1019話 ガレオン船団、外洋に出る
屋久島沖納屋助左衛門商船 甚平
1590年夏
「では甚平様もかつては商人であったのでございますか」
「私に限らず、今回護衛として同行している者たちの多くは商人の子弟がほとんどでございます。頼りなく思われるでしょうが、むしろ商人の子弟であったからこそ、配慮できることもございますので」
今回の依頼人である納屋助左衛門殿。
和泉の商人で、長らくルソン貿易で巨万の富を築くものの、何者かもわからぬ賊に襲撃され続けたことによって、一時ルソンへ船を出すことを辞めていたと昌成様より聞いた。
たしかにこの船を襲い、積載品を強奪すればそれだけでしばらくは遊んで暮らせるほどの宝の山である。もちろん然る相手に売ることが出来れば、であるが。
「心配などしておりませんとも!一色家の護衛船団と言えば、堺や和泉でも評判の高い方々でございますので。なんでも甚平様はその船団長の腹心であるとか。これほど頼りになる方々を護衛として手配してくださるとは、一色の御隠居様には頭が上がりません」
「偉大な御方でございますので。一色家中でもご隠居様を特別な目で見る者たちは大勢おります。特に我らからすれば命の恩人でございますので」
一色保護下の商人とは言っても、暮石屋や染屋、飛鳥屋などのような豪商ばかりではない。我が実家は食うていくのにもやっとのような有様で、そのうえ子だくさんであった父の負担を少しでも減らすべく、自ら一色家の門を叩いた。
似たような者も大勢いるが、そのうちの大半が身内に売られたようなものだと溢している。つまり口減らし目的の出仕。
一色家が定めている商家の保護式目上、武家に仕えることは実家と縁を切ることになる。でなければ、公平な判断であるという前提が崩れてしまうゆえ。
そのため一色家に出仕することは、つまり両親・兄弟と縁を切ることを意味していた。
だからこそ私のように自らの意思でやってきたものはさておき、半ば売られたような扱いとなっている者たちは酷く悲しんでいるのだ。殿もご隠居様もその事実を知っておられるが、食えずに死ぬよりはよいと、たまに聞こえてくる愚痴は黙認しておられる。
本当は尽きたかもしれない命を生かし、そして役目を与えてくださっているのだからやはり恩人だ。
「ところで新型船の乗り心地は如何でございますか?設計図を託したものの、あれだけ大きな帆船をこれほど早く実戦に投入するとなると、諸々不安が付きまとうのでは…」
「堺の港でも聞いたが、随分と南蛮人らがやられているようであるな」
「情報を集めましたが、襲撃が多いのは琉球王国を越えたあたり。近くには高山国があり、どうやらそこが襲撃者の根城になっているのではないかと」
「高山国…。ご隠居様より話は聞いている。現地の民が多く住まう一方で、沿岸部には他の民族が独自に町を作っているとか」
「すでに呂宋のように南蛮の者たちも入植を始めているとか。明に近く、より干渉しやすいからでございましょうが」
「…なるほど」
駿河で起きた出来事についてはひとしきり聞いている。
なんでも甲斐の金山で掘り出された金を駿河に運び込まれる道中、くすねる者がいたとか。複数の下手人を捕えたところ、共通点として伴天連の門徒であった、と。
これがたまたまであるのか。上の方々はそう考えてはおられぬ。政に疎い私であっても分かる。
黒幕は間違いなく異国の宣教師たちであると。
現在宣教師たちに対する信用が急下落である。そういう話がある中での高山国に対する入植。明への干渉。
あまりにも不穏である。
「ちなみに呂宋に入れば、船でお待ちいただいた方がよいやもしれません」
「と言うと?」
「呂宋ではその所有権をめぐって、南蛮人と明人で争っております。なんでも明の帝の気まぐれで、かの島を丸ごと后に贈ろうとしているとか」
「し、島を丸ごと!?なんということを…。呂宋に限らず、これから向かう島にも島民がいるのであろう?にも関わらず」
