1007話 武家諸法度・公家諸法度発布

 小山一色屋敷 一色政孝


 1590年冬


 先日室町新御所にて、公方様と現関白である一条内基様、そして前関白である九条兼孝様の連署をもって『武家諸法度』『公家諸法度』が公布された。

 現関白と前関白が揃っての連署は、それだけこの法度が重要であるという強調の意を込めてのものである。

 旧一条派閥と旧九条派閥の派閥争いには、一部の高位な公家を除いて大半が参加していたとされていたが、ここで両名揃って公家諸法度の公布を認めたことですべての公家に納得させる目的があったのであろうと推測できる。

 まぁ旧一条派閥は、現関白殿下が見捨てた形になっているためあまり効果は無いやもしれぬがな。

 また近々、寺院や神社などに向けた法度も公布される予定である。だがこれは最低でも延暦寺が戻った後にされるだろうと俺は見ていた。

 でなければ、ややこしい問題に発展しかねないからである。

 まぁ幕府は戻す気満々であるし、すでに本願寺も政からは一線を引くと宣言している。畿内においては問題などそう簡単には起きないと俺は見ているゆえ、やはり一番の問題は公家諸法度に対する公家衆の不満であろう。


「さっそく裁かれた公家が出たか」

「幕府としては抑止力としたかったはずでございます。これより先、政の一部を公家衆も担うことになるのですから、まずはそれにふさわしき者が生まれるようにと制定されたもの。にも関わらず、その意味をまるで理解できぬ者が出るとは」

「帝もさぞがっかりされていることであろう。この法度の公布は帝の支持もあったようであるしな。そう思うであろう、重門」

「まことに。それゆえに前関白である九条様も再び表舞台に立たれたのでございます。それであるというのに」


 今回発生したのは公家諸法度第六条に反するものである。ここには養子縁組に関する取り決めが記されており、要するに自由な養子縁組によって特定の公家の影響力肥大化を避ける目的があった。決まった家格以上であれば必ず帝から許可を頂く必要があり、今回に関して言えばそれを無許可でやったのが問題とされたのである。

 この場合の処罰は養子縁組の解消と、関わった御家の当主は強制隠居。世継ぎがいなければ断絶もやむなしである。


「しでかしたのは清華家の西園寺か」

「…西園寺家の御当主様は四辻の事件に関して京都所司代である前田様とともに解決に動いておられます。長年右近衛大将として役目をまっとうしておられましたので、その衝撃、周囲に与えた影響はおそらく凄まじいものであったことにございましょう」

「であろうな。功績があるから見逃されるわけではない。むしろ此度の一件は見せしめとして強い意味を持った。今後はどこの誰であっても、法度に反する行いは避けようと考えるはずだ」


 結局西園寺家の家督は嫡子の公益様へ譲られることになり、現当主である実益様は右近衛大将としての役割を解かれることになる。

 いっけん厳しいようにも見えるが、今後は馬鹿な派閥争いで宮中を乱させることはないという幕府や関白の決意表明でもあった。


「だがまだ甘いな」

「甘いと申されますと?」

「どう見ても甘いであろう。公家の最も重たい罰は流罪である。それでも公家衆は大反発である。しかしまことに重たい罰を犯したとき、まことに流罪程度で納得することが出来るのか」

「…関白殿下のことでございますか?」

「違うぞ、重門。納得できなくなるのは帝だ。死を以て償わねばならぬようなことを公家衆がしでかしたとしても、その罰を執行する幕府は流罪としか言えぬ。それ以上先は定められていないのだから、口にすることが許されぬのだ」


 重門は重治と違って素直で話をよく聞いてくれる。

 なんというか、高反発の重治と低反発の重門というか。一言えば十も百も、なんなら千も返ってくるのが重治であったから、よく似た顔ですべて吸収してしまう重門は話していてどこか新鮮な気持ちにさせられた。

