1026話 相談役の復活

 室町新御所 一色政孝


 1591年冬


「待っておったぞ、政孝」

「この度は大変ご迷惑をおかけしました。この政孝、態度を改めて誠心誠意自身の役割を努めることをお誓い申し上げます」

「…そうは言うても、性格はそう変わらぬ。また好き勝手するのであろう?」


 疑わしいという目を向けられると、本心を晒さなくてはならない。相手が公方様であるのだから当然だ。


「殿や公方様にご迷惑が掛からない程度に控えるつもりでございます」

「まぁ、そういうことであろうと思っておった。やり過ぎぬようにな」

「はっ」


 俺が素直に頷いたからか、随分と満足そうな表情の公方様であった。

 だがそれよりも、いつもは傍におられる義任様の姿が見えぬことが気になった。かわりに義種様が控えておられる。


「ところで昨年は色々あったようでございますが」

「うむ。まずは政を取り仕切る者たちの態度を改めさせるために、上に立つ者の心得を示した。武家諸法度、公家諸法度はいずれもそれなりに役割を果たしていると思うておる。が、一方で幕府の目が届かぬ場所をいかにして見張るかという問題が出ておるな」

「公家諸法度は発布当時に西園寺家の御当主様がそれに該当し、処分を下されたと思いますが」

「当時の公家からの反発は凄まじかった。よりにもよって功績も多い右近衛大将であったゆえ。しかしいきなり例外など作れぬゆえ、朝廷にはいろいろ配慮しながらも強行したものよ。だがそれのおかげで幕府が本気で取り組んでいるという証明になった。以降は反発こそあれど、法度を犯す者は想定よりも少ないと思うておる。やはり目が届いていないだけやもしれぬが」


 そう言って公方様は一度ため息を吐かれた。

 遠方の大名家に目が届かぬのであればともかく、幕府と朝廷は目と鼻の先にある距離。そこすらも…。という感情なのであろう。

 だが元々朝廷はその動向について公にされない部分は隠したがる。

 まぁ自分たちは帝に仕える特別な存在だと思っている節があるからだな。ここに幕府が介入してきて、自分たちを制する法度を出したのだから反発はするだろうし、さらに動きを隠そうと画策することは当然である。また公家とつながりの深い武家の人間をどうにか自分たち側に引き込もうと躍起になっているという。

 例えば幽斎殿なんかはその最たる者。公方様の近くに仕えており、さらに俺の代役という立場からも意見を出しやすいと思われていたのであろう。話を聞いている限りだと、随分昨年は苦労させられたとか。


「ならば寺社諸法度に関しては如何でございましょうか?政教分離を行ううえで、これもまた早急に行うべきであると思うのですが」

「当然であるが政から自分たちの勢力が排斥されることを嫌がっている寺社の関係者は多い。当時対立していた本願寺や興福寺が身を引いたからと言っても、依然として力の強い寺社は多いゆえな。そこでやはり延暦寺の力を借りるべきという話が持ち上がったのだ。最も手っ取り早いのが、本山やそれに近しい地位を持つ寺社の同意を得ることであるという結論に至ったゆえな」

「延暦寺は天台宗の総本山でございますな」

「さすれば従う宗派を賛同に持って行くこともできると思うておる。幕府としても恩を売ることが出来る。言い方は悪いが、当時比叡山の焼き討ちを命じた2人はすでにこの世の者ではなくなっておるで、あの者たちも頷きやすかろうと」


 当時比叡山延暦寺の焼き討ちを命じたのは信長と長政の2人。上洛途中にある邪魔者として、近江統一と若狭・越前進出の最中に焼き討ちを決行したのだ。

 史実同様に多数の死者を出したこの一件で、織田家は長らく天台宗の各宗派から恨まれることになる。

 だがまぁ、結局協力者であった義昭や教如についていけぬと、当時の天台座主は早々に頭を下げたが、あの頃は状況が一切好転しなかった。

 それはつまるところ、京の支配者が信長と言っても過言では無かったからだ。比叡山は京と近江西部に位置するゆえ、どうにも互いに居心地が悪かった。

 さらに当時の天台座主の生家が、世襲親王家であったこともまずかった。帝の頭を悩ませ続けていたという事実もあり、なかなか復興のお許しが出なかったわけである。

 しかし流れは怨霊騒ぎ辺りで変わった。

 あの怨霊を鎮めることが出来るのは、やはり延暦寺のみであるという声が上がり始め、加えて幕府が義種様を派遣してその声を後押しした。

 結局この声に抗い続けられなかった中務卿、伏見宮邦房親王殿下は再び伏見宮家より天台座主を出すことを条件に、比叡山への再興を認められたのである。良かったのは、この際に幕府が誠心誠意対応に当たったこと。

