1023話 南蛮人と奴隷

 小山一色屋敷 一色政孝


 1590年秋


 ダンッと凄まじい音が鳴り響き、正面に座る政豊の表情が青ざめたのちに固まる。

 だが俺が怒りに任せてこぶしを畳みにたたきつけたのには、それなりの理由があってのこと。

 あまりにも腹立たしい出来事に、頭で考えるよりも先に手が出てしまっていたのだ。


「甚平からの報せはまことなのだな」

「そ、その目で見て、さらにルソンに商いに行っている商人からの証言も得たと申しておりました。間違いなく、日ノ本の民が奴隷として南蛮人らの手に渡っております」


 何度夢だと思っても、どうやらこれは現実で間違いないらしい。

 あれだけ伴天連の布教許可に際して、日ノ本の民を奴隷にしない旨を約束させたというのに、それでも奴らはやるのだ。

 ちなみに元々奴隷売買に言及したのは氏真様と信長の2人。奴隷売買の禁止について、当時は今川・織田領内に限って有効とされていた。他の大名家には干渉できなかったゆえに仕方がない。上杉などは宗教恐怖症に陥っていたゆえに、なかなかに厳しい監視が行われたようであるから、そういう意味で言うならば今川・織田両家と同じ道を歩んだとは言えぬであろう。

 しかしこの奴隷売買禁止に関する触れは奥羽での一揆よりも前に、幕府より日ノ本全土に通達されている。組織的、個人的の両方で奴隷売買を禁ずるというもの。

 奴隷として買うことも、奴隷を売ることもどちらも禁止されていた。ゆえにこれを破れば、大名家であれば土地寄進禁止令と同様に厳しい罰が下されることになる。

 にもかかわらず、依然として奴隷が奴らに買われているのだ。これほど気分が悪いことはない。


「…奴らの見境の無さには反吐が出る。とことん我らを馬鹿にしているようだな」

「如何いたしましょうか。これほどの大事、迂闊に人任せにも出来ませぬゆえ」

「これは俺が首を突っ込んだゆえに知りえた出来事である。俺から殿に一筆したためる。その後どうされようと殿にお任せいたす。それに従え」

「かしこまりました」


 せっかくいい気分であったのに。

 政豊と鶴姫の婚姻の儀が来春、堺の沖合で執り行われることが決まったのだ。来年であるから蟄居も解けて、俺もこの目で見届けることが出来る。

 その報せがつい先ほど今川館より届けられたばかりであった。しかし入れ替わりでやってきた政豊の口からこれだ。気分はどん底である。


「この1年の蟄居が本当に無駄な時間を過ごしていると実感する。公方様のお傍にあれば出来ることもたくさんあったというのにな」

「例の騒動も奴らが口から出まかせをいっているだけで何の関係もなかったようでございますし」

「ならず者に南蛮人に。いい加減にしてほしいものだ」


 蟄居の原因となった堺のならず者ども。宗仁に頼んで飛鳥屋の人脈を動員、さらに堺奉行である浅野殿の助けを得て真実にたどり着いた。

 結局、ただ名のある商家を口にすることで、名声で信用を勝ち取っていただけとのこと。

 これまでに使用した名はたしかに一色保護下の商人であったが、昌成の調べでは取引をした記録も接触した事実も無かったとのこと。

 特に堺への直接の訪問が無い昌友の正室の実家である組屋などは本当にいい迷惑である。いくつもの商家が一色家からの調査のために、商いの手を止めることになったのだからな。

 もちろんその賠償は生き残った連中から搾り取ってやるつもりであるが。


「早く年が明けぬものか。公方様に直訴して、奴らとの関係を今一度改めていただかなければ」

「上手くいきましょうか」

「あの噂がいよいよ真実味を帯びてきた。というかほとんど事実であるとのことだ」

「落人もそのように申しておりました」


 俺も栄衆や屋敷を訪ねてくる商人らの話をもとに色々考えてみた。

 あの黄金献上の話がまことであったとすれば、いったい何を目的であの時期に公方様に直訴するのか。

 1つ1つ整理し、いらぬ情報と必要な情報を精査する。すると見えてくるものが1つだけあった。


「南蛮人らのまことの狙いは日ノ本をどうこうということではない。奴らの本当の狙いは大陸の王である明国だ」




 室町新御所 足利義任


 1590年秋


「李氏朝鮮に怪しげな動きがあると」

「宗家の外交僧である玄蘇曰く、異国排外主義を掲げる者たちが現在李氏朝鮮の政を執っております。ここでいう異国とは南蛮人だけではなく、日ノ本や琉球もそれに含まれているようで」

