1022話 異国語話者の育成
小山一色屋敷 一色政孝
1590年秋
「父上、甚平らは無事に和泉まで戻ってきたそうでございます。加えて納屋殿が心配していた通り、賊の襲撃にあったとも」
「で?」
「戦果は上々であったと、先んじて送られてきた者は申しておりました。また不審な動きがあったことから、大量の捕虜をとっているとも。どうやら正体は大陸の人間であったとのことでございますが、漏らす言葉に一貫性が無いとのことでどこまで信用してよいものやらわからぬようだと」
「そうか。して政豊はなんと?」
「捕虜に関しては一色の成果でございますので、幕府には引き渡さず大井川領に連れ帰るようにと。ですが兄上は明らかに困惑しておられました」
「まぁそうであろうな」
俺は甚平の使いが持ってきたという文を見ながら頷く。この報せ通りであれば、政豊が困惑するのも無理はない。
なんせ奴らの証言をかき集めた時、その背後に浮かんでくるのは朝鮮半島の王朝、李氏朝鮮か倭寇の二択であるからだ。
李氏朝鮮は日ノ本に最も近い異国であるため、九州と朝鮮半島のちょうど間に位置する対馬の宗家が朝廷・幕府の命で関係を取り持っている。さらに李氏朝鮮は陸続きにある明の冊封国であり、明と対倭寇で同盟を結んだ日ノ本とはどうしたって良好な関係を築くべきである。
にもかかわらず、日ノ本の商船を襲っていた。
明が対倭寇での協力であるならば、李氏朝鮮は貿易協定を結んでいるのだが、商船を襲っているとなるともはやその行動の意味が分からない。
「幕府にこの話はもちろん通しているのだろうな?」
「京に滞在中の昌友を介して、留守役の細川殿に話を通していると。おそらく近く
公方様の耳にも入るかと」
「よし。やるべきことはすべてやっているな。ならば捕虜を連れ帰ることも問題はあるまい。無いが…」
「それとこれは文に書かれていなかったことなのでございますが、何やら甚平が一大事を持ち帰ってくるとのことでございます。内容については伏せておりましたが」
「厄介ごとがまた増えるのか」
俺の問いに政則は小さく頷いた。
しかしその顔には「父上がそれを言うのか」と書いてある。俺の不幸体質については、おそらく菊や直政からも聞いているであろう。
だが勘違いしてほしくないのは、俺が厄介ごとを持ち込んでいるわけではない。むこうから転がり込んでくるのだ。
俺が欲していると思われるのはどうにも心外である。
「まぁ、それは戻ってきてからだな。とりあえずは無事に航海を終えたことを喜ぶといたそう」
「その通りでございます。私も甚平らからの土産話が楽しみでございますので」
「なぁ、政則よ」
「なんでございましょうか、父上」
「いずれは外の世界をその目で見てみたいと思うか?此度甚平が行ったように」
政則は上の兄弟らと歳が離れすぎているために、そして乱世の最も落ち着いたころに物心がついたものであるために、伸びた才も持つ興味も少し特殊であると思っていた。
此度の新船造船に関しても、大半の者らが西洋諸国と渡り合うだけの戦力となるのかと頭を悩ませていた中で、政則はこの船で外の世界を見る日がくるのかと楽しみにしているようであった。
菊より厳しく言い聞かされていたために、試験航行に乗船したのもたったの1度きり。1度見た、下船する際の悲し気な表情はなぜか脳裏に焼き付いている。
「それはもちろんでございます!日ノ本の外の世界を見た者は未だ少なく、またどのような世界が広がっていたのかと伝える者はほとんどおりません。外の世界からやってきた宣教師らとはそもそも価値観や文化が違うため、話を聞いても具体的に想像することが出来ませぬ。ならばこの好奇心を満たすために、自らの足で外の世界を見たいと思うのは当然の考えであると思います」
「母に反対されれば如何する」
「いつまでも母上に言われたことに従うだけの子供ではおれません。父上もそうは思われませぬか?」
そういわれると、俺としては頷くしかない。
まだ15であるが、もう立派な考えを持つ大人になっていたようだ。だからといって、即座にそれを許すわけにもいかぬが。
