1002話 父と父

 堺 一色政孝


 1589年冬


「なるほど。東海の商人と商いでございますか」

「そうなのです。あのような輩どもと取引をしている商人が、我が保護下にいるとなると悪評が広まりかねませんので。どうにかその相手を聞こうとしたところ、あの男が逆上して襲い掛かってきたというわけでございます」

「なんとも…。いや、なんとも」


 浅野殿は何やら慎重に言葉を選んでいるようであったが、最終的にはやはり盛大な溜息をこぼした。


「わざとでございましょう?人の質を鋭く見抜く政孝殿が、まさか相手が穏便に済ませるなど思ってもいなかったはず。あれは相当な荒くれものでございますぞ」

「いやいや。こちらとしてはただ正直に話してもらいたかったのみ。奴らのことは堺奉行に任せておけば万事解決であると思っておりましたので」


 そういうと、浅野殿は気分よさげに姿勢を正した。

 だがそうは言っても、浅野殿らがどうにかする前に、どちらかに死人は出ていたであろうが。


「しかし結局頭があれでは真実は闇の中。ただのはったりであったのか、本当に取引をしている商人がいるのか」

「そういった記録は無かったと思いますが…。まぁ一色家という後ろ盾がある中で、そういった連中と付き合いがあるとなると、身分を隠しているということもあるやもしれませんが」

「え!?」


 浅野殿の言葉に反応したのは俺ではない。

 鶴姫に突如として裏切られた児玉家の嫡子、元昌殿である。おそらく「一色」という名に驚いたのであろう。

 なんやかんやでずっと隠していたからな。


「ななな、あなたは一色家の身内の方でございましたか!?」

「ん?何を言うている?この方は一色家の隠居殿であるぞ?はて、そう名乗っておられなかったか」

「聞いておりませぬ!」


 たしかに見知った顔であったから、浅野殿はあえて俺に名を聞かなかった。そしておそらくあの場で共闘した俺たちを顔見知りであると勘違いしていたのであろう。

 一方で元昌ら、児玉の者たちも俺が誰かは知らなかった。ただ仲裁を邪魔したどこぞの人間程度の認識だったはず。

 だが堺奉行である浅野殿が俺と親しげにしていたゆえ、この男は鶴姫がいたときからずっと俺のことを観察していた。結果として思わぬ形でそれが明かされたというわけである。


「では、あなたが」

「…まぁそういうことになる。倅よりすでに縁談の申し込みは聞いているが」


 よく見てみると、元昌殿の額から汗が流れている。ある種の緊張からであろう。俺は鶴姫の正体を知ってしまったゆえに、隠居であるとはいえ俺の名は特殊な形で毛利に知れているはず。一色政孝という人間は、今川家に属しながら公方様の相談役である。また毛利一門の穂井田元清殿とは、織田信長に気に入られた者同士の苦労人であるだとかな。

