995話 死去を知る

 伏見今川屋敷 一色政孝


 1589年冬


 きっと今頃、室町新御所にて戦勝報告が行われているはずだ。

 鎌倉公方様はなんだかんだで初の京入りなわけであるが、幕府の心配をよそに十分な成果をあげられたと言ってもよい。

 これで名実ともに幕府の出先機関として鎌倉公方家が機能していくはず。

 これまでは今川家あっての鎌倉公方家というような状態であったうえに、その名声は関東内に留まっていたゆえ、東国一帯にその名が轟いたのは非常に大きな成果であると言えるだろう。

 ただ1つだけ気になることがある。範以様曰く、大浦の遺児を截流斎殿が預かられたということ。そもそもの和睦条件は、大浦為信の跡を継いだ信堅がすべての責任を負って腹を切ることであった。

 それですべてが終わるはずであったのだが、多くの大浦家臣らがその後を追っている。截流斎殿が預かられた遺児とやらも、本来は大浦の家臣が託された者であったはずなのだが、無理を言って截流斎殿に預けられたらしい。

 その遺児は二度と大浦の名で呼ばれることはないだろう。これは内々に抱える爆弾と同じだ。

 とは言っても俺も似たようなことを過去にしているゆえ、それを批判できる立場にはない。井伊の名を捨てた直政にしても、千葉の名を捨てた胤孝にしてもな。


「それでどうであった。一色の水軍は」

「よく統率がとれておりました。火器や船の性能はこれからでございましょうか。これについても国交樹立を実現してくだされば、技術の提供も惜しまぬとイングランドの王室は考えておられます」


それは非常にうれしい申し出であるが、これからイングランドは世界各地に植民地をもって大英帝国を形成していく。

いったいこの日ノ本をどうしようと考えているのかによっては、宣教師やスペイン・ポルトガルよりも付き合い方は慎重にしていくべきだとも思える。

もし仮に対等な同盟関係をあちらが望んでいるのであれば、本当に喜ばしい話であるのだがな。


「言うてくれるな。とにもかくにも大殿の根回しによって幕府と縁を得ることが出来るのだ。うまくやってくれ」

「もちろんでございます。日ノ本統一が成った今、あの者たちも動き始めるでしょうし、我らも積極的な行動を起こしませんと。イングランドから、はるばる日ノ本にやってきた意味が何もなくなってしまいます」


 コタローとMrドットは今川の船に乗って京入りを果たしている。他は九鬼領に船を泊めて待機だ。

 まぁ今回の戦で随分と親密な関係を築いたとのことで、イングランドの一団を預けた昌成もよくやってくれたと思う。おかげでよい土産を持って公方様に謁見することが出来るのだから。

 聞いたところによるとコタローと公方様に面識は無いとのことだ。それゆえややこしいことにはならぬだろう。懸念があるとすれば、義輝・義昭に仕えた幕臣も今の幕府にいるということ。気が付かれれば話がこじれるかもしれないな。


「ところで今代の公方様とはどのような御方なのでございますか?あっしが日ノ本を離れた時は…」

「義輝様が征夷大将軍であられたはず。三好家が畿内での影響力拡大を狙って、若狭を狙われたのだと記憶しているが」

「そうでございました。若狭をとれば、北近江の情勢からみても朝倉の畿内出兵が出来なくなりましたので。我らはそのために狙われたのでございました」


 こともなげに言うてはいるが、当時のことを考えればそれはもう大変な思いをしたことであろう。

 まだ外の世界が開かれていない頃に漂流という形ではあったが、強制的に日ノ本から離れることになったコタロー。その後、外の世界と順応していく中で新たな居場所を見つけて、今でははるか遠くの国で通詞として活躍している。

 もしどこかで別の選択をしていれば、若狭武田家最後の当主として死んでいたかもしれないと思えば、やはりコタローは数奇な運命にあると思った。


「もう少しあっしが大人であれば、とあの頃はよく考えておりましたが」

「今は違うと?」

「たとえ老練な爺であったとしても、あの状況をひっくり返すことなどできぬでしょう。朝倉の援軍は期待できず、おばば様のご実家である六角も窮地にございましたので。そのうえで家中もまとめられぬとなると、もう勝機などございませんでした。あっしを命がけで外に逃がしてくれた者たちには死ぬまで感謝し続けることでございましょう」