「ならばまずは学ぶところから始めねばなるまい。船のこと、異国のこと、そして」
「そ、そして?」
「言葉だ」
「言葉、でございますか。ですがそれは通詞がいれば」
「自身が話せればそちらの方が良いに決まっている。奴らはまだまだ俺たちを下に見ている。傍にいる通詞が味方であるかどうかなどわからぬぞ?」
コタローに関しては一応信用はしているが、英語はともかくスペイン語・ポルトガル語なんていうものは、正直嘘を吐かれたところで暴きようがない。
ゆえに信用の出来る通詞というのは、異国と付き合ううえで最も確保を急ぐべきものである。
史実で幕府が締結した諸外国との条約は不平等極まりなかった。あれは圧倒的な武力差に尻込みしたという話だが、こういう言語の壁を利用した不平等条約の締結もあり得る。自前の信用できる通詞は絶対的に必要不可欠な存在であると俺は考えていた。
「伴天連の教徒らは、聖書の意味を理解するために言葉を学んでいるそうだ。ゆえに伴天連に寛容な態度を見せている大名家の領内には、さまざまな施設がある」
「そういえばそのような話を聞いたことがございます。伏見にもあるのでございましたか?」
「あぁ。伏見は織田・今川領内で唯一港以外で活動が認められた地であるゆえな。そこには教会やら学び舎やら、とにかく色々建てられている。しかしあくまで学び舎で得られるものは聖書を理解するための知識であり、南蛮の者たちと対等にやり取りするための言語や文化を知る場所ではない」
せっかく良き先生がいるのだ。
まだしばらくはその時代が来ないが、イングランドの時代は必ずやってくる。その際には絶対的に役に立ってくれるであろう。
それに一色領内は、例の金略奪騒動があったあとでも依然として異国の商人らが大勢入ってくる。監視されているかもしれない危険を冒してでも、この地にやってくる価値があるということ。
だからスペインやポルトガルの話者も確保できる。
「いずれ領内に異国の言葉を学ぶための場所を用意する。もちろん通常の学び舎も用意するつもりであるが」
「…そのこと、兄上は」
「異国の話者の方はまだ伝えておらぬ。だが必ず賛同すると思うぞ」
ここ最近は南蛮人とのトラブルが増えてきている。
駿河での騒動など始まりに過ぎなかったのだ。
商人らから聞いた話によると、肥前では幕府によって禁止された土地の寄進が未だに続いているようで、龍造寺や島津などは取り締まりに躍起になっている。
一方で大友家はそのあたりを上手く管理している。まぁ御家としては長い付き合いである上に、九州では最も伴天連に理解のある大名だ。
あちらの者たちも益ある者との関係悪化は望まぬということなのやもしれんな。
「日ノ本の言葉だけ扱ったところで、異国で通じぬのであればその手段を確保しなければならない。相手にこちらの事情を押し付ければ、それだけ嫌悪感を抱く。そうであろう?」
日ノ本国内にある南蛮人嫌い、とはまでは言わないが、いまいち友好的な関係を築けないのは言葉の壁と、政に干渉する邪さがあるからだ。
だからまずはこの問題からどうにかすべきである。いずれ異国の言葉を学ぶ場所はどんどん増えることになるだろう。
宣教師はどうかわからないが、異国の商人らは喜ぶものも多いはず。協力もしてくれるであろう。
「まぁたしかに…。私もそこで学ぶわけでございますね」
「そういうことだ。なんならコタローがこちらに戻ってから、少しでも教えを乞うてみればよい。日ノ本の言葉は当然のごとくわかるゆえに、とっかかりやすいやもしれぬでな」
「かしこまりました。では頼んでみるといたします」
「それがよい」
しかし政則はおろか、他の者も大半が知らぬであろうな。下手をすれば未だ公方様も知らぬやもしれん。
あのコタローがかつて若狭の大名であったなどとは。
まぁ当人が隠しているのだから、あえて口にもしないが。
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