1020話 ルソンの城塞都市
ルソン島マニラ 甚平
1590年夏
「朔太郎、無断で船を降りた者たちはどうしているだろうか」
「船底で泣いて詫びておりますが、外には見張りを立たせており、聞く耳を持たぬように厳命しております」
「それでよい。我らはただルソン見物に来たわけではないことを全員に改めて伝えるのだ。この地での揉め事は我らだけでどうにか出来る範疇を越えている。依頼主、主家、下手をすれば幕府や朝廷にまで話が行く危険があるのだ。もう二度と勝手をさせぬように」
「かしこまりました!」
助左衛門殿からの忠告を受けた私は、このまにらという地についてすぐに護衛団に船から降りぬように命を下した。
ところがやはりというべきか、物珍しき光景にこっそりと船を降りようと試みる者が続出したわけである。その波を止めるために、実際に下船した者たちを捕えて船底に監禁している。
次に日の光を浴びることが出来るのは、大井川港についたときになるであろう。
「しかしあれが都だというのか」
「…都というよりも、あれは城でございます。城壁が町をぐるっと囲んでおりますので」
此度の護衛船団新設にあたって、私の副官に命じられたのは元商人の朔太郎である。若くして父親の死の跡を継いだが、商いの基本を教わる前に逝ってしまわれたために何も上手くいかず、商売も立ち行かなくなったとのこと。
その後、家族を養うために一色家の使用人なったとのことであるが、護衛団長である兵助様に見出されて一色護衛船団に属することになった。聞いたところによると、今の給金があまりにも良すぎて、商人をしていた時よりも家族は良い暮らしが出来ていると喜んでいるとのこと。
そうなると苦労した末に死んでいったという親父殿が不憫であるが。
「町を囲うほどの財があるということか。いや、そのようなことは調べずともわかるな」
「私が乗っていた納屋の者に聞いたのですが、あの壁は明の海賊に対抗するために築き始めたものであると。そのうえ、まだ完成していないようでございます」
「あれで完成していないのか。いったいどれだけのものになるのか」
また次に来る機会があれば、さらに完成に近づいているのであろうか?それはそれで楽しみであるが。
「学ぶべきことが多いです。しかし我らしかこの地に来ていないのがもったいないところ。昌成様は無理でも、誰か政に理解ある御方が1人でもいれば、持ち帰る成果も多くなりそうなものでございますが」
「本当は勘吉殿が来れれば良かったのだが、あちらも色々と忙しくされているゆえな」
「殿の縁談でございますね。目出度きことではございますが、ご隠居様のことを思うと手放しには喜べぬといいますか」
「そのためにこの船を堺にまで出すというのであろう?例のないものである上に、殿不在の政を一手に担う昌成様の負担は計り知れない。そうなると銭の管理を受け持つ勘吉殿が城を離れられぬことも仕方がない」
「若様も見たがっておられましたが」
朔太郎の言葉に私は「はぁ」と息をこぼす。
「そのようなこと、小山の御方様が認められるはずもなかろうに。若様がいんぐらんどとの演習を見物される日は、いつも小山の屋敷で無事に戻ることを祈っておられるとか」
「噂ではご隠居様の蟄居が無ければ、港にまで様子を見に行くつもりであったなどという話も」
「所詮は噂よ。それにそのようなことをされれば、若様のお立場が無い。小山の御方様の出自は甲斐の名門である武田なのだぞ?そういった周囲への気遣いなど、幼い頃より徹底して教え込まれたであろうに。真実かどうかもわからぬ噂に踊らされぬようにな。私は朔太郎が首だけになっているところなど見たくもないゆえに」
無責任な発言は避けるべきである。
今の朔太郎に悪意が無かったとしても、そういった噂を利用しようとする輩はわんさかいる。特に今の一色家は一心に妬み嫉みを受けているゆえに。
一方で注意をされた形となった朔太郎は自身の首筋をさすって、顔面を真っ青にしておった。
