1000話 女海賊の背中

 堺 一色政孝


 1589年冬


 俺たちが現場に着いた時には、すでに騒ぎの野次馬として尋常でない人が集まっていた。

 円を描くように人々は取り囲み、その中心に問題の者たちがいるのであろう。


「孫左衛門、前まで出られるか?」

「お任せを。これでも堺では名の知れた存在でございますので」


 そういった孫左衛門は大きく息を吸い込むと、目いっぱいに吐き出しながら野次馬の中へと飛び込んでいった。

 用心棒らもそれに従って割り込んでいく。


「末吉の家のもんじゃ!道を開けるのだ!」


 結構な勢力で飛び込んだものの、そもそも人が密集しているために道を開けようにも逃げ場がない。

 案の定、野次馬の集団の中から「痛い」だとか「押すな」だとか悲鳴やら怒号が聞こえてくるが、混乱の原因が孫左衛門だと分かるとスーッと文句の声がやんでいく。

 あれはありなのかという思いもあったが、せっかく切り開いてくれた道である。俺は如信とともに、騒動の中心へと歩を進めた。


『娘!邪魔をすれば痛い目をみるぞ!』

『商人が暴力で解決するつもり?もっと平和的に解決はできないわけ?』

『やかましい!女風情が男を舐めるんじゃねぇ!お前もこの刀の錆にしてやってもいいんだぜ?そこの爺さんのすぐ後にでもな』


 騒ぎの中心に近づけば近づくほど、ずいぶんと物騒なやり取りが聞こえてくる。

 先んじて野次馬に飛び込んでいた孫左衛門の後ろ姿をようやくとらえたが、後ろから見ても分かるほどに頭を抱えていた。


「やっぱり、あいつか」

「よりにもよって蝮の頭でございますか。止めねばあの女が殺されかねませんが」

「…あいつらと絡むと面倒事が増えるだけ。極力関わりたくはなかったが、堺の治安を守ることも会合衆の役目であるからな」


 そんな会話が孫左衛門と用心棒から聞こえてくる。

 すでに天王寺屋の蔵からも津田の屋敷に人が向かったとのこと。堺奉行の浅野殿にも使いが走っていることから、騒ぎはいずれ収まる。

 だが事態が悪化するかどうかは、今この場にいる者たちの行動次第。そんな気がした。


「それにここで動かねば、あの間に入った者たちが殺されてしまう。度胸があるようだが、相手がさすがに悪すぎるわ。今の人数だけで止められるか?」

「…時間稼ぎくらいなら」


 そんなやり取りも聞こえてくる。

 俺は如信を見たが、何も言わずに首を振っていた。ただのけんかの仲裁であれば間に入ってもよかったかもしれない。

 だが相手は刀を持つ商人で、明らかに喧嘩慣れ、殺し合い慣れしている。

 動けない俺と、俺を守らなければならない如信は明らかにこの仲裁には向いていない。

 それでもこの活気ある堺で、無意味な殺人が起きることを見過ごすのもどうかという話だ。


『この荷は東海のとある商家の方へと売るはずだったものだ!我らにとってはお得意様であり、生きていくうえで決して切ってはならぬ御方々。その荷をこのような惨状にした落とし前はきっちりつけてもらわんとな』

『お前たちのようなならず者崩れから物を買う商人がいると!?それはいったいどこの者たちだ!この私が自ら説得してやろうではないか。まっとうな商売人であるならば、取引の相手くらいはしっかりと選ぶべきだと』

『小娘が言うてくれるわ!やはりその爺よりも先に仕留めてやろう!』


 あれが商人なのかと、そしてあれが仲裁者なのかと。

 あまりにも荒れた現場に孫左衛門がついに大きなため息をこぼした。「あの女はなんなのか」と、仲裁者である女子にも文句を垂れる始末。

 しかしそんなことよりも、俺には気になることがあった。

 あの蝮の頭と呼ばれていた男が口にした東海のとある商家。すべてとは言わないが、一色家の保護下にあればいろいろと恩恵がある。それゆえに様々な形で東海地方の商人とはつながりがあるが、まさかその中に名を連ねる者ではあるまいな、と。

