1004話 蟄居

 伏見今川屋敷 一色政孝


 1589年冬


「父上より強く言われているゆえ、ここまでは随分と見逃してきたのだがな」


 範以様の表情は決して怒り狂っているようではない。だが言葉の節々に棘があるようには感じた。

 間違いなくこれから苦言を呈されるのであろう。

 そしてその苦言の原因について、俺は思い当たる節がありすぎた。一応、今川家に迷惑が掛からないようにと立ち回ってきたつもりであったが、今回の堺での騒動は明らかに一線を越えた自覚があった。

 それでも守るべきものがあったゆえの行動であったから後悔はしていない。すでに原因究明に向けて動き始めているのだ。

 ここで俺が叱責されてすむのであれば、甘んじて受け入れるつもりである。


「さすがに自重せよ。公方様にまで迷惑が及べば、今川としても何かしら処分を下す必要が出てきてしまう。それは長年の功労者である政孝であっても変わらぬ」

「はっ」

「わかっているのだ。おぬしは今川をよく想ってくれておるし、一色の領地や民を想う心も篤い。ゆえの行動であるということは、今川の誰もが、そして公方様も理解しておられるであろう。下手をすれば私よりも政孝との付き合いは長いであろうで」


 範以様は一度大きく息を吐いた後、ジッと俺の反応を見ておられた。

 だがこちらにも今回に関しては反省すべき点が多すぎる。突発的なイベントであったため、何も手を打たないままに騒動に突入してしまったゆえの、これであるのだから仕方がない。

 それに堺という場所が何よりも悪かった。あの地は絶妙に幕府の権威が届きにくい場所であり、しかし幕府に与える影響が大きな場所であるのだから。


「正直に言うと肝が冷えた。父上は毎度このような経験をされて、それをさらりと受け流しておられたのかと思うと、尊敬を超えて恐怖すら湧いてくるほどである」

「大殿の寛大な御心には感謝しかございませぬ」

「…分かっていたのであれば、当初より落ち着きを持つべきであったやもしれぬな」

「今川家のために働くことが第一でございましたので。大きな危険を取り払うことで生じる小さな危険は許容できる範囲であれば見逃すべきでございます。大殿は私のやり方に強く賛同してくださいましたので、遠慮なく動くことが出来ました」

「…政勝」

「はっ、お呼びでございましょうか?」


 外で待機していた政勝殿を呼ばれた範以様。

 政勝殿もまさか呼ばれると思っていなかったのか、随分と慌てた様子で顔をのぞかせる。


「公方様は今回の一件についてどこまでご存じなのか」

「堺奉行の浅野殿より夕刻ごろに人が遣わされたとのことでございますので、すでに公方様のお耳には入っているかと。どこまでかと言われますと、政孝殿が事情を説明した通りに伝えられていると思います。公方様と政孝殿の距離は近く、仮に嘘の情報を伝えればすぐさま訂正されることもあるやもしれませんので」

「ならば東海の商人がよからぬ者たちと取引があるという話も伝わるであろう。公方様は一色家の財源についても詳しく知っておられるはず。今回の騒動に政孝が黙っていられなかったことも理解してくださるであろう。あくまで公方様は、な」


 他の一色家の懐事情を知らない幕臣らが騒げば、公方様もすべてを無視することはできなくなるということ。

 今後、幕府における俺の立場は随分と悪くなると暗に言われていた。


「公方様は変わらず政孝を頼りにしておられる。伯父上が亡くなられたこともあり、まことにその志を継げるのは政孝だけであるとも信忠殿がこぼしておられたとも聞く」

「織田様がそのようなことを?」

「伯父上の死を知らされていたのは一部の織田一門と公方様、そして政孝だけであったのだ。伯父上は随分と政孝を気に入っていたようであるし、それを近くで見ていた信忠殿がそのように感じてもなんらおかしなことではあるまい。2人は随分と長い仲なのであろう?」

「たしかに随分と長い付き合いでございました。私が家督を継いだ直後ごろからでございましたので」

「うむ。ゆえに今、政孝が幕府の今の地位から排斥されるわけにはいかぬ。よって政孝に命ず」

「はっ」

「来る正月からの1年間、京の屋敷留守役から外し、国許での蟄居を厳命いたす」


 これは俺の曖昧な立場であるがゆえの寛大すぎる処罰であった。

 そもそもこの屋敷の留守役は俺でなくても出来る。ただ公方様の個人的な相談役として京に常駐するのに都合がよいから俺であっただけだ。

 今の俺は幕府にはそう簡単に近づけぬし、堺の騒動もあって幕臣らの心証も悪い今は離れておくべきだ。

 いっけん名誉に見える京屋敷の留守役解任と国許での蟄居は、今川家当主の怒りを最大限買ったと見られる可能性は大いにあるわけで、さすれば他からの口出しは出来ぬと範以様は言われている。


