1032話 九条兼孝の憂い

 室町新御所 一色政孝


 1591年春


「なるほどのぉ。もしやと思っておったが、ぬしも巻き込まれておったのだな」

「伊勢殿にも困ったものでございます。真相を問い詰めたところ、私の力がどうしても必要であるため、仕方なくそのような強硬手段に出たと申しておりまして。最初から素直にそう言ってくださればよいものを」

「あの男は人を信じ切らぬところがあるゆえ仕方あるまい。しかしその代わり幕府に尽くす姿勢は本物でもある。あの男がぬしを必要と思ったのであれば、それが嘘偽りのない本心なのであろうな」


 室町新御所のとある一室。

 政所執事、伊勢貞興殿の手配で実現したこの会談は、俺と、九条大納言兼孝様のたった2人で行われている。

 このような会談が行われていることを知っているのは、ごく一部の御所の人間と貞興殿、そして公方様だけだ。


「しかしこれで麻呂もようやく一息つける。あの者の許嫁探しもそろそろどうにかせねばと思うておったのだ。受けるつもりがないにも関わらず、申し込まれる縁談を断り続けるのも、心が痛くてのぉ」

「さようでございましたか」

「うむ。その辺の者とは迂闊に手を結べぬ。下手に一族に招き入れて、何かされても困るゆえ。その点、似たような敵を持つおぬしであれば安心よ。それに武家と公家のあるべき姿を誰よりもおぬしが理解しておるで」


 兼孝様は公家諸法度の発布以降、長らく表舞台に顔を出しておられぬが、相変わらず醸し出される威厳というかオーラは健在であった。

 そして公家衆の中では、おそらく誰よりも俺と似た思想を持っている。まぁ同じものを目指した信長と長らく協力関係にあった御方であるからこそなのであろうが。

 だからこそ俺も今回の話を前向きに捉えられたということでもあった。

 問題は関白の座を辞された後の九条家は、あまりにも敵が多すぎるということである。敵というのは基本的に俺を目の敵にしている公家と同じであると踏んでいるが、それゆえに一色・九条両家に縁談の話を持ち込んだのであろうな。

 つまり今回の縁談は幕府にとって必要な御家を互いに守り合うように仕向ける貞興殿の渾身の一手なのだ。まんまと絡み取られたが、まぁ美和が安全にいられるのであれば政略結婚としてはなんら問題が無い。

 ただ夫婦関係だけは俺にはどうにもできない。顔を合わせた時、両者が不快に感じない縁で結ばれれば、親としては何の文句もない縁談話であると言えるだろう。


「して、範以殿はなんと申しておる」

「両家に合意があれば、主家の顔色を伺う必要は無いと。京でのことは『こちら』に迷惑がかからぬ程度に好きにすればよいと言われております」

「ならば問題はあるまい」

「娘に関しましては、近く行われる堺沖での我が倅と毛利家家臣、児玉家の姫様との婚儀の折に上洛させることといたしました。そのときにでも、我が娘に会っていただければと思います」

「ほぉ。もう都合をつけてくれたのか。ならば倅にもそのように伝えておこう。場所は京でよいか?難しければ堺にまで出向かせるが」

「恥ずかしい話でございますが、娘は京を一度見てみたいと言っておりまして。婚儀が成ればいつでも見られると我が妻が説得したようなのでございますが、早く見たいと言って聞かぬと」


 まるで誰かと同じである。

 ともに京の町を歩こうと何度も言われていたのに、結局それも叶わなかった。ずっと俺は京に滞在していたのに、危険であるとずっと先延ばしにしていた結果、母は約束を実現する前にこの世を去られてしまったのだ。

 本当は美和を京に迎えることも怖い。危険であることは今もかわらぬゆえに。

 しかし俺と同レベル、いやもっと上のレベルで周囲を警戒している九条家との顔合わせであればまだマシだと決断した。

 美和は今春、初めて京入りを果たす。


「ならば迎えの馬車でも用意しておこう。九条の所有であれば、よほどの世間知らずでなければ手出しなどしてこぬであろう。どうであろうか」

「そこまでしていただいて。大納言様には感謝を申し上げます」

「よいよい。両家はこれより深い絆で結ばれることとなる。これくらいして当然であろう」

「まさか関白を輩出するような名門と縁を結べるとは」


 これはお世辞でも何でもない。

 たしかに武家と縁を結ぶ公家は大勢いたが、今川家は義元公の死後より京とは随分希薄な関係にあった。これは氏真様が武力による上洛の意思を完全に捨てられたからである。

 たしかに東の京として、駿河には以降も大勢の公家衆が下向していたが、あくまでそれは今川家が望んだものでは無い。

 特に甲斐の武田や相模の北条を下してからは、より一層安全な地として人気を博していた。

 それでも将軍家の争いであったり、信長の畿内進出に関して、氏真様は基本的には傍観の構えを見せておられたのだ。公家衆に幸いであったのは、信長が政治利用の道具として公家衆の保護に動いたこと。対義昭感情が最悪であった朝廷全体の動きは、義昭の暴走を制したい信長にとっては非常に使い勝手が良かったということであろう。

