1006話 政則の焦り
小山一色屋敷 一色政孝
1590年冬
結論から言うが、とにかく暇である。
隠居後も方々を駆け回っていた俺からすれば、何日間も屋敷から出ない日など人生で一度も無かった。これは家督を継ぐ前を含めてもそうである。
ゆえに退屈。そんな気持ちを汲んでか、ある程度自由に動くことが出来る者たちが話し相手になってはくれるのだが、それも限界がある。
せめて港に顔を出すことが許されていれば、多少は退屈を紛らわせることも出来たであろうに。
「父上、民から銭で税をとるという話でございますが」
「時間がかかることは誰もが分かっている。その有効な手段を模索するために、日ノ本統一後も武家に領地が残されるのだ。昌成とともに存分に頭を働かせよ」
「かしこまりました。ですが父上はまるでその答えを知っているような。どうして教えてくださらないのでございますか?」
現代の納税システムを知っている俺からすれば、たしかにそれに近しい仕組みを作ることは出来るかもしれない。あくまで理論上は。
だがそれだといよいよ政の中枢は考えることをやめてしまう。
四苦八苦しながらでも、これからの日ノ本の仕組みを考えてこそ大きく発展していくのだ。
最初から答えを出してしまうと、進化はそこまでだろう。あくまで俺は助言をしながら、影よりこっそり口出しする程度に抑えようと決めていた。
「さてな。俺の言う言葉が理解できるくらい大きくなれば教えてやらんこともない」
「それでは遅うございます。日ノ本の統一が成った今、諸々の整備を行うことは急務でございましょう?」
末の子である政則が不満そうに口をとんがらせたが、俺は笑って受け流した。菊との間に生まれた男の子である政則は、一色家の男児の中で唯一側室の子である。
それゆえに焦りが見え隠れしている。
一切妥協は出来ない、と。早く成果を上げて政豊に認められねばならぬと。
しかしまだ年は15になったばかりで、気が逸りすぎているようにも見える。元々はそのようなことを気にするような性格でもなかったのだが、日ノ本統一がもたらした空気感が嫌でもそういった風に性格を変えてしまったのか、あるいは政豊の側室騒ぎが何か心境に変化を与えたのか。
どちらにしても焦る気持ちがよい成果を出すことは稀だ。これまでの経験から言うと、それはもう間違いなく。
「青い青い。諸々の整備と言いながら、周りがまるで見えておらぬ。そのような者がまともに政に集中できるはずがないであろうに」
「み、見えておりますとも!」
「ならば今日、美和はどこで何をしておったか覚えているか?」
「え?美和は…」
「屋敷に来た時、そこで顔を合わせたであろう。菊とも会って言葉を交わしていたと思うが」
間違いなく2人は言葉を交わしていた。それは部屋にいた俺の耳にも届いている。
だがその時からすでに、政則の心はそこに無かった。一刻も早く俺のもとに来たがっていたのだ。
母や妹を目の前にしながら。
「それは…」
「焦るあまり周りが見えていない。そもそも俺も政豊もまだそこまでをおぬしに求めてはいないのだ」
「…わかっております。兄上が私を頼りにしていないことは。それゆえに私はっ!?」
「そもそも弱冠に満たぬ者が何をそれらしいことを言っているのか。まだ周りに頼ってもよい。周りに助けてくれる者たちがいるのだから、甘んじて受け入れておけばよいのだ。そのうち、勝手に頼られる側になっていく」
身の丈に合わない行いは、いずれ周囲を巻き込みながら墜ちていくものだ。一度しっかりと立ち止まって周囲を見渡すべきであろう。
政則にはその時間が必要だ。
本来であればそれをもう少し早くに教えてやるべきであった。俺もまた父親としての役目を全うできていない。
政豊も頼りになる兄弟程度の認識で、決して急かしたわけではないだろうが勝手にそういった関係になってしまったのであろう。
政則がすべて悪いわけではない。
「そこで俺から任を与える」
「に、任でございますか?ですが私には」
「なに。任とは言うても一色家中のことだ。少しこれまでとやっていたことから外れるが、決して無駄なことではない」
「…」
何か言いたげであったが、父親である俺の言葉に真っ向からは抗わない。とりあえず話を聞いてみようという姿を見て、俺は良い子だと笑いかけた。