「かしこまりました。すぐさま帰国の支度をいたします」

「うむ。後任は幽斎とし、政孝の受け持っていた役目はそのまま昌友に任せようと思うのだが如何か」

「あの者を京に残すことは賛成でございますが、表舞台からはやはり下ろすべきであると思います。御所へ通うのは幽斎殿に変え、あくまで裏から昌友に補佐させるべきであると。でなければ、私が京から離れ蟄居する意味がなくなります」

「しかしそれでは京へ呼び出した公家衆が黙っておらぬであろう」

「公家衆からの不興を買ってもそうしなければならない。今川家の措置の緊急性を示す良い機であるかと」

「公家衆の不興を逆に利用する、か」

「はい。それと幽斎殿にはしっかりと護衛をおつけください。私同様に狙われる危険がございますので」


 そう伝えると範以様は強く頷かれた。俺の動かなく足を凝視されながら。


「わかっておる。目に見える形で護衛をつけ、抱えの忍びも影に潜ませる。もう二度と同じことは繰り返さぬ」

「そう言っていただけて安心いたしました。これで心置きなく国許に帰ることが出来ます」

「…すまぬな、政孝。おぬしが日ノ本を思って駆け巡ってくれていると、私は誰よりも知っているというのに。このような形でしか守ってやれず」

「こうして動いてくださることで、私のことを大事に思ってくださっているのだと実感できるのでございます。それに国許に帰ったとて、私の手足はもげませぬ。大井川領は大井川領ですべきことがございます。とある男との約束もございますので」

「蟄居の意味、わかっているのであろうな?」

「もちろん屋敷からは一歩も出ませぬ。ですが外の情報を得ることくらいはお許しください。でなければ罰が解かれたとき、私はただの世間知らずになっているやもしれません」


 俺の言葉に範以様は苦笑い気味に「それは困る」とこぼされた。


「すべきこととは南蛮の巨大船のことであろうか」

「南蛮の船の一種でキャラック船というそうでございます。あれは遠洋航海向きとのことで、これまで日ノ本に無かった種のもの。荒波に強く、設計図を見る限り、荷を大量に積むことが出来ます。欠点があるとすれば小回りがきなぬところであるように見受けられますが、南蛮の者たちはあれを水軍の主力として運用しているとのことでございますので、まずはそこに並ぶところから始めませんと」


 ただ同じことをしていては、異国の者たちに勝つことは出来ない。並んだあとは追いこすために研究をする。

 これはかつて大井川領の民がやってきたことだ。他国の水軍衆に勝つために、鉄鋼安宅船を開発した。大量の船やそれらしきものが大井川港の近海には沈んでいる。

 はてしない時間と努力の末に、日ノ本最強の水軍衆という称号を得たのだ。

 挙句の果てには海洋国家として先を行くイングランドの船団にも実力を認めさせた。

 次は世界で最強の船団を目指すために、まずは肩を並べるところから、というわけである。


「きゃらっく、な。政孝はよくそこまで異国の情報を集められる。私はすでに混乱しているというのに」

「伏見は例外的に宣教師の立ち入りが認められた内陸の地域でございますので、そうした話もよく耳に入ってきます。それに最近では南蛮の者たちが拠点にしているという地域と商いをするようなものまで知り合いにできましたので」

「…やっていることは昔から変わらぬ。さすがであるな、政孝は」

「ほめていただいているのだと受け取らせていただきます」

「ほめているのだ。とにかく、早いうちに京から去り、大井川領に戻るがよい。公方様には私から説明しておくゆえ」

「何から何までありがとうございます。では今度こそ、支度をしてまいります」

「うむ」


 俺は範以様の部屋より退出し、自らの部屋へと戻る。

 しかし思った以上に範以様も大胆な手を打たれたな。これでは幕府も手出しが出来ぬであろう。

 それに今回の騒動に俺の名前が全面的に出ているというのもよい。

 鶴姫らの関与はある程度隠すことが出来るであろう。あちらは現役当主と嫡子、さらには未婚の姫まで絡んでいる。

 目を付けられると相当に厄介だ。

 浅野殿は上手く報告するとは仰っていたが、はたしてどうなるか。場合によっては乗り気な2人をよそに縁談自体が流れかねぬでな。

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