 あのような連中と付き合いがあるとなると、信用問題に直結するであろう。

 保護式目に抵触するようなものは無いが、それでもイメージの低下は免れない。


「…政孝様?」

「確認せねばなるまい。末吉の用心棒の増援が到着するよりも先に手が出そうであるからな」

「かしこまりました。ですが決して俺より前に出ないよう」

「わかっている。頼りにしているからな」

「はっ」


 俺は孫左衛門の肩を軽くたたき、そしてそのまま隣を通り過ぎた。

「ちょっ!?一色様」と呼ぶ声には振り返らず、騒ぎの当事者たちの前へと立つ。


「なんだぁ、貴様?ここは取り込み中だ。通りたいなら別の道を使え」

「いや、お前たちに少し聞きたいことがあってな。少しばかり俺の話に付き合ってもらいたい」

「なにをぉ?」


 頭と呼ばれた男の隣にいた、少しばかり背の低い男が俺めがけて掴みかかってこようとしたが、如信によって阻まれる。

 腕をつかんで見事に組み伏せた。

 周囲のやじ馬は歓声を上げたが、すでに頭の顔は真っ赤である。


「そう怒らずに。ただ聞きたいことがあっただけだ。それさえ教えてくれれば俺は満足する」

「ふざけるな!面目丸つぶれで大人しく引き下がれるか!お前ら、こいつらから殺せ!」


 なんと物騒な連中なのかと改めて驚くが、すでに如信は立ち上がり、刀を鞘から抜いている。

 それに孫左衛門のところの用心棒らも腹をくくって出てきてくれていた。

 まぁさすがにこれは想定内である。孫左衛門が俺を見捨てるはずが無いと。そして当然、仲裁者の一団も刀を抜いていた。

 こうなると丸腰のやじ馬たちは逃げ惑う。混乱を極める中、いっせいに蝮の者たちが襲い掛かってきた。手にしているのは刀であったり、包丁のような刃物であったり。

 統一されていない様子からも、やはり孫左衛門が言っていたようにどこからかの盗品なのであろう。

 そして盗んだものを売った金で、武器やらなんやらを買っていた。

 訴えが出なかったのは、すでに訴えを起こす立場の者が死人であったから、か。


「こいつらを殺せば、上物が手に入るぜ!一気に金持ちの仲間入りだ!!」

「これだけ大っぴらに騒ぎを起こしておいて、堺奉行が見逃すはずもあるまい」

「それはどうだろう、なっ!」

「しまった!?」


 如信はよく俺を守ってくれていたが、頭の男は一瞬の隙をついて俺へと迫る。俺の足が悪いことは杖を持っていることからも明らかであるし、その視線は間違いなく下半身だけを見ているようであった。

 随分と重たい一撃を杖で受け止め、勢いのままに身体を後方へと逃がす。逃がさんと言わんばかりに追撃を試みる頭であったが、思わぬ横やりに思いっきり顔をゆがめていた。


「助太刀いたします!というよりも、我らに任せていただければよろしかったのに」


 横やりの一撃は頭の横腹をわずかばかりに切り裂き、俺に対する追撃をやめさせるには十分なものだった。

 そしてその横やりは俺をかばうように半身の状態で前に立つ。


「女子が堺の民を守るために行動しているのに、それをただ見ているだけというわけにはいくまい。それにその腕、どこぞの姫様であろう?」

「…少々お待ちを。まずはその男を捕えますので」


 あまり言われたくなかったことなのか、仲裁者の女子はその護衛に俺を預けて頭へと切りかかる。

 なんとも勇ましいふるまいであるが、同時にわかった。

 わずかに聞いた覚えのある訛りと、よく焼けた肌。そしてその背に控えめながらに背負った左三つ巴の紋。

 この女子こそが、政豊に求婚したという姫様であろう。

 なんとなくここに駆け付ける前からそんな予感がしていたが、ここで言葉を交わして、その背中を見て確信した。

 政豊は随分と男勝りな姫様に目をつけられたものだ。これは尻に敷かれるとか、そんなレベルではない夫婦関係を築きかねん。

 あれは随分と性格が優しいゆえに。

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