不満の表情を一瞬見せたが、それでもすぐにまじめな表情になる。
「高瀬とともに水軍衆の監督をせよ。高瀬は昌成の言葉もあって、自ら船に乗ることが許されていない。だが船の上であるからこそわかることもあるであろう。また水軍強化に力を入れている一色の人間として、異国の力を焼き付けておくことも重要である。必ず役に立つ日が来るであろうからな」
「…私が船の上に」
「そうだ。これまで船に乗ったことはあったか?」
「何度か。ですが荷の積み込み程度で、戦いに身を投じたことはございません」
「ならばなおさら良い機会だ。刀や槍をふるう陸での戦とは大きく異なるゆえに、一度は経験しておくべきだ。これは間違いなく言える」
「父上がそのように申されるのであれば」
「そう心配せずとも、お前の一色の人間なのだから間違いなく惹かれるであろう。水軍に力を入れた一色と、海にあこがれを持った武田の血を引いているのだからな」
結局武田家の沿岸部進出は叶わなかったが、信玄公の血縁者のうち数人は海に携わる役目を与えられた。
菊と松様は両者ともに海を重視する家に嫁いだことになる。
また勝頼殿の弟である武田信清殿は越後新潟城を預かり、佐渡からの物資を受け入れるための巨大な港の整備を任された。
周囲の妬みの声なども無視して、今では立派に役目を果たしておられる。
最近は今川領を行き来しているようで、どうにか過去のしがらみから解き放たれたらしい。
「…楽しみにしております」
顔はまだ迷っているようであったが、とりあえずは息抜きをさせることが出来る。
それに何よりも自然な形でそっち方面の情報を仕入れることが出来るようになる。高瀬がこの屋敷に通うことは正直不自然であった。
一方で政則であれば菊も滞在していることから、なんら顔を出すことはおかしなことではない。どこぞでいちゃもんをつけられても、知らんと逃げ切ることも出来る。
法整備などに関しては若い者たちに知恵を絞った貰うつもりでいるが、水軍衆の強化を命じたのはほかでもない俺であるから、最後まで責任は果たしておきたいところだ。
「ではそろそろ城に戻ります。昌成に今の話をしなければなりませんので」
「うむ。まぁ昌成であればすんなりと認めてくれるであろう。高瀬のことも心配しているであろうからな」
「…それと1つだけお尋ねしたいことがございます」
「ん?」
「私はいったい誰を妻と迎えるのでございましょうか。自らの意思でよいのか、あるいはすでに決まった方がいるのか。それだけでも教えていただきたく」
真面目な政則からそのような話をされるとは夢にも思わず、俺は思わずぽかんとした表情をしてしまった。そして冷静に考えてみて、思わず笑みがこぼれてしまう。
「児玉の姫様に影響されたのか?」
「ち、違います!ただ周囲は早くに妻を迎えておりますし、私もいずれとは思っているのでございますが、そのいずれとはいつになるのかと」
「そうだな。…もしや気になる娘でもおったか?」
ほんのいたずら心であった。しかし急激に耳を赤くした政則は、凄まじい勢いで立ち上がって部屋を出て行った。
遠くの方から「また参ります!」という声だけを残して。
「初心なことよ」
「からかっては可哀そうでございます。せっかく政則殿が心の内をさらけ出したというのに」
いつからそこにいたのかは知らないが、久がひょっこりと顔を出した。
「聞いていたのか?」
「何やら真剣なお話をされていたようでしたので、一区切りがつくまで待っていようかと思いまして。するとあのようなことに」
「そうであったか。悪かったな、寒い所で待たせてしまった」
「いえ、お気になさらずに。この寒さも久方ぶりのものでございます。京はこの地とは違って、少しばかり気温が高いように感じましたので」
「まぁ夏は特にな」
「まことに」
しかし政則の縁談については一切話が出ていない。誰もが静観の構えを見せているのだ。
母方の血筋が母方の血筋であるからな。迂闊に手を上げられぬのであろう。
「思い人がいればすべて解決できそうだが、あの様子だと口を割らぬであろうな」
「たしかに」
久はおかしげに笑うが、実際は笑うところではない。家庭を持てば、もう少し周囲を見る余裕が出来るであろうかな。
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