「それゆえに日ノ本の船を襲っていると」

「おそらく実害は出ていると思います。公方様のお耳にも少なからず届いているのではないでしょうか」


 公方様に頭を下げる柳川調信は、対馬宗家の重臣である。此度こうして京にやってきたのは2つの重要な報せを公方様にお伝えするため。

 1つ目が今まさにしている話であった。

 李氏朝鮮が宗家との間に結んだ貿易協定を反故にしようと画策していること。これに加えて、倭寇討伐を謳いながら日ノ本や南蛮人の商船を襲っているというものである。


「その東人らとは良き関係を築けそうにないのだな?」

「試みたようですが、まったく聞く耳を持ってもらえぬと。これ以上、彼の国に留まり続けるのは危険であると、多くの商人らがあちらの店を畳んで撤収してきております」

「ふむ…」


 公方様の表情はずっとさえないままである。


「またこういった難しい情勢に置きまして、宗家中では義智様では対応することが難しいと判断され」

「ちょ、ちょっと待つのだ」

「なんでございましょうか、義任様」

「難しいも何も、それをどうにかするのが当主の、そして対馬守護に任じられた義智殿の役目であろう。それをそうも簡単に」

「仕方が無いのでございます。これまでもそうでございました。対馬を含む一大事は全てご隠居様が…。いえ、当主である義調様が収めてこられました。ゆえに此度も義調様がその御役目を引き受けると」

「…そのこと、義智は納得しているのであろうな?」

「もちろんでございます。宗家におきましては、万が一など決してございません」


 その言い方がどこか癪に障る。当人にその意があったのかは不明であるが、同族で争った過去のある足利を揶揄したものとも受け取ることが出来る言い方であった。

 公方様は穏やかな表情で頷かれていたが、これが感情を制すことが出来ない者であればどのようなことになっていたか…。


「ご当主様は此度の騒動につきまして、まずは公方様にお伝えすべきであると私を京へ派遣されました。また李氏朝鮮国内にある日ノ本との関係を維持しようと主張している派閥を支援する策も講じております」

「他国への干渉には限界もあろう。それに李氏朝鮮は対馬からいくら近いとはいえ、海の向こう側。いったいどうするつもりであろうか」

「李氏朝鮮とのつながりはとにかく商人でございます。商人を介して、東人派閥に対する西人派閥に対して資金援助をいたします。ことを起こすには十分な、それだけの資金を流し、再起へのきっかけとしていただこうと考えております。ですがこれは一か八かの、あまりにも危険なもの。対馬を任してくださった公方様に策実行の決定をしていただきたく」


 いきなりの相談に公方様は口を閉ざされる。

 昨年のことであったが、明への出兵を求めるコエリョ司祭の時も同様の表情をされていた。

 そもそも公方様は国内の政には凄まじい手腕を発揮されているが、外のことともなるとどうにも弱い。そしてそれは大半の幕臣も同様であった。

 ここで頼りになるのが何故か異国事情に詳しい政孝であるのだが、現在は堺での騒動を理由に蟄居の身である。助けを借りることなど到底出来ぬ。


「先ほども申した通り、すぐに決定をくだすことは出来ぬ。他国への介入など、一歩間違えれば日ノ本が滅ぶことに繋がるゆえ」

「もちろんでございます。私はご当主様より公方様の結論が出るまでは京に滞在するようにと命じられておりますので、宗家の京屋敷がある山科の屋敷に留まることとなります。結論が出ればいつでもお呼びください」

「もちろんである。しかし話はもう1つあると申しておったが、それはいったい」


 公方様からの問いに、柳川の顔はまた一段と引き締まったように見えた。

 そして深く頭を下げる。畳にこすりつけるように。


「対馬守護代にあった佐須景満が李氏朝鮮の商人より不当に金を受け取っていた事実が判明いたしました。これは両国の協定違反に該当するものであり、義智様が自らの口で問われ、事実関係を認めたため切腹の刑に処しております。また佐須の一族も同様にその恩恵を得ていたため、厳しく罰しました。現在対馬の守護代は空白となっております。そこでこちらを」


 そうして背後より持ち出された1通の書状。

 私が間に入って公方様にお渡しする。


「ふむ。守護代をおぬしにするように求める文であるな」

「私であればこの対馬が置かれた難しき状況を、ご当主様と打開することが出来ます。金に目がくらむようなこともなく、ただ一心に宗家をお支えいたします。それに私に肩書があれば、李氏朝鮮との間を取り持つ際にも便利でございます」

「すべては対馬の、そして日ノ本のためであると申すのだな?」

「その通りでございます!」


 たしかにこの柳川という男は熱心に主家に仕えている。それはそれほど長い付き合いでない私でもよくわかる。

 だが仮にも公方様が守護代と定めた男を勝手に処罰するとは如何なものか。それだけ対馬の民として赦せぬことであったと言われればそれまでであるが…。


「あいわかった。そなたを正式に対馬の守護代として任命いたす。ただししばし京には留まってもらうことにはなるが」

「ありがたきお言葉でございます!」

「しかし守護代任命のためにはみなの理解を得る必要もあり、そして朝廷にも話を通さねばならぬ。想像以上に待つことになるやもしれぬ」

「戻れば対馬のために働くことが出来るのでございます。それがわかっているのですから、少し待つくらいであれば何の苦にもなりませぬ」


 柳川はたいそう喜んでおった。

 しかしそれよりも、やはり気になるのは李氏朝鮮のこと。もっと情報を集めたいところであるが、いったい我らはどうすればよいのだろうか…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る