中立であった方はおられませんでしたか?」
「おった。どこにも属しておらぬ者ばかりであったがな」
公方様の言葉に俺と崇伝殿はとりあえず一安心だと息を吐く。
これで完全に幕臣らが敵に回りきってしまえば、いくら貞興殿でもこちらに加担することは難しくなる。
まぁ最初から完全にこちらに乗っかってくるという約束は取り交せてはいないが、それでもある程度は優遇してもよい程度の口約束だけは交わしている状態だ。
「して誰が」
「言えぬ。ここでおぬしらがその者と懇意になろうと手を回せば、勘づいたものに消される危険がある。私にとってもその者は非常に数少ない使える者であることを忘れられては困るのだ。もしどうしても確認したいというのであれば…」
公方様は一度言葉を切り、そして並んで座る俺たちをジッと見つめられた。
その意味をなんとなく察し、再び揃って息を吐く。今度はため息だ。
「我らが顔を出せば、各派閥は間違いなく手を結びます。共通の敵でございますので」
「わかっておる。ゆえに賛成派も中立表明も名を出せぬのだ。その者たちも命がけであるゆえな」
なぜ幕政においてこのような事態に陥っているのか。理由は簡単なもので、公家諸法度以降、公家衆は幕府内の事細やかな状況を知るために密偵を放っているからである。
しかし忍びだとか、間者だとかそういうことではない。
幕臣や大名家より派遣された家臣らによって形成された派閥。それを様々な形で支援し、見返りとして情報を受け取っている。
支援といっても今の幕臣らは一昔前と違って金がある。例えば桂川の関であったり、二条柳町の花街であったり。公方様が幕府の財源を整備されたことで、幕府から禄をしっかり出せるようになったことが主な要因であった。
またそれとは別に、副業をしている幕臣らも結構多い。例えば商いをしてみたりだとか、道場を営んでみたりとか。道場に関してはかなり金が入ってくるそうだ。
京は今や日ノ本の政を担う中心地として返り咲き、逆に言えば常に狙われる危険のある地ともなった。政に関する重要施設や要人が集まっているから当然である。
そこで朝廷であったり、幕府であったりを守るために様々な武装組織が設立されたり、計画があがっているのだ。
ようは史実で言うところの新選組であったり、京都見廻組のようなもの。そういった者たちを鍛えるために道場を営む者が増えたということである。あとは訓練場として場所を貸したりとかな。
一方で公家衆も荘園に関する取り決めによって厳しい状況に追いやられたと言われているが、家業を疎かにしないことで収入を確保、または安定化させることは出来ている。それでも『一部の公家は』と付け加える必要はあるが。
ゆえに派閥の後ろ盾を得るのは資金提供を受けるためではない。
ようは両者ともに互いの情報を欲しているのだ。同じ京でも幕府と朝廷とでは少し場所が離れている。また内裏が閉鎖的であるために、幕府は公家だよりでしか朝廷内の動きを得ることが出来ない。
一方で公家も同様である。幕府の情報を得るためには、現状武家伝奏や昵懇衆経由でしか重要な情報を得ることが出来ない。つまり公家もまた一部の者たちが情報を握っている状況なのだ。
そこで互いに不利な状況にある者同士が結びついた。
ようは両者の中枢から外れた者同士が情報提供をしあうことで、迅速に内側を探ろうとしている。
互いに強い力が働いているために、派閥の考えに反した言動をする幕臣らは命がけだと公方様は言われていた。
「たしかに公家の御方々も実力行使という言葉は知っておられますので」
チラッと崇伝殿からの視線を感じたが、それに応えることも無く賛同者を知る手段を考える。
やはり会議の場に俺たちが顔を出すことは難しいだろう。奴らが意固地になって反発を生めば、余計にこの案が通らなくなる。
それに議論の場に出た時点で公家衆にも話が漏れていることであろう。その漏れ方は間違いなく誤解を生むであろう漏れ方をしていると断言できる。
崇伝殿の改定案はむしろ帝の地位と威厳を守るためのものであり、決してその地位を蔑ろにしているわけでも、そのお立場を悪くしようとしているものでは無いのだが、説明不足で伝われば間違いなくそう受け取られてしまう内容である。
