1028話 一癖ある政所執事 伊勢貞興
京愛宕郡伊勢屋敷 一色政孝
1591年冬
「次は消されますぞ」
伊勢屋敷の主であり政所執事である伊勢貞興殿は開口一番不吉な言葉を告げた。
その言葉に俺も、そして隣に座っている崇伝殿も口を開くことが出来ない。
「そ、それはいったいどういった意味の」
「その言葉の通りでございます、崇伝殿。そしてその対象は政孝殿のみならず、崇伝殿も含まれております。お二人とも敵は幕府に公家に寺社に多くおられますので」
「俺からも1つ。なぜそのようなことを政所執事である貞興殿が把握しておられる。明らかに幕府の政務には関係の無いことであるように思えますが」
「若狭に追いやられ、兄も殺された私にとって、幕政への復帰機会を与えてくださった公方様は生涯をかけて恩を返さねばならぬ御方でございます。その公方様がお二人のことを気にかけておられましたので、持つ人脈を使って調べ上げることは当然の話。幸いこの立場は朝廷と深い関わりのある方々と繋がることも出来ますので」
こともなげに言われるが、実際に朝廷内の動きを把握することがどれだけ難しいことか。誰も巻き添えを喰らいたくは無いから、積極的に告げ口をしたくないのだ。
かつて俺を襲撃してきた事件についても、協力してくれたのはそれなりの地位を持つ公家衆ばかりで、地位の低い公家らは断固として口を閉ざしてきた。
だから有力な情報は協力者である大炊御門権大納言様の証言であったり、京から逃れた四辻季満からしか得られていない。
にもかかわらず、貞興殿はすでに情報を握っているという。
「その情報もとについて尋ねても?」
「すでに許可は得ております。近く政孝殿や崇伝殿が会談、あるいは密会を求めるやもしれぬと。お二人とも快く引き受けてくださいました」
「ちなみに信頼できる御方でございましょうか?いざ訪ねて襲撃されるということは?私はともかく、政孝殿は足も悪いため逃げることも難しく」
崇伝殿の問いはある種失礼にあたるものである。
貞興殿の情報源を疑いにかかっているのだからな。だが貞興殿は一切気にした様子もなく、ただ少しだけ真面目な表情を崩して頷いた。
「もちろん。何と言っても彼らは幕府と懇意にしている昵懇公家衆でございます。武家伝奏である中山権大納言様と同様に信じてもよい側の御方々であると私は確信しておりますので」
「なるほど。情報元は昵懇公家衆でございましたか」
「如何でしょうか?この情報、信じるに値するとは思いませんか?それに実際に襲撃されずとも、警戒は必要でございましょう。それこそ政孝殿は一度襲撃された身でございますから」
そう言った貞興殿はすでに動かぬ俺の足を見た。
たしかにそうだ。襲撃計画がある。またはそういった兆候があると分かっていれば、これからの行動も大きく変わるであろう。
しかしそうなるとなおさら気になることがある。
「ところでそのような情報を得ていながら、なぜこれまで警告をしてくれなかったのでございましょう」
「あくまで私が勝手に調べたことでございますので。それに政孝殿を守るといった役目は政所執事にはございません」
悪びれた様子もなく告げる貞興殿に、崇伝殿もやや引き気味であった。だがたしかにそうだ。
貞興殿には俺を助ける理由が無い。これまで大した関わりも無ければ、多少の因縁すらもない。
そしておそらく一番大きな理由は…。
「それに政孝殿は幕政をかき乱す存在でございますので。誰が正しい、間違っているを抜きにして、政孝殿の存在は幕臣らの心と独占欲をかき回すのでございます。それを押さえ、不満を解消させるのは私の役目。政孝殿がおられなかった昨年は非常に快適でございました」
「ふむ。たしかに俺がいなければ連中も鎮まろう。だが最近も問題は起きたはず」
「えぇ。私が考えを改めたのはまさにその時でございました。というよりも私の考えが甘かったのでございます。政孝殿がいなくなれば次に起きたのは誰が公方様からの信頼を勝ち取るのかという派閥闘争。先日の天草・島原の代官任命を巡って、各派閥は醜い争いを繰り広げました。挙句の果てには私に直談判までしてくる輩まで出てきました。私の役目はこれだけではないというのに、長時間部屋に居座り延々と説得を試みるのです。それがどれだけ鬱陶しいか」