「明の皇帝とはそれだけ周辺地域に影響を与えているのでございます。琉球・李氏朝鮮・大越・女真など。島を后に贈るなど、あちらでは当然のことなのやもしれません。実際、呂宋では両国間の関係が急速に悪化しております。南蛮の方々からすれば、我ら日ノ本の民と明国の民の区別などつきませんので、船を降りても問題しか起きぬでしょう」
「それゆえに船で待機、か。この目で色々見て帰りたかったが、問題が生じる危険があるのであれば仕方がないな」
「どうかお願いいたします。商人らも随分と気を遣っておるような状況でございますので。そのかわり、珍しい土産を持ち帰らせていただきます。成功報酬としてお持ち帰りください」
「…それはさすがに」
すでに護衛代は預かっている。上乗せとなると、分け前に関してもめ事が発生しかねない。船団内に不和を持ち込むわけにはいかぬのだがな…。
「…では一色の御隠居様への土産を持ち帰りましょう。さすれば問題はございませんよね?」
「まぁそれであれば」
「いくら呂宋での商いで儲けているとはいえ、この護衛船団に乗船しておられる方々1人1人に土産を持たせることは出来ませんので」
笑ってはいるが、本当にそれは尋常でない話である。
新船は安宅船すら比べ物にならないほど大きく、船に乗せることが出来る人数も大幅に増えた。
それが船団として複数。加えて伊豆の南洋に位置している諸島部に向けて動かしていた旧来の遠洋向け船をいくらかで護衛の任に当たっている。
そうなると規模は百をゆうに越えてくるわけで。1人1人に土産など、財力自慢にはなるであろうが、商人としては見返りが出資に見合っていない。
ゆえにご隠居様の土産と言われてホッとした。
「さてさて、そろそろ琉球の島々が見えてくるころでございます。あまり近づき過ぎると沈められますので、方角を見失わない程度に離れることといたしましょう」
「琉球の船団は日ノ本の商船を襲うのですか?」
「…えぇ。まぁごく稀に」
「ふむ?」
歯切れの悪い回答であったが、そのあたりの事情に関してはまったくもって疎い。勉強不足であると言われても仕方がないが、これまで琉球などとは縁も無かった。
護衛の役目も日ノ本の港町から日ノ本の港町であったし、知る必要もなかったのだ。
しかしこうして外に出る限りは、こういったことも知っておかねばならぬ。
今回は助左衛門殿が知っておられたからよかったが、知らなければ我らは琉球の水軍に襲われていた危険があった。
それは護衛を担うものとして、到底知らなかったで許される問題ではない。
「薪水の提供は琉球本島から離れた島々で行っておりますので、一度そちらに寄らせていただきます。その後は一気に呂宋を目指すことになりますので、護衛船団の方々にも入念な準備をお伝えください」
「わかりました。着岸次第、すぐさまそのように命を出しましょう」
それにしても帆船とは良い。
これまで人力で漕いでいたが、これだけ風の影響を受けて進むのであれば人手を別に使うことも出来る。ただ帆がやられた途端に身動きが取れなくなることが難点の1つであるともいえる。
その点、漕ぎ手がいれば動く従来のものは、漕ぎ手が吹き飛ばされなければ沈むまで動かし続けることが出来る。
まぁ沈むかどうかまで攻め立てられれば、それはそれで負けのようなものであるが。
「まぁもう少しゆっくりしていてください。琉球王国が見えている間は賊も襲ってきませんので。問題はその先でございます」
「ならば少しだけ休ませていただきます。何かあればあの者らに言っていただければ」
「はい。ではゆっくりとお休みください。長旅で疲れは命となりとなりますので」
さて、どれだけ休めるであろうか。少しばかり眠りにつけば、ここまでの疲労を獲ることも出来るであろうかな。
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