1003話 半人前の一色宰相

 伏見一色屋敷 一色政孝


 1589年冬


「なっ!?結局正体を明かした上で児玉殿にお会いしたのでございますか!?」

「あぁ。本当に最初は顔を見るだけの目的だったのだがな。少しばかり気になることがあったゆえ、厄介ごとに身を投じたところ、なんだかんだあって正体を明かすことになった」

「やはり私もついていけばよかった…」

「別に今回堺で顔を合わせずとも、いずれは嫁に迎えるのだから問題なかろう」


 からかいの意味も込めていったのだが、冗談だとは受け取られなかったらしい。


「父上!」


 と鋭い突っ込みが入っただけで、政豊はまた「はぁ~」と大きなため息を吐く。

 すでに公方様にも騒動は伝わっているであろうが、そう暇な御方ではないゆえにすぐに何かがあることもないはず。

 それに俺が御所に入る機会を減らすという話もあった。

 浅野殿が何かしら動いて話は終わるような気がする。ゆえにその騒動の心配をする必要は無い。

 政豊の側室を迎えることに関する心配も必要ない。

 心配すべきことはただ1つであった。


「ふむ、庇護内の商人に悪党と組む者がいるやもしれぬと、そういうことでございますか」

「あぁ。それらしきことを口走ったのでな、問い詰めてやろうと話に割って入ったら斬り合いになった」

「そんな事もなげに」


 政豊の呆れ声はともかく、昌友は随分と神妙な面持ちで考え込んでいる。

 数年前まではそういったことまで含めて商人のすべてを管理していたのが昌友であるゆえ、この話をすれば必ずや何かしら動いてくれるだろうと期待していた。

 そして俺の期待通り、昌友は動いてくれるであろう。


「しかしまだわからぬのでございましょう?」

「あぁ。ただのはったりということもあり得る。ゆえに奴らを尋問しようと考えたのだが、思った以上に浅野殿の到着が早かったことと、事情を知ってそうな男が鶴姫の一太刀で絶命してしまったゆえに真相が未だつかめていないのだ」


 生唾を飲み込んだのは言うまでも無く政豊であるが、話をきいている昌友はまったく動じたそぶりを見せない。

 さすがは頼りになる男である。


「ここはやはり国許の昌成に話をすべきではございませんか?さすればあちらで調べることもできましょう」

「いえ。余分な役目を与えると、あの者の政に関する精度が落ちてしまいます。一人前であればそれも1つなのでございますが」

「相変わらず昌成には厳しいな。そろそろ一人前と認めてやればよいものを。今は高瀬も戻っているのであろう?」


 そもそも昌友を唸らせるほどに実力を持つ高瀬が傍にいるのだから、仮に昌友が半人前であったとしても、2人で一人前くらいはこえているはずだ。

 それでもかたくなに認めたがらないのは、やはり長年一色家を支えてきたという自負、プライドからくるのであろうか。

 まぁ人生をかけていたからな。昌友には随分と世話になったわけであるし。


「高瀬は彦左殿とともに新船造船に取り組んでおります。また九鬼水軍との共同水練など、御隠居様から命じられた例の計画に手が割かれておりますので」

「…それは悪かったな。ならば実質政を担っているのは昌成1人となるか」


 もちろん他の者もやっている。だが当主が不在の間の最高決定権は昌成にあるのだ。その昌成も一色家の分家当主であり、なかなか他の者らが意見を言いにくい。

 別にそういった環境を整えたわけではないのだが、この親子の貢献具合を思えば自然とそういった状況が出来上がってしまった。

 高瀬は妻であり、幼い頃より昌友の下で役割をもっていたゆえに数少ない昌成に意見が普通にできる者である。今は別の役目をこなしているため、昌成が単独で物事を決める必要があり、結局1人ですべてを見まわさなくてはならない。

 このような明らかに負担が偏った体制を作ったのは俺であるから、昌成には申し訳ない気持ちがある。

 昌友に頼りすぎたつけが次の世代にのしかかっているのだ。


「ご隠居様、神妙な顔はどうかおやめを。この昌友に1つ妙案が浮かびましたので」

「妙案?」

「明日、飛鳥屋の屋敷に向かいましょう。たしか聞いた話によると、宗仁殿が堺におられるようでございますので」

「考えがあるのだな?ならば」


 俺も行こうと言いかけたのだが、凄まじい顔で政豊がこちらを見ている。

 どう考えても「行くな」と顔が物語っていた。


「父上は出るべきではございません。例の相手に顔が割れている危険がございます。残党どもが動けば、すぐに問題に巻き込まれる父上は格好の的となりましょう。あまりにも危険すぎます」

