1027話 政孝と崇伝 2人の嫌われ者

 山城国愛宕郡 一色政孝


 1591年冬


 公方様からの用件を終えた俺は、その足で愛宕郡にあるとある場所を訪ねていた。

 こちらは元々交わしていた約束であったのだが、伏見の屋敷につくなりお迎えがあったため、予定を大幅に遅らせてもらったのだ。


「お久しぶりでございます、政孝殿」

「まことに。しかし最後に見た時に比べて随分と背丈が伸びたような気がするな」

「比べて政孝殿は老けたような気がいたします」

「いうようになったではないか」

「この1年でよく揉まれましたので。主に幕臣の方々から」


 そう言って笑う崇伝殿。

 蟄居を受ける前より少しばかり関わりのあった俺たちは、同じ一色の家系であり、幕臣から嫌われているという点、そして公方様の私的相談役という同様の立場であったことで意気投合した仲である。

 まぁ一色は一色でも、崇伝殿のところは旧義昭派に属していた幕臣の一色家系であるが。


「して寺社諸法度の方はどうであろう。色々と苦労しているという話は公方様からも、それに風の噂でも聞いていたが」

「当時想定していたよりも順調でございます。やはり有力な寺社からの支持を受けると、話が一気に進みます。一方で渋る方々はやはり中央との関わりをなかなか手放せぬようで。まぁもし賛同いただけなくとも、ある程度の理解を頂ければ強行いたしますよ」


 この男、史実では家康の右腕として、江戸幕府の法の立案・外交・宗教統制を担い、その権勢の強さから「黒衣の宰相」という異名を取っていた。

 出自は一色家。父親は幕臣である一色秀勝という男だ。この秀勝の兄が義昭の信頼する側近の1人であった一色藤長で、義昭を唆して操っていた人物の1人である。

 それを知ったとき俺は距離と取ろうと思ったのだが、話してみると随分と親しみやすい好青年であり、また頭をよく幕臣や他の大名家の阿呆と話すよりも気分が楽であった。

 それゆえにこうして屋敷を訪ねるほどの間柄になったのだ。

 だが親しくなった目的は他にもあった。この男、まだ20を超えたばかりであるというのに、大役をいくつも仰せつかっている。

 その1つが寺社諸法度の制定に向けた諸寺社に対する理解、牽制、そして起草である。

 この世界では俺が中心となって作った武家諸法度・公家諸法度であったが、これまた史実では崇伝殿が起草したものだ。

 俺はそれを参考にこの世界の両法度の制定を進めた。いくらかあった欠陥と、この世界線だからこそのズレに適合するように。


「しかし此度政孝殿を屋敷に招いたのは、寺社諸法度の制定に関わる話がしたかったからではございません。もっと人に聞かせられぬ話をするためでございます」

「人に聞かせられぬ話だと?それは俄然興味が湧いてくるではないか。いったい何を企んでいるのだろうな」

「まずはこちらをご覧ください」


 そう言って手にした紙をサーッと俺の目の前に広げた。

 そこにはびっしりと文字が書き込まれているのだが、どこかで見たことのある文言ばかり。


「これは公家諸法度の制定文か」

「さすがに理解がお早い。そして今回私が起草したのがこちらでございます」


 そう言って手渡しされた紙。これにもまたびっしりと文字が書いてあるのだが、明らかに先に見せられたものとは違う点がある。


「禁中にまで制限を課す、か。たしかに良い案ではあると思うが」

「時期尚早とは言われませんよね。いくら京から距離をとっていたとはいえ、公家諸法度の発布によって生じる危険については政孝殿も理解されておりましょう」

「それは当然だ。この法度の制定を進めていた時、何度も頭をよぎったのだからな」

「発布から1年がじきに経ちます。この法度の穴に気づく公家衆はそろそろ出てきましょう。まさか殿下がこれを悪用するとは思えませぬが、方法はいくらでもございますので」


 正直に言えば、幕府と比較的よい関係を築いている親一条派閥内でも不満を持つ公家は多い。

 賛同を表明したのはあくまで現関白殿下と前関白、そして帝とその周囲だけである。まぁすべての公家の意見など聞けぬゆえに仕方がない部分ではあるが、これによって親一条派閥からも不興を買っている。特に一条派の西園寺の一件もあったゆえ。一条派閥には五摂家・清華家などの有力公家が多く属しているため、帝に接近することも可能なのだ。恐れ多いことではあるがな。