 おかげで随分と良い心証を得たようで、政教分離にも積極的に介入してくださるとのことだ。つまり次期天台座主とされる御方は政教分離、寺社諸法度を支持してくださるという。


「臨済宗の一大門派である南禅寺派は崇伝の力もあって賛同してくれておるし、その南禅寺が別の派閥へも働きかけてくれておる。近しい有力寺社には同様の手段を用いて懐柔していくつもりよ。ただここで1つ問題がある」

「寺社諸法度は本来寺社に対して、その心持ちを示すものでございます。適応されるのは日ノ本にある寺社のみ」

「ようわかっておる、さすがは政孝よ。こうなると少し特殊な立場にある南蛮寺がこれに当てはまらぬのだ。ならば別にこやつらにだけ法度を出すべきか?」

「とは言っても関わる部分もありましょう。むやみやたらに法度を出せば、特別締め付けられているように映り、余計な反発を生むと思われます。例えば肥後や肥前のような出来事が、さらに広い範囲で起こるやもしれません」


 これまでとは全く違う宗教観に魅かれる者は多かった。

 俺たちが想像していた以上に、伴天連への改宗者は日ノ本全土を見ても多い。ゆえに、というわけではないが、奴らの動向については警戒するに越したことはない。

 また政豊に聞いたのだが、大友家より九州の信徒らが不審な動きをしているから注意をしているという旨の文が桂様に届けられたそうなのだ。

 そうなると史実よりも随分と早い島原・天草一揆がおきるのかもしれない。これがいったいどういった意味合いで噂されているものなのかはわからないが、どう考えても日ノ本のためにはならぬことが目に見えている。


「ならば如何する」

「すでに我が殿より話があったと思います」

「…あれ、か」

「日ノ本の同盟相手、そろそろ見極める時期が来たのかと。そもそも宣教師らとの関係は同盟とは別でございます。奴らは日ノ本にとって何か益を運んでいるわけではございません。商人の行き来は、この宣教師らとは別であると考えるべきでございましょう」

「しかし宣教師らと約束を交わしたからこそ、彼らは船を入れるのではないか?」

「宣教師と交わした約束を商人らが守っておりません。守られているのは監視の強い大名家での布教活動の制限のみ。これでは約束などあってないようなものでございましょう。それに日ノ本の国内を全く別の思想で塗り替えられている今、我らはまことに利を享受しているのでございましょうか。このまま事態を放置していれば、この国の在り方が根底からひっくり返されます」


 決して伴天連禁止令を出したいわけではない。やはり信仰の自由はあるべきだと思う。

 だがそれは宣教師や、異国の商人が自由に日ノ本を荒らしてよいという話ではないことを改めて奴らに知らしめねばならぬ。そこで都合が良いのがイングランドだ。

 あちらは国だ。

 これこそを同盟という。


「いっこうに宣教師の背後にある者たちから遣いが寄越されません。つまりそれ以上の関わりを奴らは望んでいないのでございます。一方でイングランドは国内の学者をはるばる遠き日ノ本にまで派遣し、国交を樹立するために奔走してくれました。態度を見ても、どちらと手を結ぶのかは明らかであると思います」


 問題は奴らがどれほど日ノ本の政に干渉してくるかだが、スペインやポルトガルの者たちと違って、まだ日ノ本に人員を送り込めてはいないはず。

 今のうちに法を整えて、体制を整えておけば問題もない。すでにずぶずぶに入り込んできている先に挙げた両国よりはマシであろう。


「…その話、幕臣らの前で出来るであろうか?」

「もちろんでございます。なんのために私がこれまで恨まれ役を買ってきたのかと」


 ようやく戻ってくることが出来た。

 公方様の前に到着するまでもさんざん見られたが、これからさらに多くの視線に晒されることになるだろう。

 そして恨み言を吐かれながらも俺は俺の役目を全うする。

 極力公方様や義種様にヘイトが向かないように努めねばならぬな。あまりにも革新的な第一歩であるがゆえに。

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