 そしてそんな信長と朝廷を結び合わせた御方こそが、目の前の兼孝様なのだ。

 そんな御方が今になって織田ではなく、今川。というよりも一色と結びつこうとされている。

 最近は織田家との関係も疎遠になりつつあるとの噂も耳にしているが、実際のところはどうなのか。

 この年になって湧き上がる好奇心はどうにも押さえられそうにない。


「ところで大納言様」

「こうして顔を突き合わせて話をする機会もそう多くはないであろう。聞きたいことは全て聞くがよい」

「では遠慮なく聞かせていただきます。ここ最近、京では九条様の織田様の不仲が噂されております。九条家と織田家といえば、畿内平定の立役者2人といってもよいほどに深い縁で結ばれていたように思いますが、なにゆえこのような噂が出回っているのでございましょうか」


 信長亡き織田家に興味が無いのか、すでに信忠では頼りなしと切り捨てているのか。

 しかしたしかに存在感は信長が存命していたころよりも落ちたにしても、依然として畿内の大部分を掌握しているのは織田家であることに間違いない。

 そんな者を切り捨てたのか。純粋に興味があった。


「ふむ」


 すぐに答えを聞くことが出来ると思っていた。否定すれば済む話だ。

 しかし兼孝様は言葉を紡がれず、口元を扇子で隠して、何事かを思案されている様子。まるで俺が核心を突いてしまったかのような反応であった。


「ぬしは噂程度に踊らされるのであろうか」

「ただの興味でございます。それにだからといって、織田家にとって代わろうなどと大それた考えは抱いておりませんので」

「当然であろう。麻呂も信忠殿のことは高く評価しておる。比較される男が悪いだけでの。麻呂としては織田家も信頼はしておる。しかし他の公家衆からの評判が悪いこともたしか。信長殿亡き伏見の発展は大きく遅れ始めたゆえ、信忠殿を、織田一門を見下す者たちが多く出始めたことも事実である。あれが普通であろうにな」


 信長の跡を継いで伏見を受け持つのは、織田信秀様。信長の子どもの方の信秀様だ。

 信長の死を隠さなければならなかったあの時期に、機転を利かせてよく対応されていた印象を俺は持っているのだが、公家の評価は随分と低いらしい。


「麻呂としてはかわらぬ付き合いをしていたいところであるが、今は倅にとっても重要な時期。信忠殿とはひっそりと繋がりを続けているが、あまり表立っての関係は無いと言える。麻呂を関白にまで担ぎ上げてくれた信長殿には申し訳ない話であるが」

「なるほど。そういった事情がございましたか」

「おぬしであれば敵も多いが味方も多い。関係を持ちたい公家も多いゆえ、此度の話を受けたという側面もある。何よりも今川家が再び京に関心を持ってくれるやもしれぬ。あれだけの影響力を持っていながら、御一家であることを理由に京の事情に深入りせぬことは勿体ないであろう」


 公方様は積極的に言葉を発されぬ。

 基本は聞く姿勢を大切にし、幕臣らの言葉を聞いて決断を下されることが大半だ。氏真様や範以様の危惧していることは、今川家という御一家の発言が贔屓によって認められたと噂されることである。

 公方様にそのつもりが無くとも、先進的な国づくりを目指す俺たちの発想はなかなか受け入れられない異端の考え方だ。

 それを公方様が認められれば…。それゆえに今川家は未だに幕府からの職の任命を受けず、ひたすらに幕政からも距離を取っている。代わりに鎌倉公方様の補佐はしているが、それも朝廷から与えられた官位で身分を相応に上げている状況。

 また京に滞在している俺や幽斎殿はあくまで私的な相談役だ。幽斎殿にいたっては、それが本来の目的ですらない。

 だが兼孝様はそんな今川家も幕政に参加させたいようである。俺と九条が縁戚関係になれば、範以様を本格的に幕政に参加させることも可能なのではないかと踏んでおられるらしい。


「この縁談によって殿が確実に関心を持たれる保証はございません」

「構わぬ。あくまでそちらはついでよ。おぬしだけでも十分に影響があるゆえな」


 とのことであった。

 まぁ俺にそれを強要させるつもりが無いと言っていただけただけで満足だ。俺も朝廷との確かなつながりは欲しかったし、古い付き合いである勧修寺家や万里小路家は外戚として迂闊な行動が出来なくなった分、政治的な話をすることもなかなか難しくなった。

 その点で言えば九条家ほど適切な距離にいつつ、なおかつ敵味方が似たり寄ったりの公家もいない。

 貞興殿はまことによいところに目を付けたと思った。やり方だけが気に食わないが。

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