 だがそれはそれでやはり寂しいとも感じるものであったが。


「帝は公家の味方ではないのでございますか?」

「そう公家衆は思っているだろうな。ゆえに足をすくわれる」

「すくわれる…」


 まぁここから小さな法度違反が続くであろうが、いずれ法度があることが当たり前となれば悪意のある違反は徐々に減っていくであろう。

 そもそも違反をすれば、殿上人である帝にお手間をかけさせてしまうのだから、それさえ理解すれば無茶もするまい。

 だがそのようなことを微塵も考えられない阿呆は必ず大きな騒動を起こす。俺が目をつけているのは、山科家の当主となっていた四辻の三男坊である。

 今年に入って急に四辻の当主である権中納言様が折れ、三男坊は山科の当主の座から降りたのだ。十中八九紀伊の長子季満が絡んでいると思うのだが、結局山科家の分家として猪熊家をたてることで決着がついている。

 だがあくまで猪熊家は山科の分家である。未だ幼いながらに、2つの家の当主としての立場を持っていた三男坊教利からすれば面白くはないはずだ。猪熊が堂上家とはいえな。


「帝が求めておられるのはまことの日ノ本の安寧。にもかかわらず、自らの近くがおちつかねば如何思われる」

「…不安でございますか?」

「そうだ。ゆえに大きな騒動が起きた時、限度のある処罰に不満を募らせられる。武家諸法度で最も重き罰は死罪であるゆえ、なおさらであるな」


 史実で猪熊事件という宮中乱交事件が起き、これをきっかけに帝は大きな不満を抱かれた。なんなら自らに力が無いことを嘆いて譲位しようとまでされている。

 猪熊事件の首謀者は先ほど名を挙げた猪熊教利。天下無双のイケメンだ。

 この男が宮中で尋常でない人数を巻き込んで騒ぎを起こす。それもかなりの地位を持つ公家や女官らを巻き込む形で。

 だが結局は限度のある罰。

 幕府も帝も動かざるを得なくなる。そして公家衆はそれを認めなければならなくなる。

 教利はすでに色男の片鱗を見せており、史実同様の騒ぎを起こす可能性は非常に高い。さすれば政に邪魔な公家を一掃するための法度強化を押し進めることができるということだ。

 俺は公家を抑圧したいわけではなく、無能な輩が幕府による実権返還以降、中枢にのさばらぬようにしたい。その一点しか考えていない。

 一方で武家諸法度は随分と厳しいものにされている。

 二度と国内で兵を挙げられぬように。また幕府に反抗的な態度をとれぬように。

 ついでに言うと仮に政豊と鶴姫の縁談が進められる場合は、幕府に届け出る必要がある。

 他の大名家同士の場合適用されるものだ。ちなみに大名家内の家臣同士であれば、必ず主家の当主にお許しを得る必要がある。

 これも主家転覆をされぬための対処の1つ。

 まぁとは言ってもまだまだ不完全であると思う。穴を突く者も出てくるであろうから、そのたびに何かと理由をつけて形を整えていくと思われる。

 ただ誤解が無いように断言しておくが、これは決して武家や公家の力をそぐために制定されたものでは無いのだ。本来の意味としては武家や公家の心構えを説いたものであり、健全な国家運営をしていくうえで必要なものを育むことが目的である。

 だが今はまだ無法地帯に近いゆえ、こうした罰する部分が注目されがちなのだ。


「とにもかくにも我らも気をつけねばならぬということだ。西園寺家同様、功績があるからといって許されるわけではない。下手をしたら取り潰されるということもあり得るのだ。重門も十分に気を付けて、今後も一色家に仕えるようにな」

「勉強になりました!」

「それでな、ついでに頼みがあるのだ」

「ご隠居様からの命であればなんでもお受けいたします。して何事でございましょうか?」

「なに、そう気負わずとも良い。ただ少し昌続を通して甲斐の長安殿に注意を促してほしいのよ」

「長安殿というと、金山奉行である土屋長安殿のことでございますか?」

「あぁ。あの女好きの長安殿のことだ。少しばかり気になることがあるゆえ、しばらくは金山の守兵を多く置いておく方がよいとな」

「…盗人でございますか?」

「まぁ似たようなものだ。それと大事なのはあくまで物騒であるから守兵を置いておくだけであって、何かがあったわけではないことを強調してくれ」

「…はぁ。かしこまりました。では昌続殿にはそのようにお伝えしておきます」

「頼む」


 重門は俺の言葉の意図が伝わらなかったようで、首をかしげながら部屋を出て行った。

 だがまぁ京にいなかった人間にはひらめかぬはずだ。

 なんせ俺だって半信半疑であったのだから。御所に大量の金が持ち込まれたという話などな。

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