1018話 対外関係 李氏朝鮮

 対馬国下県郡金石屋形 宗義調


 1590年夏


「養父様!これはいったいどういうことでございますか!?」


 バタバタと足音を鳴らしながら部屋に駆け込んできたのは、つい昨日まで宗家の当主であった義智であった。

 この者、我が養子であるのだが頼りない面が多く、家督を譲ったもののなかなか隠居しきれぬと長らく後見の立場に居座り続けている羽目になった原因である。

 かつて龍造寺が起こした暴走ともいえる見境なき倭寇討伐でも、この者は随分と後手に後手に回った挙句、儂が幕府に頭を下げることでどうにか宗家が持つ特殊な立場を守ることに成功したのだ。

 しかしあのときよりもよほどまずい事態が今起きている。

 その報せを宗家の重臣らから聞いた儂は、即座に家督の奪還に動いたのだ。


「どうもこうもない。おぬしの動きがあまりにも鈍いゆえ、宗家当主の座を返してもらったのだ。なに、事が収まれば元通りよ」

「当主の座はそれほど軽いものでは」

「ならば!なぜこのような事態になっても、一切動きを見せずに傍観に徹しておったのだ!」


 儂の一喝に義智はわかりやすく狼狽えた。

 これゆえに頼りないと隠居できないのだ。そのことがまったくわかっておらぬ。それで言うのであれば、龍造寺の件で儂が動いたことすらもあまり納得していない節があった。

 家中では儂を留まらせようとする者たちと、義智の意思に則り排斥しようとする者で分かれていたが、重臣らが口をそろえて儂を留めていたゆえにこの迅速な当主剥奪が叶ったわけである。


「そ、それは…。ですが直接李氏朝鮮の王の口から聞いたわけでは。もし誤りであったとき、幕府にも、朝廷にも多大なるご迷惑がかかることに」

「すでにかかっていることに何故気づかぬのだ。玄蘇、説明してやれ」

「かしこまりました」


 李氏朝鮮との外交を一手に担うのは、この景轍けいてつ玄蘇げんそという外交僧である。

 李氏朝鮮は明の朝貢国の1つであるが、他の周辺国はさらに下の地位にあると見下している節がある。幾人か外交のために彼の国に送り出したことがあったが、その下に見られた態度に腹を立て、誰も率先して行こうという者が家中にいなくなっていた。

 そんな中で玄蘇は我慢強い外交を展開し、いくつかの制約があるものの貿易に関する条約を締結するにいたったわけである。

 他にも同様の扱いを受けている国々はいくつかあるが、一応形式上はその国々よりも対馬は上とされている。

 元々は日ノ本がその立場であったのだが、今や明と対等な同盟を結ぶ国であるゆえ、いち朝貢国の李氏朝鮮がそれを下に見ることが出来なくなったのであろうな。


「数日間の滞在であちらの中央関係者より聞いた話でございます。現在、李氏朝鮮国内の派閥闘争に置いて、東人らが優位に立っております。東人とはかつて発生した派閥闘争によって誕生した中小の地主を基盤とした士林派を源流とする派閥の1つでございますが、同じく士林派を源流とする西人派閥との闘争において優位に運んでいると。この東人派閥は南蛮の者らを一切受け入れず、李氏朝鮮が築き上げた文化を何者にも汚させないことを主張しております。そしてこの思想は明国がルソンを巡って南蛮人らと争っていることと都合がよく、明国の敵は朝貢国の敵でもあるとして、排除すべきと正当性を主張したうえで王家主導のもと、彼らの東洋進出を妨害しているのでございます」

「朝廷と幕府の意向は、南蛮人と友好的な関係を築くというもの。あちらがどう動こうと、あくまで他国の話であり、我らがそこに関与することではない」

「ならばそこまで危惧することでは」

「甘い!日ノ本の統一以前より、一部の商人らが新たな地を求めて明や李氏朝鮮、琉球以外の国と交易を行っていたのだ。その中で李氏朝鮮が異人排斥を正当化して船を沈めているのだぞ!当然その中には日ノ本の船もあるとなぜわからぬか!」


