1001話 騒動の責任
堺奉行所 一色政孝
1589年冬
「事情は分かったが、人目の多い通りの真ん中で斬り合いなど…。奉行の面子が丸つぶれではないか」
堺奉行、浅野長政殿は織田家の家臣だ。
その一方で、京へ通ずる玄関口のような存在である堺を任されているだけあって、幕府からは強い信頼を寄せられている。
ゆえに揉め事にはひどく敏感であるらしい。
蝮の件についても、ずいぶん神経質になって処理しているようで、信長の功績は多々あれど、この堺の自由都市の触れだけはどうしても足を引っ張っていると言わざるを得ない状況にあったようだ。
「もちろん、その方らが罪なき民を守ろうとしての行動であったことはすでに耳にしているが」
「そもそも堺の治安維持は奉行の方々の御役目のはず。それを代わりに行ったのですから、感謝こそされ文句を言われる筋合いは無いかと思いますが?」
「…政孝殿、この女子は何を言うているのであろうか」
実は少しばかり面識のある浅野殿。
まぁ直接というわけではなく、一色保護下の商人を通じてではあるが。ゆえに現場にいた俺も事情聴取というような形でともに奉行所に連れてこられた。
まぁ元々の目的は果たせているし、これはこれでよい。あの場に残っていても、さらなる面倒事に巻き込まれていたであろうしな。
「現場におりましたが、この者たちに非はございませんよ。それに最後にあの者たちを刺激したのはむしろ私の方でございますので」
「政孝殿が?いったいどういうことなので」
このやり取りを不思議そうな顔で見ている児玉家の一団。特におそらく鶴姫であろう女子の近くで常に警戒している男はジッと俺のことを凝視していた。
あくまで俺は身分を隠しておきたかったため、浅野殿が俺を一色と呼ばなかったのは不幸中の幸いと言えるであろう。
京で一色と言えば四職の方が真っ先に出てくるであろうが、児玉家に関しては直前に大井川領に寄っている。
俺が政豊の関係者だと疑われる可能性もあった。こそこそと調べられていると知って、いい気分がするはずが無いからな。
ここは正体を明かさずに済ませたいところだ。
「何やら聞き捨てならないことを申しておりましたので、それを問い詰めようと話に割って入ったところ、あの男が逆上したのでございます。それゆえ仕方なくあのようなことに。この方々は罪なき民を助けるためにあの一団の間に割って入りました。それは私が見ておりますから、誰の前であっても証言いたします。長政殿に迷惑が極力かからぬように振舞いますので、今回はどうかお見逃しを」
「まぁ政孝殿と私の仲ですからな。見逃してやりたい気持ちは正直ある、が」
浅野殿の表情はあまりすぐれない。
これは何か悪いことが起きそうで、思わず息をのんでしまう。
「何か見逃すことが出来ない事情がおありで?」
「今回の騒動、堺という人目の多い場所で起きたそれなりの規模の斬り合いである。当然であるが殿の耳に入るのも時間の問題であろうし、なんなら公方様にはこのことはすぐにでも知らされるであろう。そうなると私は公方様より呼び出されることになる」
「…」
「わかるであろう?騒動の事情を説明するために幕府に向かう必要があるということは」
「我らも同行する必要があるということでございますか?」
無言で浅野殿は頷いた。
たしかに浅野殿ら、奉行の役人が到着した時にはすでに事態が鎮静化した後だった。事情を知っているのは、あのとき現場にいた俺たちだけだ。
「蝮の一団を連行したとしても、まともなことにはならぬことは目に見えている。それに肝心の頭領は口もきけなくなってしまったゆえ、下っ端の証言などあてにならぬ。一応無事な者を連れていくことにはなるが。それにそこの女子は名を名乗ることを拒絶しているようであるが、仮に幕府からの要請があればそれも通じぬ。政孝殿が身を保障してくれている間は私も追及せぬが、あまり我がままをいうてはくれるなよ」
浅野殿は未だにこの女子のことを分かっていない。当人らも主家に迷惑がかかることをさけるためにか、名を明かさない。
本来であれば奉行職にある浅野殿は吐かせなければならないのだが、俺に免じて見逃しているという部分はあった。それでも背中に隠された左三つ巴の紋は隠せぬ。
それに気が付けばすぐにでも小早川の関係者であるとわかるはずだ。
となれば、いつまでも名を伏せ続けるのは無理があるだろう。そこで俺は双方に助け舟を出すことにした。
「私を助けてくれたことには感謝する。だが私は浅野殿の気持ちもわかるのだ。私が面倒事を引き受ける故、ここは名を名乗っておいてはくれぬか?」
「…」
「姉上」
「…わかりました。つ、私の父は児玉就英。山陽水軍の一角を担う者で、此度の奥羽一揆の鎮圧にも帯同いたしました。この私も此度それに付き従っております」
「…どうりで名乗りたがらぬわけだ。まさか毛利の関係者であったとは」
浅野殿はようやく正体を知ることが出来た安堵よりも、まさかの毛利関係者であったことに衝撃を覚えている。
厄介なことになることが目に見えているからだ。
「政孝殿はこの者をご存じであったのでございますか?」
「騒動の際に小早川の紋を背負っているのをこの目で確認いたしましたので、児玉家の方であるかはともかく、小早川家の関係者であることは予想しておりました。良き腕であると感心しておりましたが」
俺の言葉にほぼ間違いなくる鶴姫と思われる女子は、自らの腕を見て顔を赤らめる。その様子を見ていた弟であろう男が「腕違いでございます」と小声で突っ込んでいた。
まぁたしかに腕の綺麗さを褒めたわけではない。あのような強気な言動をしておいて、まさか天然なのかと軽く衝撃を受けつつも、俺からは何も言わずに浅野殿を見た。
「このまま拘束し続けると、毛利家との問題に発展しかねぬかと」
「それはそうでございますな。万が一幕府よりお呼びがかかれば、政孝殿のみを連れて行くとしよう。一部始終を見ておられたようであるし、問題も無かろう」
早々に毛利関係者を解放することを宣言する浅野殿であったが、まさかの申し出に固まることになる。
「揉め事の発端は私たちにあります。むしろ巻き込むことになったこの御方にのみ負担を押させることは、児玉の名に泥を塗ることになりましょう。弟を浅野様にお預けいたしますので、この事態をわが父に伝えに生きたのでございますがいかがでございましょうか?」
「あ、姉上!?何をいきなり」
「弟、元昌は児玉家の嫡子でございます。人質としての価値は十分にあるかと」
弟は元昌というらしい。
それよりもまさかの申し出に弟も浅野殿も困惑しきっていた。このまま逃げられるとは思わぬが、このような状況で置いて行かれるなどたまったものではない。
不憫な弟なのだと思ったが、俺がここで口をはさむことも出来ない。
「すぐにわが父を説得し、京への同行を認めていただきましょう。如何でございましょうか、浅野様」
「…うーむ。たしかに自らの口で説明してくれるのであれば、これほどありがたいことはないが。よしわかった。奉行所の者を同行させるゆえ、その者と一緒に向かうのであれば認めてやろう」
「ありがたきお言葉でございます!ではすぐにでも」
そういって立ち上がる鶴姫。去る際に弟の肩を叩いて部屋から出て行った。
残された弟は肩をがっくし落とし、「なんということだ」と小さくつぶやいた。他の護衛と思わしき者たちの内、半分が鶴姫のあとを追って部屋から出ていく。
この不憫な部屋の空気は果たしてどうするべきなのか。
児玉家は随分とややこし…。元気な姫様を嫁入りさせようとしてきたものである。
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