999話 天王寺屋の蔵の裏で

 堺天王寺屋蔵 一色政孝


 1589年冬


「こちらが天王寺屋さんの蔵でございます」

「蔵であるにも関わらず、ずいぶんと人の出入りが多いのだな?」

「それはもう。天王寺屋さんの保有する蔵には、日ノ本の茶器や花入れなどの名器が揃っておりますので。実際に目にして買いたいという客人は多いのでございます。ですが勝手に持ち出す者が出ては困りますので、そういった者たちを取り締まるために」

「蔵番がいるのだな」

「その通りでございます。この蔵の番は飯田染五郎という男がやっておりまして、かつては同郷の…」


 そういいながら孫次郎は蔵の方へと足を踏み入れる。

 中はすごい人であふれており、身体が自由に動かせない俺はむやみに立ち入らない方がよさそうだ。

 人とぶつかれば、貴重なものが多く置いてある蔵の中で転倒してしまうかもしれない。

 ひっくり返したりなどすれば、それはもう途方もない額の弁償をする羽目になるであろうからな。いくら天王寺屋、つまり津田宗及と火薬を通じた縁があるとはいえ商売とは別問題だ。

 些細なことで関係が崩れかねぬし、外で大人しくしておくとしようか。


「しかし堺の港にこのような場所があったとは驚きでございます」

「俺も初めてこの辺りに来た。停泊しているのは此度の戦勝報告のために入京している大名家の船ばかり。商船も南蛮船も無い」

「そして並ぶ蔵の名はどこもかしこも軍事物資を取り扱うものばかり。天王寺屋も表では茶器や陶器などを扱っておりますが、その内半分近くの売り上げを火薬の販売で賄っております」

「それに同じく会合衆の1人である今井宗久殿、つまり納屋も同じ区画に蔵を構えていた」

「あそこは皮でございますね。良質な皮を信濃や飛騨などから買い寄せ、ある程度の加工をして売っているようで」

「甲冑づくりに皮は必要であるからな。戦無き世を実現した今、宗久殿がどのように方針を変えるのか、みものである」


 如信と、孫左衛門の護衛らと外で待つ。

 相変わらず人の出入りは多いが、特にこちらに関心を向ける者たちはいなった。帯刀している者などそこら中にいるゆえ、俺たちもうまく馴染んでいる。

 ただやはり杖はチラチラと見られているような気はした。


「そういえば今井家と言えば、但馬の銀山の管理を命じられていたような。銀山は今後大きな役割を持つことになりましょうし、そうなると今の主要家業が落ちたとしても、代わりのものはすぐに見つかるような気がいたします」

「まぁそういうことだ。しかしよく知っていたな、如信は」

「宇喜多家に仕えていたころ、何度かそういった話は耳にいたしましたので。大名家が保有する鉱山を、どこにも所属していない商人に任せるという大胆なやり方に宇喜多家中は驚いておりました。これが織田信長のやり方なのかと」

「そういうことであったか」

「しかし我らの予想は外れ、ずいぶんとうまくいっていたようで。今井・長谷川両名の名は宇喜多家に属する我らの間でも有名でございました。当時、備中や美作では製鉄が盛んにおこなわれており、良質な鉄の販売を両名に取り持ってもらえないかという話も出たようでございますが、それでは織田家にいずれ取り込まれる危険があると取りやめになったという話もあるほどでございます」

「たたら、か。播磨の西部地域で盛んにおこなわれていると聞いていたが、備中や美作でもあったのだな」

「それだけではございません。出雲・伯耆・石見・安芸などでも盛んにおこなわれております。ただいずれも毛利家の所領であり、あの者たちには石見の銀などがございますので、あまり製鉄に関しては目立っておりませんでした。一方で古くより製鉄が盛んであった吉備では今もなお良質な鉄の産出が続けられております」