「そうは言うてもこの話を聞いたのは俺だけだ。俺が直接出向かねば、誰が詳細を説明できるというのだ。まぁ面倒事に好かれているという自覚は多少なりともあるが」

「あるならば自重してくだされ。いつも父上に何かあったと聞いて、頭を痛めるこちらの身にもなっていただきたいのでございます」

「…ならばどうするというのだ。曖昧な話を伝え、疑われた商家が実は何の関与も無かったとなれば、さすがにそれは一色の信頼を地の底に落とすようなもの。それこそ中途半端なことであると俺は思うがな」


 俺の言葉に政豊は「うーん」と、それでも渋っていた。まぁたしかにこれまでもたくさん心配をかけてきた自覚はある。

 こうして小言を言われることも分かる。

 だがだからといって、無関係な善良な商人が不利益を被るようなことがあってはならない。俺が危険を冒してでも、飛鳥屋の屋敷に向かうことは至極当然のことなのだ。


「ならば俺が向かいましょう。あの時、ともにあの場におりましたので政孝様と同じように彼らの言葉を聞いております」

「如信がか?まぁたしかにそれもそうであるが…。しかし父上の護衛は如何いたす?」


 政豊はそう言ったが、ちょうどよい時期だと2人の会話に割って入る。


「そろそろ慶次を松嶋屋から呼び戻してよい頃合いであろう。いつまでも護衛を名目に、花街に居座らせ続けるわけにはいかぬ。俺から禄を出している限りは俺のもとで働いてもらわねば」

「…花街、でございますか?」


 如信も昌友も事情を知っているが、政豊はずっと奥州で戦っていたゆえに四辻季満のことも、義任様が花街にある昔馴染みの者が営む店に通っておられることも知らない。

 俺と花街など、あまりにも縁遠い場所であったゆえに意外な言葉が俺の口から出てきたと心底驚いているようであった。


「あぁ。少し知り合いが出来てな。舞を生業としている者たちの護衛に慶次をつけたのだ。慶次はあくまで俺の個人的な護衛であるし、何かあっても殿に迷惑をかけるようなこともない。適任であると思ってな」


 だが気が付けばいつまでたっても戻ってこない。よほど良い思いを紀伊での道中にしたのであろう。

 たしかに物騒な場所でもあるから、腕っぷしのある男衆は重宝されるのであろうが、禄に関しては前払いで俺も出しているわけである。


「そのようなことが。しかし花街、でございますか。随分と華やかな場所であると聞いておりますが」

「それはたしかにそうであるが」


 そう言いかけたところで、外に誰かが立っていることに気が付く。

 膝をついている1人は屋敷の者なのだが、もう1人はそれなりにしっかりとした体格をしていて、その陰の形に1人思い浮かぶ者がいる。


「政勝殿か、入ってもらえ」

「はい。かしこまりました」


 障子が開かれ、向こう側に立っていたのはやはり政勝殿であった。此度は殿に付き従っての上洛で、政豊が途中離脱した石清水八幡宮への参拝も範以様とともに向かっていた。

 また京での他大名家との会談の場はすべて政勝殿が取り仕切る。

 俺の後任殿はしっかりと役割を果たしてくれているようで何よりであった。


「如何した、政勝殿」

「殿がお待ちでございます。少しだけお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「当然であろう。しかしいったい殿は何用で俺をお呼びなのであろうか」

「…それは政孝殿が一番よくわかっておられるかと思います。とにもかくにも、急ぎ殿のもとにお越しくださいませ」


 そういって政勝殿は部屋を後にした。


「殿がお呼びとあらば無駄話をしている暇など無いな。とりあえず明日の内に昌友と如信は飛鳥屋の屋敷に向かってもらおう。それとは別に松嶋屋に人をやって慶次を呼び戻す。おぬしは」


 そう言って俺は政豊を見る。


「早めに殿にお伝えするのだな。あれであれば、明日の朝のうちに久らに話だけでもしておくとよい。至言をもらえるやもしれぬでな」

「か、かしこまりました」

「それと高瀬にも催促しておくとよい。乗せてやりたい者がいるゆえ、南蛮の船の新造を急ぐようにとな」

「父上!」

「そう怒るな。縁のない大国との縁談ともなれば、早め早めに行動を起こすべきなのだ。それが家臣同士でことが進められたとなれば、両家ともに主の顔に泥を塗りかねん。殿や毛利様のことを考えても、やはり早くおぬしの意思を伝えておくべきである」

「…かしこまりました。では明日の内に殿にはお伝えいたします」

「それでよい」


 政豊も理解してくれたことであるし、俺はお呼びに応えるとしよう。いったい範以様の御用とはなんなのであろうかな。

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