 崇伝殿の穴とはまさにこのことである。

 現状の公家諸法度では公家の不正を取り締まることは出来ても、帝が絡めば不正も何もなくなる。いくらでも好き勝手が出来る状態になってしまう。

 歴史を遡ってみても、帝が公家やら僧やらの操り人形になった事例はいくらでもあるため、たしかに早々にこの穴を潰す必要があったのだが、そのためには恐れ多くも帝に向けた法度を押し進めなければならないというわけだ。

 江戸幕府のときは、幕府と朝廷の間に力関係が生じていた。ゆえに「禁中並」など出来たのであろうが、この世界ではそのような関係ではない。

 むしろ朝廷と幕府は協力関係にある。そのような状況でのこれは、両者に修復不可能な亀裂を生じさせる危険があった。だから制定当初も踏み込めずにいたのだ。


「反発はどの程度と予想する」

「凄まじいほどに」

「…まずは幕府内でこれを通すことが大変だな」


 そうため息を吐くと、崇伝殿は二ッと笑顔になった。


「待っていたのでございますよ。嫌われ者が戻ってこられるのを」

「俺にすべて丸投げしようと?」

「それでは手柄の独り占めではありませんか。嫌われ者はここにもおります。嫌われ者2人がいれば、怠け者の幕臣などいくらでも跳ね除けてしまえることでございましょう」


「そうでしょう?」と首をかしげる崇伝殿にはよほど自信があるようであった。

 もちろん俺も権力にしか興味が無い幕臣に負けるつもりはない。むしろ完膚なきまでに叩き潰して、しばらく口が開けぬようにこらしめてやりたいくらいである。

 だが1つ問題があった。

 それは幕臣の中でも比較的俺たちを好意的に考えている人物らが相次いで京を離れているという点。

 晴豪殿は義種様の側近であったことで幕府での立場もそれなりであった。それに三淵の家系であるという点もプラスに作用していたゆえに、心強い味方の1人だったのだ。

 また幕臣の常識人枠、蜷川親長殿の不在もかなり痛い。旧義昭派派閥をそれとなく押さえてくれていたのだが、今では暴走を止めることが出来ない。

 そして何よりも、天下の副将軍の地位を得られた義任様が晴豪殿とともに島原に向かわれたというのが…。


「負かす自信はあるが、より迅速に事を運ぶために幕府内に協力者が必要ではある」

「協力者、でございますか。まことに必要でございますか?」

「周囲が敵だらけだと、1人負かしても次々と立ちはだかる者が出てくる。それだとどれだけの時間を費やしても、永遠と阿呆の相手をすることになる。ゆえにそれを抑え込めるだけの力を持つ者を味方とする必要があるのだ」


 若いころの経験談である。

 周囲がとにかく敵だらけの俺は、泰朝殿や氏俊殿、元信殿を味方とすることでアンチ一色を跳ねのけてきた。

 今回も同様である。

 そして適任者をすでに1人見つけていた。これまではあまり関わりが無かったが、間違いなく現体制における有力者だ。


「そこで目をつけている男がいる」

「ほぉ、政孝殿にそこまで言わせる男がいるのでございますか?いったいそれは」

「政所執事、伊勢貞興殿だ。あの男であれば幕府のために、日ノ本のために動いてくれる。安易な取り込み策は不興を買うだろうが、しっかりと説明し理解してもらうことが出来れば強力な味方となることは確実であろう」


 伊勢家は政所執事を何人も輩出している名門中の名門。今代の政所執事もその実力を十分に持っており、また最優先が幕府の円滑な運営というだけあって、派閥争いでの無駄な足の引っ張り合いを酷く嫌っている節がある。

 どこの派閥にも属さない有力者という協力者探しの中で、これほどまでの適任者がいるのだ。味方にしたいと考えてもおかしなことではない。


「なるほど、政所執事を。勝算はございますか?」

「まぁまずは親睦を深めるところからであろう。急いては事を仕損じるとも言うしな」

「それはごもっともで。私と政孝殿が親睦を深められたように、貞興殿とも良い関係を築くことができれば良いのですがね」

「何か土産を用意しておくとしよう。これについての話も、貞興殿が味方となってから具体的に詰める。味方がいなければ、これはただの絵空事よ」


 絶対に協力者無しでは成しえないのが、この起草文である。公家統制をより厳しくする。

 間違いなく反発が生まれるであろう。

 そのためには同じ痛みを幕府も受ける必要があると俺は考えている。まぁ大変な騒ぎになることは目に見えているがな。

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