なんせただでさえ行動に制限が課されている帝に対して、さらに制限を加えるような内容であるがゆえに。
「そこで私は1つ策を考えたのだ」
「策、でございますか?」
「うむ。すでに幾人かには相談をしており、先日は中山権大納言様にも考えをお伝えしたところである」
「…いったい何を」
「これからは公武で協力して政に精を出さねばならぬ。しかし我らはいささか離れすぎておるであろう。実際に見える距離と、精神的な距離が。あくまで幕府は朝廷より日ノ本の統治をお預かりした立場であるのだから、幕府の役割をこなす場所も朝廷の組織が集まる場所にともにあるべきである」
「公家衆の懐に飛び込むおつもりでございますか!?」
崇伝殿が声を荒げたが、公方様は穏やかな表情で頷かれるだけである。
しかしこれもまた史実で似たようなことがあった。
豊臣秀吉が建てた政庁兼邸宅。場所は平安京大内裏跡、内野にあった。大内裏とは天皇の住居があった内裏と行政施設であったり国家儀式、さらに年中行事を行う施設が集まった区画を総称している。
それこそ後の世に残されなかった聚楽第だ。残念なことにこの聚楽第は、秀吉の後継者とされていた豊臣秀次の切腹事件に際して徹底的に破却されている。
たしか竣工後たった8年ほどであったかな。
あれはまぁ秀吉が自らの権力をひけらかすような目的があったのではないかとも思うが、今回の公方様の考えは全く違う。
内野に幕府の中枢を置くということは、それだけ幕府が朝廷の意向を汲んで働くことの証明となる。
長らく二頭政治とまではいかなくとも、それでも日ノ本を動かしているのは朝廷という存在がありながらも、幕府が実効支配を担っているという印象であった。というかそれが事実だ。だがここ最近になって朝廷が存在感を取り戻し始めている。ゆえの一手なのであろう。
「こちらに黒い感情が無いことを証明するためにも、余計な動きをされる前に手を打っておきたい。そこで義任に相談したところ、このような提案を残して肥前へと旅立ったのだ。ぜひともおぬしらの考えを聞かせてもらいたい」
発案は義任様であったらしい。
相変わらず世の人々とは違う感性をお持ちなようで、この場におられずとも驚かされる。
「私はまだ時期尚早であるように思えます。今は一部とはいえ、公家の対幕府感情が悪い時期。公方様の御身に何かあれば、今の幕府は立ち行かなくなります。それであれば、せめて例の組織を幕府に組み込んでからでもよいのではないかと」
「崇伝はそう考えるか。政孝はどうである」
「私はよい時期であるように思えます。むしろ今でなければ公家は幕府を受け入れぬかと。崇伝殿からあげられた公家諸法度の改正に関しまして、おそらく悪いように公家間に広まっておりましょう。ですが本来の意図を理解しておられる方々もおられます」
それこそが先に挙げた幕府に近しい存在である公家衆である。
「その方々がどうにか反発を押さえている間に、話を進めてしまうべきでございましょう。今回機を逃せば、実現するのが何年後、何十年後、下手をすれば一生幕府と朝廷がわかり合えないなんてことも」
「しかしいくらなんでも公方様が危険では」
「それゆえに例の計画を早急に推し進めるべきでございます。いくらでも理由はつけられましょう。現にこうして京の治安悪化の影響を直接受けた者がいるのですから」
「幕府直属の京の治安維持、な」
「織田家が一部になっている状況でございますので、その辺りは織田様と相談しながらになりましょうが。その際に重要なことは、織田様を蔑ろにするのではなく、あくまですみわけをしっかりするということでございます。例えば監視する地区を分けるであったり、どこだけは幕府の受け持ちにするであったり。もちろんそうなると、幕府が受け持つべきは内野周辺となりましょうが」
だが織田家は今も変わらず公方様を推す態度を示し続けている。ちゃんと誤解が無いように話せば理解もされるであろう。
問題はやはり一部の公家の意を汲む幕臣らであろう。どうにかその者たちをしたいところであるが、武力行使はこの時代だと大問題だ。
まぁ監視の目は常に置いておかねばならぬであろうな。
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