 すでに実害は出ておる。

 対馬には命からがら逃げ延びてくる者もおれば、沈めてしまえばわからないと大勢が海上で殺されたという話も聞く。

 しかし日和見・傍観を選んだ義智の方針で、この事実を中央は知らぬのだ。これを知っているのと、知らずにいるのでは大きく意味が異なる。いくら我らが李氏朝鮮との関係維持を朝廷より任じられているとはいえ、決して黙認してよいような事柄ではなかった。


「宗室、富山浦での様子は如何である」

「倭人館での商人らの扱いは変わってはおりませんが、一方で商人らの対李氏朝鮮感情はよくありませぬ。すでに彼の国との交易を取りやめて、撤退している者も大勢出ております」

「おぬしは如何する」

「私はまだ引き上げられませぬ。すべての商人が撤退したことを確認した後でないと。それに現地にいるからこそ知りえるものもあるのでございます。義調様の目として耳として働くために、まだ当分は残る用意がございます」


 博多の豪商である島井宗室。博多三傑に数えられるほどの実力者であるが、早い段階で李氏朝鮮との貿易に乗り出し、この対馬にも莫大な富をもたらした男である。

 李氏朝鮮国には倭人館という、倭寇討伐を建前に徹底的に日ノ本の人間を監視するために築いた日ノ本の民が暮らすための区画が存在する。

 かつては富山浦(釜山)や乃而浦(昌原)、塩浦(蔚山)の三浦にあったのだが、乱やら倭寇やらで現在は富山浦のみに限られている。

 しかしそれでも大陸との貿易が出来ると大勢の商人が富山浦の倭人館に集まっていたのだが、ここまで対李氏朝鮮感情が悪くなるような事態が立て続けに起きれば、撤収を視野に入れる者も大勢出てくるであろう。

 そのうち南蛮人と付き合いのある日ノ本の民を、何かしらの罪に問うた上で財産没収などと言われて、弾圧される危険もあるゆえに。

 そんな危険と隣り合わせであるというのに、宗室はあちらに残って儂の目となってくれるという。頼りになると思うのだが、何かあったときに儂は申し訳がない思いで押しつぶされてしまうやもしれぬ。そうならぬように手を打っていく必要があるのだが、それを義智ではまったく頼りにならぬ。

 ゆえにこうして老体の身ではあるが、無理やりな方法で立ち上がったのだ。


「まずは幕府に人をやる。李氏朝鮮の内情を詳しく伝え、琉球よりも南に向かわんとする商人らには朝廷より警告をしていただこう」

「それがよいかと」

「一方で李氏朝鮮の中にある西人らも支援したいところではあるな」


 西人らは明国と対等な同盟を築いた日ノ本をそれなりの地位で接するべきという者たちが大勢属しておる。

 少なくとも東人派閥のように、我らを人以下のものによる国家だとふざけたことを主張する者たちではない。元々は両派閥を抑え込むものがいたのだが、すでに亡き者のことを言っていても仕方がない。


「調信、あの日ノ本統一の祝いを出してもよいと言っていた男は誰であったか」

ファン允吉ユンギル殿でございます。西人派閥より抜擢された正使でございました」


 宗家家老であり、儂の当主復帰に尽力した男、柳川やながわ調信しげのぶは即座に答える。


「あの男はまだ健在か?」

「東人派閥に勢いが傾いた今、ひっそりと息をひそめておられるようでございます」


 玄蘇の言葉に儂は頷く。

 ならば李氏朝鮮内にある協力者を使い、東人派閥の完全勝利を防ぐといたそう。そのためにはもう少し積極的にかの国と関わっていく必要がある。

 一時、一部の大名らが李氏朝鮮の服属を求めると言ったような声を上げていた。間違いなく琉球王国が日ノ本に寄り添ったことが原因の1つであると思われるが、島国である琉球と、明国と陸続きの李氏朝鮮を同列に考えるなど正気ではない。

 いくら彼の国の内情不安があるにしても、相手が大きすぎるわ。なにも積極的に関係を悪化させる必要は無い。

 ただジワジワと日ノ本に有利な状況に持って行くことが出来れば良いのだ。国家の利益を損なうようなことがあれば、我らも無事ではいられぬであろう。この対馬を任された宗家の者として、それだけは決して見逃すことなどできぬのだ。

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