 ゆえに反対なんぞされては、また縁談が立ち消えになると。それを危惧しているのではないかと思う。


「倅は縁談の申し出について前向きであった。ただ精強な水軍を持つ者同士の家であるからこそ危惧していることもある」

「…水軍衆の真似事でございますか」

「あの者がしているのは、まことに真似事なのであろうかな?それであれば、一色に嫁ぐ限りはやめさせねばならぬが」


 すでに一色家は欧州列強を相手と想定しての水軍強化を始めている。

 例の助左衛門からもらった遠洋向けの巨大船の造船に取り掛かる一方で、コタローとともにやってきていたイングランド船団に外洋向けの海戦術を教わっているという。

 あらかじめ昌成に詳細を伝えていてよかった。おかげで俺も政豊も、そして昌友も領内にいない状態であるが、ちゃんと意図を組んで領内の整備に動いてくれている。

 つまるところ、生半可の、お遊び程度の感覚で船に乗られると普通に死ぬ危険がある。

 ただの兵として、武功を上げたい兵として乗船するのであれば男だろうが女だろうがという考えなのだが、鶴姫の場合はそうではない。

 政豊に嫁ぎ、一色家の奥方としての役目を果たさなければならないことを思うと、そう簡単に船に乗せてはやれぬ。お遊び程度の感覚であればなおのことだ。


「…それは」


 元昌殿の口はわずかに動きながらも、次の言葉が出てこない。

 なんと返答するかによっては、姉の嫁ぎ先が消えかねんゆえだろう。だがそんな弟の苦悩と葛藤を知ってか、知らずか、わずかに外が騒がしくなる。


「戻ってきたか。随分と早かったな」

「はい。おそらく児玉殿が飛んできたのでございましょう。苦労しますな、親父とは」


 浅野殿は俺の言葉に笑っていたが、元昌殿は顔面蒼白である。まぁ嫡子がいたにもかかわらず、他国の領内で大騒動を引き起こし、挙句奉行所で人質ともなればな。

 嫡子として面目がたたないどころの話ではない。

 鶴姫が左三つ巴を背負っている限り、小早川にも火種が飛びかねんでな。親子そろって血相を変えるわけだ。


「殿、毛利家家臣児玉就英様がおこしでございます」

「すぐ通せ」

「ははっ」


 やってきたのは髭面の男。歳は俺より少し下だろうか?

 だが年齢などもはや見た目だけではわからぬ。一色の水軍衆か、もしくはそれ以上に鍛え上げられた肉体を惜しみなくさらすこの男は間違いなく海の男である。

 あと尋常でない潮の香りがするのは、ついさきほどまで船の上にでもいたからか。


「浅野殿!こたびは我が子らが領内で暴れまわったとのことで、まことに、まことに申し訳ありませぬ!聞けば幕府にまで話が及ぶとか」

「う、うむ。まぁそれも可能性の1つというだけでまだ何も」

「もし浅野殿が叱責されるようなことがあれば、必ず私のもとに人をお使いください!すぐにでもかけつけ、わが命をもって詫びさせていただきますゆえ!」


 海の男はよく知っている。

 この堺という都市がどれだけ京にとって重要な役割を果たしているのかということを。

 活気や規模だけで言えば大井川港や一色港が上回るとされているが、都市の価値はそれだけで決まるものでは無い。

 周囲に与える影響度具合で言えば、依然として堺が日の本一なのだ。なんせ近くには日ノ本の中心となる京や、織田家が拠点として瞬く間に整備された伏見、本願寺の帰還で再興を果たした山科などがある。

 淀川の開発などもそれらの地域によい影響を与えているが、それでもやはり堺だ。その堺を預かる人物こそが浅野殿であるからこそ、児玉殿は非常に焦っているのだ。

 問題は堺だけでは留まらない、と。


「いやいや、そこまでのことではない。児玉殿ら、外の方々はしらぬやもしれぬが、堺ではああいったもめ事も日常茶飯事。武士同士の斬り合いは我が配下が目を光らせているためにそうそう起きることも無いが、商人らも命がけであるゆえな。ああいった荒事は今回に限らず起こりうるのだ。そこに他家だとか、地元の者だとかは関係ない」


 他の言い方をすると、商人に関しては織田家の意向もあって口出ししにくい、だ。浅野殿が度々こういったことを口にするのは、堺奉行としてそうとうにストレスを感じているからであろう。

 織田家に、というよりは、それを利用して好き勝手している商人らにという方が正しいのかもしれない。


「ち、父上」

「この馬鹿息子めが!なんのために鶴に同行させたと思っているのだ!」

「申し訳ございませぬ!ですがそれよりも、そちらの御方が」

「…ん?」


 目に入っていなかったのか、児玉殿はようやく俺の存在に気が付かれたらしい。

 まぁ少し浅野殿とも距離をとっていたゆえに、奉行所の関係者だと思われていたのかもしれない。


「そちらの方はどなたか?」

「今回の騒動にてともに戦った御仁でございます。父様には先ほど伝えた通り」

「姉上は少しお静かに!」


 元昌の心からの叫びに、思わず鶴姫がひるむ。さきほどの人質騒動から見ても、嫡子としての立場よりも姉弟関係の方が重視されているように見えたが、やるときはやる男であったみたいだ。


「この御方は、遠江一色家の御隠居殿でございます。つまり姉上の縁談相手の父にあたる御方でございます!」

「なっ!?それは、それはまことの話で?」

「まぁそういうことになりますか」


 今にも掴みかからんといった形相で迫られたものであるから、思わず身体が逃げてしまった。

 だがそんなことも気にしていない。

 おそらくこの場で一番困惑しているのは、謎の修羅場に巻き込まれた浅野殿であろうな。

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