1024話 本当の味方とは
今川館 今川氏真
1590年秋
「政孝の怒りはもっともでございます。そこですぐさま公方様にこの事実をお伝えし、早急に対策を練ってもらうべく」
「具体的にはどうしていただこうと考えておるのだ」
「ぐ、具体的にでございますか?それは…」
まだ日も昇ったばかりであるというのに、範以より話があると身支度を急かされた。
部屋に迎えたところ、範以の背後には政豊も控えているではないか。つまり何か政孝がやったのだと思ったが、どうやらやらかしたのは政孝ではなかったようである。
「公方様は今川からの言葉であると動いてくださるであろう。しかし公方様の一存で物事を決めることが出来ぬのが今の幕府である。大名家の子弟はもとより、多くの武士が幕臣として仕え、様々な思惑が入り乱れているのだ。その中には当然南蛮人と深い関わりを持っている者たちもいるであろう。奴隷売買禁止を破る愚か者を取り締まることについて反対はされずとも、影よりコソコソと妨害を受けるであろう。ならば最初から具体的な策を提示すべきである。そうは思わぬか、政豊」
「はっ!その通りでございます」
「で、政孝は何か申しておったか?」
すがるような目で範以も政豊を見ていたが、無情にもその首は横に振られた。あからさまに落胆した様子の範以に申し訳なさそうにしながらも、政豊は麻呂の顔を正面に見る。
「ただ殿の御意思に従うのみであると。私はその御意思をお支えせよと命じられております」
「とのことよ。つまり政孝はそなたに期待しているということであろうな。いったいどのような手を打ったとしても、政孝はこれ以上介入してこぬということ。ただ選択によっては落胆するやもしれぬが」
少し意地悪を言うた自覚はあった。
しかしこれはこの発布を願い出た今川をコケにしたも同然の行いである。当主である範以が強い姿勢を示さねば、大名家の中で唯一幕臣を出していない今川の立場は悪くなる。
何故幕臣を出していないのか。子弟というのであれば、我が弟の長得か次子の高久を送り込めばよいのだが、結局のところ今川の立ち位置は今も昔も同じである。我らは足利御一家として、幕府より職を預からぬ。もしもの時に備えて、外からお支えすることを今も忠実に守っているのだ。
それゆえに政孝も公方様の個人的な相談役としてお傍にあっただけであるし、幽斎もその政孝の跡を引き継いだだけという扱いである。
「それにしても、この文は随分と」
つい先ほど麻呂も読んだ文を見た市がおかしげに笑っている。
その行動に、余計に範以が青ざめる。
「ここまで文字に感情が乗ることも珍しゅうございますね、殿」
「麻呂も同感よ。よほど腹がたったのであろう。もちろん麻呂も同感であるがのぉ」
「下手なことは出来ませんよ、範以殿?」
市は茶化す様に範以に語り掛けるが、もはや当人にそれを受け流す余裕もない。
そもそも蟄居を命じてからもう3つの季節を越えた。その中で直接文を届けてきたことは1度もない。
あの堺での騒動が完全に巻き込まれたものであると判明した時ですら、蟄居を解くようにという嘆願はなかった。
しかし此度の見聞に関しては、商船護衛団が大井川領内に戻ってすぐに対応を求める文が寄越されている。範以が慌てふためくのも少しは理解するし、同情もする。
しかしここで麻呂がでしゃばるのは違う。今川の当主として、御一家の1つとして、範以のためにも自ら決断せねばならぬのだ。そのためであれば、多少は…。
「じ、実は1つだけ気になる話を、京滞在中に聞いたのでございます」
「気になる話?それはいったい」
「前の駿河で起きた金の略奪事件に関わるものであるのか断言はできませぬが、宣教師らがしきりに御所へ金を運び入れているという話を」
「それは麻呂も耳にしておる。有名な話であろう?それゆえにあの事件の黒幕も」
「それだけではございません。忍びらが京に潜伏して得てきたものでございます。宣教師らの狙いは献金による布教活動の優遇要請ではなく、明国打倒の挙兵を催促するものではないかというものでございます。またここ最近の話でございますが、桂に宛てて大友より何度も文が届けられております。その中で肥前や肥後といった大友の監視が行き届かぬ地の伴天連の徒らが不審な動きをしていると」
「…幕府を動かすために一揆でも起こそうというのか」
「わかりませぬ。ですが前の奥羽での一揆では異国の力を借りることが出来ましたが、もし信徒らを動員した一揆でも起こされれば、それは南蛮人らも敵となる危険がございます。すでに大友家として公方様や、他近隣の大名家に注意喚起がされているはずでございますが、何事もなく終わるとも思えません」
政豊の様子を見る限りでは、その九国の情勢については初耳であったらしい。
ならば今は範以の目と大友からの文だけが頼りであるか…。
「このような決断は下したくなかったが、時も無ければ余裕もない。此度だけは麻呂から助言を授ける。それをどう生かすかはすべてそなた次第である」
「はっ!一言一句聞き漏らすことなく、心に留めさせていただきます!」
「南蛮人との関係はたしかに日ノ本に多大なる利をもたらしてきた。それゆえに公方様はあの者たちの要請に強く出ることが出来ずにおる。それは圧倒的な技術力の差を見せつけられてきた歴史がそうさせるのだ」
「はい」
「しかしあの者たちとの関わりに国としてのものはなにもない。文化や宗教を与えられるだけでは、いずれ日ノ本は乗っ取られかねぬ。それゆえに麻呂からの提言である。日ノ本は間違いなくいんぐらんどと手を結ぶが吉であろう。彼らは国として、日ノ本と手を結ぼうと動いておる。はるか遠き地の島国であるいんぐらんどと、東洋と呼ばれている地域の島国である日ノ本。両国が互いに手を取り合うことで、異国の宗教に乗っ取られかかった状況を打開すべきである」
すべては政孝からの受け売りである。
それも何度か監視を名目に派遣した長得を介した。しかし理解が及ばぬ部分が多々あったとしても、無知ながらに一理あるとは思えた。
いんぐらんどの者たちと日ノ本の水軍から見ても、技術的な戦力差は歴然であったにも関わらず、あの者たちは対話による同盟を選んだのだ。十分にこの状況を打開するだけの効果はあるであろう。
「聞けばいんぐらんどという国は、宣教師らを支援している国々とは険悪な仲であるとか」
「ようやく見えてきたようであるな。これまで外とのつながりが極端に無かった日ノ本であるが、これを機に外に目を向ける好機であろう。そして国として、まことの同盟を結ぶべきはどこであるのか。公方様にはよく考えていただくがよい。日ノ本が日ノ本の民のためにあるためにどうすべきか。我ら今川は公方様のお考え、御意思に従うのみである。そうであろう、範以。そして政豊よ」
「その通りでございます、父上」
2人が部屋を出て行ったあと、「結局口を出してしまいましたね」と市に言われてしまった。
しかしこれでよかったのだ。
なんせ、あまりにも我らの与えられた時間は少ない。ただの少しも無駄になどしていられぬのだから。
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