998話 天王寺屋の蔵へ

 堺 一色政孝


 1589年冬


「なるほど。一色の御当主様に求婚でございますか」

「当人は前向きに考えているようであるで、少しばかりどのような娘なのか様子見にな」

「恩ある一色様のご子息様の奥方様候補見物でございますゆえ、この孫左衛門、全力で手伝わせていただきます」


 事情を説明したところ、孫左衛門は随分と乗り気になってくれた。1つ問題があるとすれば、俺の見た目が目立つ過ぎることと、商人や南蛮人が船を泊めている場所と大名家の水軍衆が船を泊めている場所がまったく違うところ。

 末吉の船に乗ったところ、児玉家の船を見ることはおそらくできないだろう。


「まぁあまり相手側には気を遣われたくないゆえな。何か一方的にあちらを見る良い方法はないだろうか?」

「相手方に気づかれずというのはなかなかに難しい話でございます。堺の港を一望できる場所はございますが、そこからでは乗っている人間1人1人を判別できぬでしょうし」


 おそらくそこは重治が腹を切ろうとした場所なのではないかと直感的に思った。

 最期は眺めの良い場所でと言っていたし、結局その場所も聞けずじまいであったがな。


「ならばそこは選択肢から外すべきであろう」

「となると、関係者を装って近づくという手もございます。いくら停泊しているのが大名家の船ばかりとはいえ、物資の積み込みなどで商人らが多く集まりますので」

「孫左衛門はそれでもよいだろうが、俺は目立つぞ?」

「ならば籠にでも乗られますか?多少不審な目で見られるやもしれませんが、近づくことは出来るかと」

「怪しすぎて警戒されるわ。それも無しだな」

「ふーむ、ならばなかなか厳しいのではないかと。そういえば天王寺屋さんはそちら側に蔵を持っておられます。たしか一色様と天王寺屋さんは面識があったかと」

「ある。雑賀と火薬の件で大いに世話になっているゆえ、堺の会合衆の中では比較的頻繁に人のやり取りをしているくらいだ」

「さようでございましたか!ならば天王寺屋さんを頼りましょう。さすれば毛利家の船団近くまで向かうことは出来ましょう。天王寺屋さんの蔵に行くのであれば商人の身分を有していれば普通のことでございますので、そこまで不自然に映らぬかと」


 名案だと孫左衛門は手を打った。俺もそれであれば問題ないと思う。

 足の悪い男が大名家の船を見物に行けばどこの刺客なのかと警戒されるが、商家の蔵ともなればそこまでだ。

 足が悪い男がまったくいないわけではない。鉄砲で風穴をあけられて足が使えぬようになった者が稀少というだけでな。

 ゆえにただ杖をついているだけで尋常でなく怪しまれることはないというわけだ。あくまで自然に振舞っていればの話であるが。


「よし。ならばさっそく天王寺屋の蔵に向かおう。だが先に事情を説明しておくべきだ。天王寺屋に伝手は?」

「蔵の責任者のことはよく知っております。まずはその人物にこちらの事情を伝えて、蔵の前で揉めぬようにだけしていただきましょう。返答を得ることが出来次第、こちらを発つということで」

「そういう手筈でいこう。すまぬが人をやってくれるか」

「はい、お任せを」


 孫左衛門が俺から離れた隙に、コソッと如信が傍へとやってくる。

 そして孫左衛門ら、末吉の関係者に声が聞こえぬよう俺の耳元によって尋ねてきた。


「まことにうまくいきましょうか」

「さてな。毛利の知り合いと言えば穂井田家の当主である元清殿くらい。しかも元清殿は現在御所におられるゆえ、間に入っていただくこともかなわぬで」

「いずれ一目見ることが出来るのでは?今無理をして見に行かずとも。それでなくとも政孝様は人目を引いているというのに」

「人目を引いているからいいとも言える。ずっと俺を監視している連中に対して牽制になるであろう。俺は毛利ともつながりがあるのだぞ、と。かつての対立構図の都合上、嫌織田・今川、親毛利の勢力がいてもおかしくはない。こういった連中に手出しが出来ぬように示しておくのに、今回の婚姻話は都合がよいわけだ」