「そういった歴史があったのだな。俺は一色の家を継いだころより播磨の鉄を買い取っていたゆえ、その話は一切知らなかった。よき知識がまた1つ増えたな」


 如信は表情をあまりかえずに頭だけ下げた。

 政豊に苦言を呈したときは、ずいぶんと表情豊かであったのだが、仏頂面に戻ってしまったわ。

 そんなことを思っていると、ようやく蔵の中から孫左衛門が出てくる。


「お待たせいたしました。蔵の中にある部屋を用意していただきましたので、裏口から入るといたしましょう。さすがにこの人では、杖などついて歩けないでしょうし」

「気遣い感謝するぞ、孫左衛門」

「なんの、なんの。ささっ、ではこちらへ」


 孫左衛門の案内に従って裏口へ向かう。人は少なくなるが、それでも一本中の道に入っただけで、決して人がいなくなるわけではない。


「染五郎は同郷の奴なのですが、ワシがともに商いで天下を取らないかと声をかけた時にきっぱりと断られまして」

「つまり蔵番は平野郷の昔馴染みであるわけか」

「その通りでございます。当時のワシはまだ一色様と出会う前で、鳴かず飛ばずのしょうもない商人でございました。染五郎はそんなワシとともに商いをするよりも、豪商のもとに弟子入りし、いずれはそれなりの地位を得る方が賢いと考えたのでございます。もちろんその考え方をワシは否定しておりませんよ?ただあまりにもあっけなく断られたことで寂しい気持ちにはさせられましたが」


「へへへ」と笑う孫左衛門は裏口の戸に手をかけた。

 中に入ろうとした途端、大きな音が裏の通りから響き渡り、続けて「なにやってんだ!」と怒号が飛ぶ。


「何かあったみたいだな」

「堺の厄介ごとに首を突っ込むべきではございません」

「だがあの悲鳴と怒号はただごとではあるまい」


 如信は俺の巻き込まれ体質を知ってか知らずか、関与すべきではないという立場をとったが、明らかに何かしらの大事が近くで起きたことは間違いない。

 俺が積極的に関与するかどうかはさておき、何があったかくらいは把握しておいた方がよいというのが俺の考えだ。

 その気持ちを察してか、孫左衛門がすぐさま1人の用心棒に声をかけた。


「見てまいれ」

「かしこまりました、旦那様」


 用心棒が戻ってくるまでの間に一度中へ入ろうかとも思ったのが、どうやらすぐに戻ってきたようで、その顔には随分と焦りがあった。


「どうした、そのように血相を変えて。いったい何事だ」

「ど、どうやら『蝮』の荷をどこぞの爺様が崩してしまったようで。その騒ぎを収めんと、1人の女子が間に立っております。あいつらがまた騒ぎを起こしたと、人が続々と集まり始め、もはや収拾がつかぬ事態に。いそぎお役人に知らせた方がよいやもしれません」

「なんということだ!いそぎ浅野様にお伝えせよ。ワシの名を出せばすぐさま動いてくださるであろう」

「はっ!」


 どうやらその『蝮』とやらは相当にやっかいものであるとみた。

 長らく京に滞在しているが、そのような厄介者の名は聞いたことが無い。だが2人は当然のように話していたところを見ると、堺では有名なのであろうか。


「孫左衛門。その『蝮』とは何者であろうか」

「…『蝮』は美濃の斎藤道三様に憧れたならず者の集団でございます。いったいどこで手に入れたのかもわからぬ品を売りさばき、その利益で武器をそろえてまたどこからか品を持ってくる」

「そのように断言するということは、間違いなく黒であると確信しているのであろう?堺奉行の浅野殿は動かぬのか?」

「堺は商いに関して、完全なる自由都市でございます。織田の御隠居様がそれを認められているゆえ、商いをするすべての者に対して売買の権利が与えられております。もし仮に被害を訴える者がいれば話は変わるのでございますが、おかしなことに誰もそういった声をあげませんし、被害を受けたという噂すらも聞きません。ゆえに浅野様は動けませぬ。ただせめてもの償いという形で、こういったもめ事には迅速に対応してくださります」


 俺が如信を見ると、こちらの言いたいことが伝わったようで思いっきり肩をすくめた。

 そしてわざとらしいため息までこぼす。


「どこぞの女子がことを収めているために動いているというのに、俺たちがそれを放って部屋に籠るような真似も出来ぬ。そうであろう?」

「そのような説得は無用でございます。政孝様が向かわれるというのであれば、俺はただ護衛の任を果たすだけでございますので」

「それでこそ俺の護衛だ。さて、浅野殿がすぐに来られるかもわからぬゆえ、何かあれば間に入らねばな」

「目立たないはどうされたのでございますか」

「時と場合による。この場合は俺の立場が役に立つかもしれぬ。そういうことだ」


 如信による最後の抵抗も受け付けず、俺は孫左衛門らを連れてその騒ぎの元へと向かう。

 いったい蝮とはどのような連中なのか。堺でも腫れもの扱いの連中に立ちふさがる女子とはどのような者なのか。

 とりあえず、如信が俺の護衛をやめると言い出さない程度に様子見をしてみようかな。

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