997話 鶴姫見物
堺 一色政孝
1589年冬
「しかしどうして堺に?今は京も大忙しであると思っておりましたが」
「俺はその大忙しには含まれていないのでな。騒がしい京を離れて港見物に来たのだ」
「港見物とは。南蛮人でも見に来られたので?そうでなければ船など見飽きるほどに見ておられるでしょうに」
末吉孫左衛門とともに堺の町を歩く。
背後には如信、姿を隠して栄衆が護衛についてくれている。
万全の備えをしたうえで、こちらの事情を知っている孫左衛門が店の用心棒までつけてくれていた。
明らかに目立つ一団になってしまっているが、本当はこのような状況を望んではいない。
嫌でも目立つゆえに、こそっと様子見が出来ぬ。ただ児玉の娘を一目見ようと思っただけだったのだがな。
「南蛮人は俺も見飽きるほどに見ている。国許でも布教活動が認められているゆえ、堺同様港まで出向けば異国の者たちが大勢いるで」
「それはたしかに。むしろ堺よりも滞在人数は多いやもしれませぬな」
「それはわからんがな。伏見は布教活動以外も認められているゆえ、それを目的とするならば堺の港に集い、伏見を目指す南蛮人がいてもおかしくはない。それにすでに堺では南蛮人の居住区域を設けたと聞いている。そこまで開けているのは日ノ本でも堺くらいであろう」
「…まぁたしかに」
孫左衛門の歯切れが突然悪くなったのは、この居住区の決定について会合衆がずいぶんと割れたからだと思われる。
やはり宣教師を含めて、珍しいものを多く扱う南蛮船の寄港は港やその周辺に莫大な富をもたらす。
いかに他の港よりも多く南蛮船を受け入れるかを考えた結果、居住区域を作るという結論に至ったとのことだ。
だがこれはリスクも伴う。幕府と朝廷、そして会合衆による激論の末にそれが認められたのだが、孫左衛門は反対派であったらしい。歯切れが悪かったのはこれが原因だ。
「実際南蛮船は増えていますがね。噂では幕府によからぬ交渉をしかけているなんてこともございますし、ワシにはあの者たちを全面的に信頼できぬのでございます。それなのに堺に居住区域をつくるなど、日ノ本の喉元に刃を突き付けられているようなもの。なぜそれを理解されぬのか…」
そう言った孫左衛門は慌てて口をふさぎ、そして周囲を見渡した。
反対派は幕府もそうであったのだが、朝廷は賛成派であった。明や琉球との関係改善、国交樹立などもあって日ノ本を開けた国にしたいと朝廷は考えている。
それゆえに居住区域を設定することに賛成したのだ。幕府は武力行使についての権限を持っている。
コタローの話もあって、宣教師やその背後にある列強国の動きに警戒している。それゆえの反対だ。
会合衆の賛成と反対はそのままの意味だ。
賛成派はさらなる商売拡大を見込めると考えて。反対派は自分たちの商売が食われかねんと考えてである。
ほとんど真っ二つになった話し合いであったらしいが、賛成派に豪商がかたまったことが居住区の設定にかたむいた理由であったとのこと。
「まぁまぁそれぞれ享受する利益が違うゆえな。得をするものもいるということ。反対に損をするものもいるわけだが」
「損をしたものからすればたまったものではございません。あの者たちは見たこともない薬を船に積んでいたりします。それが売れ始めれば、我らは商売あがったり。小西さんも頑張ってはくれていますが、いずれそういった者たちは淘汰されていくのでしょうかね」
盛大にため息をついた孫左衛門。
しかしそうはいっても、今のところ孫左衛門のところの店が傾く様子はない。新たに事業を展開しようとしているという話も聞くし、俺が初めてこの男と会ったときに感じたたくましさは健在であった。
「さて、そろそろ港でございます。どこの船を見に行きましょうか?」
「実はあまり大っぴらに見たいわけではなくてな」
「ほぉ、つまり訳ありでございますね。ならば末吉の蔵がございますので、まずはそちらに向かいましょう。さすればこっそり港の様子を見ることも出来ると思います」
「その蔵は港から近いのか?」
「もちろんでございます!ワシのような店はいかに船で荷を運べるかが儲けの鍵となりますので。停泊地に近い場所に確保しております」
指をさす先には大量の蔵が並んでいる。大井川港や一色港に似たような景色だ。どこもかしこも多数の人で賑わっており、荷もあふれんばかりに積まれている。
「しかし大っぴらに見ることが出来ないとは。まさか一色家に仇成す勢力であるとか、そういった話でございますか?もしそうであれば、この孫左衛門も力になりたいと思うのでございますが」
「そんな話ではない。あとあまり大きな声でそういうことを言うてくれるな。周囲にある者たちが誤解したらどうするのだ」
「こ、これは失礼いたしました。ですがそうでないのであれば、なにゆえ姿を隠されるので?」
「訳ありだ」
「ふむ」
孫左衛門は俺がまだ言いたくないことを読み取り、それ以上は追及してこなかった。しかし本当に南蛮人が多いな。まるで異国なのかと錯覚するほどに多い。
これだけ人がいれば、こっそり児玉の娘を見ることも出来るであろう。はたしてどんな娘であるのか、はやくその姿を見てみたいものだ。
堺 児玉就英
1589年冬
「一色殿はまことに引き受けてくださりますでしょうか」
「さてな。明らかに顔が引きつっていたのは気になるが、今川としても毛利と縁を持っておきたいと考えてくれるやもしれぬ。そうなれば話は一気に進むやもしれん。鶴の嫁入りもようやく出来る」
「ですがすでに本性を知られておりますゆえ、そうなれば毛利の他の家同様に拒絶されるということも…」
「あまり悲しいことを言うてくれるな。それは父である私が一番よくわかっている。だがなぁ」
悲しいため息が響く。元昌も鶴の置かれた状況をよくわかっているために、その嫁ぎ先に興味津々ではあった。
なかなか輿入れが実現せぬことにやきもきしているのは元昌も同様である。
「一色家は今川の一門筆頭でございます。家中の立場で言うなれば、我ら児玉家よりも上でございます。そこに娘を嫁がせたとなれば、毛利家中での評価も上がるのではございませんか?元清様が一色家の御隠居と親しくされているとのことでございますが、それに次ぐ間柄になれると」
「理想であるな。私は正式にあちらから人が寄こされるまでは期待せん」
鶴のごり押しに負けて婚姻を申し込んだが、やはり殿か隆景様を介した方が良かったと今さらながらに後悔する。
言葉の重みがあまりにも違うゆえに。
婚期を大幅に遅らせたじゃじゃ馬を嫁としたいと考えるものは実際稀であるのだ。あの顔の引きつりようは、毛利家中で嫁入りを打診した者たちとほとんど同じであった。
鶴を応援したい気持ちと、また断られるのではないかという心配がずっと頭の中でせめぎあっている。元昌の心配ももっともであった。
『父様!少し船を降りてもよいでしょうか!』
「…言うた傍から」
私が頭をかかえると、元昌がゆっくりと腰を上げた。まるで私がこれからいうことを分かっているかのように。
「よろしく頼む」
「かしこまりました。しっかりと見ておきますので」
なぜあのような娘に育ってしまったのか。
まことに心配である。一色殿は受けてくれるであろうかな…。
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