ゲンナリとした様子の貞興殿。歳は政豊よりも下であるにも関わらず、やけに年を食って見えるのは苦労に苦労を重ねたからであろう。
まぁ京からの追放に加えて実兄の殺害、信長や公方様による権力争いなど、とにかく振り回された末にここにいるわけだ。
戻ったと思えば今度は幕府再建、派閥闘争とあちらこちらを奔走している。
顔にその苦労が浮いて来ても、なんらおかしなことではなかった。
「そこで考えを改めました。若輩の私では公の場で彼らを制する力があっても、裏ではそれをどうすることも出来ません。というよりも、引き下がらぬのでございます。であるならば、共通の敵である政孝殿がすべてを破壊してくださればよいのではないかと。政孝殿がいずれ私と個人的な繋がりを得ようとすることも読めておりましたし、必要な情報を常に手に入れていれば必ず良い関係を築くことが出来ると確信しておりました」
「腹の裏まですべて説明してくれたようであるが?」
「隠し事は誰しも嫌うものでございます。かつて人ではないと言われ、恐れられた政孝殿であってもそれは同じであると考えましたが、違いましたでしょうか?」
ここまでの会話でよくわかった。
御所で見ていた政所執事貞興殿は猫をかぶって大人しくしていただけなのだと。本性は本物の性悪である。
だがそれと同時に嘘がはけない男なのだということも理解は出来た。
「間違ってはいないな。今の貞興殿の言葉に嘘偽りは無く、だいたいこちらが聞きたいことも自ら話してくれた」
「信じていただけたようで安心いたしました。さて、では情報元についてお伝えいたします」
俺と崇伝殿は一度無言で視線を合わせる。
今命を狙われているのは俺だけではなく、崇伝殿も同じだ。決して俺だけに関係する話ではないと、崇伝殿も理解していた。
「その情報元は日野権大納言様と、広橋権中納言様でございます」
「その2人、広橋の兄弟であったか?」
「えぇ。日野権大納言様は広橋権中納言様の兄でございます。ちなみにお二人とも幕府を非常に好意的に捉えておられ、崇伝殿はよく知っておられると思いますが、公家諸法度の編纂に日野権大納言様も関わっておられます」
「そしてあれについても、実はこっそり相談しておりました」
こそっと崇伝殿が付け加えた。“あれ”とは帝に課す法度制定というか改定案のことだろう。
「お二人とも昵懇公家衆という立場でございますので、幕府はもちろん宮中でもそれなりの地位を保持しており、色々なところにも顔が利くと。その中で幕府の中にある厄介な勢力についての悪口も耳にすると仰られておりました。それこそがまさにお二人のことでございます。しかし残念なことに、暗殺を企てている者にまではたどり着けぬと。巧妙に姿を隠しているのでございましょう」
はぁと息を吐いた貞興殿は茶を口に含んだ後、ジッと俺を見ていた。
「これより先は政孝殿次第。ご兄弟に密会を申し込まれることも1つ。無い話だと無視することも1つ。襲撃を待ち受けることも1つでございます」
「待ち受ける、な」
「さすがにそれは危険でございましょう。やはりここはお二方に。日野権大納言様であれば私の伝手を使って場を用意することも出来ます。あちらの立場もありますので、あまり公のものには出来ませんが、それでも」
ありがたい提案だった。
でなければまた近衛様を頼らなければならなかっただろう。
「ならばここは崇伝殿にお願いするとしよう。昵懇衆であれば幕府に害ある行為を進んでするとも思えぬゆえ」
その時、わずかに貞興殿の口が開いた瞬間が見えた気がした。
なんと言ったのか、はっきり聞き取れたわけではない。だが口の動きから察するに「害があると判断されるやもしれませぬが」であろうか。
やはりこの男は本心を隠せぬのだな。とても似ているわけではないが、どことなく俺とやり口が近いような気がしてならない。
そんな表情をされたら、なおさら味方として引き込みたくなってしまうわ。
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