世界進出へ

1005話 正室と側室候補

 小山一色屋敷 一色政孝


 1590年正月


 蟄居の身となった俺に自由はあまりない。

 正月ではあるが、外部の人間が挨拶に来ることも無ければ、行くことも許されていないのだ。

 だが身内は違う。

 今日も茶々様が鶴丸を連れて遊びに来ているし、三子の政則も顔を見せてくれている。

 高瀬も菊を訪ねるふりをして屋敷にやってきていた。高瀬の場合はただ挨拶をすることが目的ではなく、例のイングランド船団との共同訓練の成果報告も含まれていたが。

 そんな正月を過ごしていたある日、茶々様が神妙な顔つきで俺の前にやってきていた。


「義父様、毛利家家臣の児玉の姫と顔を合わせたというのはまことでございましょうか?」

「会ったな。たまたまではあるが」

「やはりあの話は事実であったのでございますね。その、ところで…」

「鶴姫がどのような女子であったか、という話であろうか」

「その通りでございます。先日、奥羽での合戦の帰りに大井川領に寄られたようなのでございますが、あいにくと私はこちらに鶴丸を連れてきており、直接顔を合わせてはいないのでございます。私の目を盗んで、殿に縁談を申し込んできたのがどのような女子であるのか、まだ殿は戻られませんのでその目で確認されたという義父様に様子を伺おうと今日はやってきた次第でございます」


 どうやら今日は鶴丸と会わせてくれるために来たわけではないようであった。

 しかし最初から分かっていたことではあったが、茶々様の政豊への一途具合は相変わらずである。それはもちろんよいことではあるが、前向きに進む両者の縁談があることを思えば、先に妻となった茶々様が後から妻となる“であろう”鶴姫と上手くやれるのかが心配である。

 茶々様のバックには今川家があるが、仮に鶴姫が嫁いできたとなると後ろ盾の毛利はは随分と遠い。そうなると政豊が上手く両者の関係を築いてやらねばならぬが、すでに尻に敷かれているような有様であるしな。

 そのような調整をうまくやれるとも思わぬ。


「鶴姫の人となりであるが、昔のあなたを彷彿とさせる」

「昔の私でございますか?つまり…」

「まぁじゃじゃ馬というか、怖いもの知らずというか。しかしあくまで人となりの話。性格という点で言えば海里にも近いように思える。まぁいずれにしても政豊にはどうにも出来ぬ性格であろう」

「殿でも御せぬとはなかなかに」


 自覚が無いのかとはさすがに言えなかった。

 政豊はどう見ても妻に強気に出られないタイプである。家臣の前でも茶々様の叱責を甘んじて受け入れたという話もあったし、それを思えば俺よりも父上に似ているのかもしれない。

 まぁ俺とは違って2人は今川家より嫁を貰っているのだから、尻に敷かれても当然か。

 今はすっかり老いてしまわれた母も、かつてはバッチバチに父上を尻に敷いていたしな。将としては立派な父上も、母には頭が上がらなかったゆえ、その血を引いている政豊がああなってもおかしくはないのかもしれない。


「もっと聞かせてください!」

「そうだな…。茶々様は知らぬやもしれぬが、一般的に軍船に女子が乗ることはご法度なのだ。一色家は水軍設立当初に味方に引き込んだ奥山海賊に海里が乗っていたため、軍規にその旨の記載は無いがな。だが毛利家は違う」

「乗ることが違反であったということでございますか?」

「あぁ。そう思っていたのだが、すでに鶴姫は特例として乗船が認められているらしい。私が先日見た様子では、小早川殿より認められたようであったな。背中に左三つ巴の紋を背負っていたゆえ」