「…それは婚姻が成ってから効果を成すものでございます。今はただ不審な行動で毛利の様子見をしようとしている政孝様の姿がその勢力に報告があげられるだけではございませんか」


 如信の退かぬ姿勢に内心拍手を送りつつも、俺はあまり表情を崩さずにジッと如信を見た。

 如信も決して誤魔化すことなく、ジッとこちらを見ている。


「まぁそういうことだな。今俺が無理をする必要など、本来であれば無い」

「ならば」

「正直に言えば、今の俺にはやることが無い。大名家が集っている今、明らかに贔屓されている俺が御所にいれば、今川家がそういった目で見られることになる。特に未だ幕府のやり方に不満を垂れている例の3家に対しては慎重に当たらねばならぬ。それゆえに俺は一時的に幕府から距離をとることにしたのだ。そもそも今は幽斎殿が俺の代わりをやってくれているし、昌友も補佐として幽斎殿に付き従っている今、俺もそこに加われば今川から人を出しすぎだと言われかねん。これが火種になるか、弱みになるか。いずれにしても日ノ本や幕府に何も良いことが無いわけだ。だから俺は暇だ」

「ひ、暇でございますか」


 呆気にとられたように如信は言葉を漏らす。

 それに頷き、そして孫左衛門がいる方へと目を向けた。別に孫左衛門を呼んだわけではなく、ただそれとなく視線をそちらの方角に動かしただけだ。


「それに慶次の帰京を待たねばならぬ。少し予定が遅れているのは、また向こうで面倒事に巻き込まれたか、あるいは紀伊の居心地の良さに足を止めさせられているのか」

「…紀伊の居心地はさほどよいとは言えませぬ」

「行ったことがあるのか?」

「何度か。瀬戸内の口を守っているのは長宗我部家でございましたが、畠山家は監視に徹しておりましたので」

「対毛利の時代か?」

「はい。毛利には二度と瀬戸内の東部を奪われるわけにはいきませんでしたので。織田家に接近した畠山家を頼るのは道理でございます。ただあまり長く滞在したいとは思えませんでした。とにかくかの国は閉鎖的でございます。北を雑賀衆に東を織田家に閉じられていたためでございましょう。それに加えて水軍衆を創設せず、港の整備も後回し。空気がよどんでおりました」

「そこまで言うか」

「言います。俺は初めての紀伊入りで二度と行くまいと思いましたが、結局主命でその後3度入りました。抱くものは最後の1回を除いて毎回同じでございました」


 だんだん声が弱々しくなっていく。それほどまでに嫌な思い出だったのだろう。

 しかし最後の1回はそうでもなかったらしい。いったいどういった心境の変化だったのか。


「…最後の1回は先代の当主様が非業の死を遂げられ、現当主様が跡を継がれたときでございました。現当主様は京への憧れが強く、開けた国づくりを心掛けておられるようでございました。つまりそれまでの3回とはまったく領内の雰囲気が変わっていたのです。俺はそちらの方が好みでございましたので」

「なるほどな。たしかに今回の松嶋屋の興行にしろ、公家を多く呼び寄せたりとなかなか開けた国づくりをしている印象はある。まぁやりすぎて印象が悪くなっているようにも見えるが」


 正確に言うと、俺と敵対する派閥の公家と接近しようとしているせいで印象が悪くなっていると言える。

 それが意図的なものなのか、たまたま取り入れそうな勢力がそちらだからなのかはわからない。わからないが、現状だと畠山家は信用できない側ではある。


「お待たせしました、一色様」


 そんな話をしていると、少し汗をかいた孫左衛門が俺の傍へと駆け寄ってくる。

 まだ何か言いたげな如信であったが、接近に気が付いてスッと距離をとる。それを孫左衛門は不審に思わなかったようで、駆け寄ってきた勢いのままに孫左衛門が言葉を続けた。


「天王寺屋さんの蔵番より、了承の人がありましたのでこれより向かいましょう」

「よし。ならばそこまでの案内をよろしく頼む」

「はい、お任せを」


 だがまぁ、如信の忠告も一応頭に入れておくとしよう。

 俺を狙う勢力は間違いなく、この堺入りも把握しているだろう。さっさと用事を済ませて、屋敷に戻るとしようかな。

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