まだ若い故に自覚が足らなかったのであろうな。
戦場に向かうことが無い護衛団であるとはいえ、一色水軍の一角である。そこの一船団の副官が不用意な発言をするという意味を。
「そ、そういえば納屋の者たち、随分と時間がかかっているようで」
「たしかに。港に入って随分と経つが…。何か揉め事にでもあっているのであろうか」
手すりの近くに立ち、目下に広がるまにらの港町を見る。
そこら中に日ノ本でない者たちがおり、聞いたことのない言葉が飛び交う。日ノ本の民とは違う見た目の者たちが行き交う。
まさに異様な景色であるが、上から見れば助左衛門殿らを見つけられると思っていた。
しかしいっこうに納屋一団の姿が確認できない。
おかしいと身を乗り出したところ、納屋一団とは違う日ノ本らしき民を見かけた。それも首に縄をかけられ、随分とみすぼらしい格好で並ばされている。
「どうかされましたか?」
「朔太郎、あれどう思う」
「あれ?あれとは…」
私が指をさした先にいるのは、朔太郎よりもさらに若い日ノ本の民らしき大勢の子供。それが異国の者たちによって並ばされている。
その扱いはまるで、南蛮人らが日ノ本にやってくる際に連れている奴隷そのものであった。
しかし伴天連の宣教師との協定により、布教活動は認めて日ノ本の民の奴隷売買はどのような事情があったとしても禁止とされていたはず。
「かどわかされたのでございましょうか。あれはどう見ても、奴隷でございます」
「…日ノ本との取り決めを破っている者たちがいる。この事実は何よりも優先して持ち帰るべきであろう」
「兄者、あの者たちを助け出さぬのでございますか!?」
朔太郎の目は怒りに震えていたが、それこそ今手を出せば大事になること間違いない。
我らの行いがたとえ正しかったとしても、事情を知らぬうちに手を出すことは非常に危険である。そして船から降りることを依頼主から推奨されていない現状、降りて情報収集することも出来ない。
我らはあの子らを見捨てるしかないのだ
「我らは義を全うする武士でございます」
「義というものは何をしてもよいという便利な言葉ではない。ここにある義を優先した結果、恩義ある一色家に迷惑をかけてもよいというのか」
「ですが!それに義に篤いご隠居様であれば、殿であればきっと」
「…ご隠居様であれば動かれぬ。殿であれば動かれるやもしれぬが。それでもあからさまな方法は取られぬであろうが」
ご隠居様もまた日ノ本のために動いておられる御方である。
ご隠居様の勝手は今川様や幕府、さらには朝廷にまでご迷惑がかかるやもしれぬ。そのような状況で、感情に任せた行動にでるとは到底思えない。
「とにかくここで行動を起こすことは禁止とする。船の上から出来る限りの情報を集め、それを持ち帰って殿にご報告いたす。それが船団の全権を預かった私からの命である。異論はあるだろうか?」
悔しそうに唇をかみしめる朔太郎。
しかし長の言葉を拒絶することは出来ない。異論があるか問うたが、実質決定事項である。これは朔太郎に納得させるための猶予であった。
「…ありませぬ」
「ならば出来るだけ人を集めて状況を正確に書き記せ。絵と文字、それと助左衛門殿が戻られれば、そちらからも事情を聞かねば」
「彼らはどうなるのでございましょうか」
「さてな」
私の言葉を聞いた朔太郎は無念そうに手すりを叩いて、私の前から離れた。散らばっていた船員らを集めて、状況を共有している。
私を冷酷な男だと位置づけたこと、おそらく間違いない。
しかし私の責任は助左衛門殿の無事の帰還に加えて、護衛船団の無事も確保しなければならない。そのためには多少評価を下げてでも守るべき一線というのは確かに存在しているのだと、今この瞬間に痛感した。
「助けてやりたかった…」
この言葉はきっと誰にも聞かせてはならないのだと思う。
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