 あれは鶴姫であると一目で見てわかるように、山陽水軍の大将である小早川家が贈ったものだと思う。

 これで例外的に鶴姫の軍船乗船を認めていると。

 実際に海賊の討伐や、此度は大浦の正規軍も打ち破ったという。それだけ実力はあるということだ。


「左三つ巴を背負うとなると、毛利本家よりもお許しが必要であるはず。つまりそれだけ鶴姫は知られた存在であるということでございますか?」

「そういうことであろう。まぁ色々と有名であったとのことであるし、毛利様の気遣いであったのやもしれん。児玉家の献身ぶりはすさまじいゆえに、その…。色々とな」


 色々と誤魔化しておいたが、きっと不憫に思われたのであろう。毛利の当主様は。

 それなりの歳になっても嫁ぎ先が決まらず、もはや家中で鶴姫を嫁に取りたいと声を上げる者はいなくなったと聞く。

 これは堺の奉行所で児玉殿本人から鶴姫に耳に入らないようにこそっと聞いた話だ。

 それゆえに紋を与えた。外の人間と関われば、事情を知らずに嫁にしたいと声がかかると思われて。

 結果としては逆に求婚されたわけであるがな。


「随分と義父様の反応が気になるところでございますが」

「まぁそれは顔を合わせた時にわかるであろう。わずかな関わりであったが、気分の良い娘ではあった。きっと茶々様も気に入るであろう」

「であればよいのですが…。いくら殿に鶴姫のことを聞いても、曖昧な返事しか返ってこず、挙句の果てには京に向かってしまわれましたので」


 その頃は自覚をしていなかった頃だ。

 曖昧な返事であったのはどう扱えばよいのか、わかっていなかったから。圧倒的正室である茶々様がいて、側室を迎えるべきなのかどうかの判断に苦しんでいた。

 如信に指摘されてようやくどうすべきか見えたようであったが、朴念仁と言われたかつての俺とぴったり重なったな、あの時はさすがに。


「それで縁談は成りますでしょうか」

「両者の気持ちを尊重すれば成る。だが私が原因で立ち消えになる可能性もある。その場合は関係各所に謝罪せねばならぬな。私の勝手が招いた事態であり、倅には何も悪いところは無いと」

「義父様の功は誰もが知るところでございます。あの出来事1つでそこまで評判を落とすなど」

「私を嫌う者たちはいつの時代もいるのだ。功をあげた者は妬みの対象となりやすいゆえ」

「そんな…」

「そしておそらく妬んでいるのは幕府の中の人間。つまり」

「幕臣が?これまで義父様にたくさんお世話になっていながら、なんということをっ!」

「茶々様、気を静められよ。そもそも今の幕府には多くの派閥が存在しているのだ。その中には俺とかつて敵対していた者たちや、そもそも今川家と縁もゆかりもない者たちもいる」


 例えば義昭が捕縛され、京に連行された機会に幕府に仕えなおした者。現在の公方様が2度目の上洛を成功させた際に、織田家を恐れて与した大名家から送り込まれた幕臣など。

 前者は柳沢らを中心とした派閥であり、後者は山名を中心とした派閥。いずれも俺に対してよい感情を持っていない。

 俺が御所に足を運んだ際にも、ずいぶんな視線を何度も向けられたゆえに俺自身も自覚している。

 あいつらであれば、どこぞの公家と結託して俺を貶めようとしてくるくらいはあり得る話だ。


「そういった者たちが騒げば騒ぐほど、幕府と親密な関係を築きたい大名家は俺と距離をとりたがる。此度の殿の処分はそういった声をおさえるためのものであるのだ」

「弟の決断は間違っていなかったと思いますか?」

「それはもう。一度私は命を狙われていますのでな。今度はどんな手で命を狙われるのかと考えていたところの蟄居命令であったゆえ、早々に引き上げてきたということ。殿はまことによく見ておられる」


 ほとんど同時に生まれた殿と茶々様。茶々様が姉となっているのは、初めての男の子であった殿を守るためであって、正確にどちらが上であるのかはわからない。

 まぁ相当ごたついていたようであるゆえに仕方が無いが。

 だが長男に次郎と名づけるように、そういった風習から茶々様が姉とされたのだ。まぁ俺が信じていない迷信の1つである。


「そう、なのですね。義父様に蟄居を命じたと聞いた時は、気が狂ったのかとも思いましたが」

「それはない。殿は聡明であられますゆえ、気の迷いではなく、ただ今川家と私を思っての事。そこに心配はいらぬよ」

「であればよいのです。しかしそうなると、あとは毛利家の覚悟次第というところでございましょうか」

「その通り。幕府から何を言われても気にしないという姿勢であれば、鶴姫との顔合わせもかなうであろう。その日を楽しみにしているがよいぞ」

「はい、義父様」


 しかしこうは言ったが、果たして毛利はどう動くであろうか。児玉家の関与は公にはしていない。

 俺が鶴姫であると自覚したあの証拠の数々を誰かが見ていれば、幕府も児玉家の関与を把握しているであろうが、そうでないのであれば俺が厄介ごとを持ち込んだだけの話で終わる。

 つまりは毛利次第。

 まぁそれについては事情を知る幽斎殿がうまくやってくれると信じるしかないな。

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