「コタローがそう言うてくれるかぎり、命がけで逃がした者たちもうかばれるであろう」


 コタローはしんみりとした表情で頷く。

 あの頃は遠き地での出来事だと思っていたが、まさか何十年もたってこのような縁を持つとはまこと数奇。この言葉に尽きる。


「…しんみりしている場合ではございませんでした。此度は一色様にお礼を言いにやってきたのでございます。あのとき、一色様が我らの元を訪ねて来て下さらなければ、我らは島を不当占拠した海賊として命を狙われ続けたことでございましょう。イングランドは東洋に拠点がほとんど無く、準備も無く島から追い出されてしまうと洋上で遭難、最悪死ぬことになりました。改めて船団を代表してお礼いたします」

「そこまでのことはしていない。俺とて大殿に呼び戻されなければ、青ヶ島に向かうことなど出来なかった。即座に俺を呼び戻してくださった大殿に礼を尽くすべきで、俺はただ間に入っただけにすぎぬ」


 だがまぁ、たしかに話がわかりそうなものといって宣教師を派遣した結果こじれたからな。

 それを思えば俺という選択は最良だったのだと思う。未来の知識を有している俺だったからこそ、こうして手を組むこともできたわけであるしな。

 それがなければ、先に友好関係にあった宣教師らの言葉を信じていたであろうし。


「それでもでございます。すでに今川の御隠居様には御礼を伝え、今後もよりよい関係を築いていけるようにお願いいたしました。今回の戦果に満足していただけたのか、良き返事を頂けて船団一同大喜びしております」

「それはよかった」

「はい」


 ただまぁ範以様からすれば気が気でないかもしれない。御方様は大友の出で切支丹だ。

 家中で切支丹に差別も偏見もないのだが、ただコタローの言葉が真実であれば、今後イングランドとの付き合いを優先していくとなると、何か感じられるところはあるだろう。

 肩身の狭い思いをされるかもしれない。

 一国の事情と一人の身内の事情。これらを上手く解決する方法を探しておられる最中のはず。

 こればっかりは俺も口出しし辛いゆえ、お二人に任せるしかない。歯がゆい気持ちはないが、何事もないことは祈るばかりである。




 指月伏見城 織田信忠


 1589年冬


「ち、父上が!?それはまことなのか、信秀!」

「どうにか兄上が戻られるまではと抗っておられたのでございますが。その思いも叶わず、夏の頃に」

「なぜ…。なぜ、俺に何も報せなかったのだ!?さすれば俺は…」

「どうされたのでございますか?戦を放って戻ってこられたのでございますか?兄上はご存じないと思いますが、父上の死を感じ取った何者かが織田の跡目争いに介入した形跡がございます。どうにか城にある者たちで協力し、その死を隠しておりましたが…」


 弟の信秀を怒鳴りつけても仕方がないことである。

 そもそもこの者が言う通り、織田の大半が不在の状況で俺の命を狙うものが出ても不思議ではない。

 今の京はそういった謀略にあふれていると言ってもよい。

 父上が気にしておられたのは織田のことのみであらず。一色のこともそうであるが、平然と京の中で命を狙われるような状況なのだ。

 それゆえ、父上が周囲にその死を漏らさぬように厳命されるのは決しておかしなことでは無い。無いが、せめて俺くらいには言ってくれてもよかったであろうにっ!!


「兄上、我らの養母様でございますが、現在伏見の今川屋敷にかくまわれております。父上が養母様の政治利用を避けられるために織田の中から外に逃がしておられました」

「…今川屋敷とな?つまり父上は」

「一色殿には先が短いことを伝えておられました。そのうえで兄上が戻られるまで、秘密裏に協力していただくようにとも」

「それで信照叔父上がここにおられるのか」


 チラッとそちらを見れば、父上と似たお顔の叔父上が頭を軽く下げられた。

 たしかにおかしいとは思ったのだ。

 いつも末森城から一歩も出てこられぬ叔父上が、伏見に滞在していることが。まさか影武者まで使って死の偽装をしていたとは。

 だがおかげで織田家は誰の手にも渡っていない。これは不幸中の幸いであったと言えるであろう。


「すでに父上は尾張に戻っておられます。戦勝報告が済めば葬儀のためにお戻りください」

「…そこまで話が進んでいるのだな」

「はい。ですがその前に養母様をお迎えにいったあげてくだされ。これ以上一色殿の世話になることは出来ぬでしょう」

「わかった。色々と気を遣わせてすまぬ。信秀は今後も変わらず伏見の街を守ってくれ」

「ははっ!」

「俺は家中全体にこれを知らせねばならぬ。みな、受け入れるまでに時間がかかるであろうな」


 はたして父上亡き織田はこれから上手くやれるのであろうか。

 俺が立派に跡を継ぐと努力してきたが、父上との差はいっこうに埋まっていないように思える。

 なぜ最期の瞬間、俺は傍にいてやれなかったのか。もう少し、もう少しだけ耐えてくだされば…。

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