991話 通詞コタローの許嫁
近江国安土城 一色政孝
1589年冬
近江に入った義種様とその一行。義任様の命で俺もその一行に含まれてはいるのだが、この不自由な足のせいで比叡山やその周辺の調査に乗り出すことは出来なかった。
かわりといってはなんだが、浅井家当主代理である浅井政元殿の要請を受けていくらか領内に関わる公に取りざたされている問題に関する助言などを行っている。
ただきちんと自分の中でも理解していることであるが、俺は別に政についてとびぬけた才覚があるわけではない。俺の考える理想に肉付けしてくれる昌友がいたから、一色家はあれだけ裕福になったのだ。
だから助言などは出来ないと最初こそ断ったのだが、政元殿にどうしてもと言われ、義種様に「あくまで助言ならばしてやればよかろうに」と言われたため、無責任な発言であるため半分聞き流す程度で聞いていただければと条件を付けて承諾した。
結果として政元殿が可愛がっているとある男が俺のもとに連日通うようになったのだ。
その男こそが史実で豊家のために命を懸けた石田三成であったわけである。
この世界線の三成は、浅井長政死去後に政元殿に見初められて浅井家に仕官した。ちなみに三成の父親である石田正継殿もまた文官としての才を発揮しており、現在はかつて信長が築かせた坂本砦の跡地を中心として建てた坂本湊の奉行に任じられている。
さらにちなむと淡海の南部には坂本に並ぶ物資の一大集積地がある。それは大津湊と呼ばれる湊であり、規模で言えばどちらかというとこちらの方が賑わっている。差は単純なもので、大津湊の傍には西国と京を結ぶ街道があるというのが大きな理由であろう。
この大津湊の奉行に任じられているのが史実で石田三成とともに豊家を支える五奉行の1人とされていた
実際両名の働きは非常に大きなもので、明との貿易窓口である若狭や敦賀と京を結ぶ窓口として浅井家は大きな役割と信頼を勝ち取ることに成功した。これは早い段階で明国の商人との繋がりを重視してきた浅井家の先見性が得た唯一無二の財産である。
話がそれたが、その坂本湊のお奉行を父に持つ三成殿が俺の元を頻繁に訪ねて来ているのだ。毎日毎日飽きもせず。
そして熱心に話を聞いては、義種様が戻られる直前くらいに部屋を出ていく。
几帳面でもあり、生真面目な男。まさに俺の想像通りの人物であった。
「では敦賀の問題は幕府の動き次第であると」
「俺はそう考えている。先帝のひとこえで明との国交回復に成功はしたが、あちらの国内情勢はあまりよくないとのこと。そういった話は俺よりも浅井家の方々の方が詳しいはずであるが」
俺がそう問いかけると、三成殿は「そのとおり」とうなずく。
ならば話は早いと、さらに言葉を続けた。
「これまで明の商人たちを困らせていたのは倭寇という、明国からも敵視されている者たちであった。ゆえに明国のやり方次第で、我らは共通の敵『倭寇』を討伐する名目で手を結ぶことが出来たわけであるが」
「明国内の問題を持ち出されると、我らにはどうすることも出来ません」
「そういうことだ。今、敦賀や若狭の開けた港がそういった雰囲気になっているというが、正直に言えばこれに大名家が介入することは控えるべきであろう。実際織田家も若狭でのそういった声は黙殺している。一切明国の商人相手に手を差し伸べてはいないはずだ。光秀殿の代理で若狭を取りまとめている山内家はそうしていないか?」
手を貸すということは朝廷の手柄に泥を塗るようなもの。いくら国内の情勢が荒れていようとも明は大国で、日ノ本は長年の戦の傷も癒えていない小国。
まともにぶつかったとして、果たしてこちらにどれだけの傷が出来ることやら。
「それよりも俺から言えるのは、奥羽・蝦夷との交易をすぐにでも再開できるように準備をしておくことである。あとは上杉領の佐渡から送り込まれる豊富な鉱物資源を蓄えられる港づくり、か。これは早急に手を付けるべきであろうな。奥羽の戦が終わればすぐにでも動きがでるはずだ」
「それは例の貨幣制度に繋がる話でございましょうか?それで政元様指導のもとである程度は」
そこで俺は即座に首を振った。
ある程度の準備では足りないのだと。これから日ノ本全土で貨幣制度を導入しようとしているのだ。おそらく貨幣造幣の材料として主に用いられるのは佐渡や出雲、生野や甲斐。他にも多くの地で産出された鉱物資源が造幣を担う場、つまり堺へと集められるわけだ。
ここで物資搬入についての課題が発生する。日本海側の特に北の方に位置する鉱山からとれたものをどうやって堺に運び込むべきか。
太平洋側、あるいは瀬戸内海付近の鉱山であれば直接堺に運び込むのだろうが、佐渡などの地域はそれもなかなかに大変なことである。
ゆえに交易路が発展し、大きな街道がすでに用意されている若狭や敦賀を使うのだ。両地については明との交易港として発展しているため、機能を担ううえでも申し分ないと判断された。
「ある程度では足らぬ。今後日ノ本で貨幣制度が廃れぬ限りはその運送路を維持し続けねばならぬ。絶対に滞らせてはならぬのだ」
「これを最優先にすべきであると?」
「さきほど三成殿も言うていたではないか。明国との関係があやしげになりつつある現状、いつ来航できなくなるかもわからぬ明国の商人をいつまでも頼っている場合ではないと。むしろあの者たちよりも確実に船が入ってくるのだから、それらを受け入れることを最優先としても“今は”よいであろう」
「なんと大胆な」
「いつまでも友好的な関係が続くとは限らぬもの。そうであろう?」
俺の脳裏に浮かぶのは宣教師たちの姿であった。三成殿は仕官前の話ではあるが、浅井長政と朝倉旧臣との関係が浮かんだかもしれぬ。
ちなみに何度でもいうが俺は決してコタローに肩入れしているわけではない。日ノ本の出身であるからと言って、もはやコタローは日ノ本を捨てた…。いや、故郷から離れた男だ。
日ノ本にとって不利益になるようなことを裏でしているかもしれない。だがどうしても俺にはコタローが嘘をついているようには見えなかった。
ゆえに半分疑い、半分信じる。その程度の感覚で行けば、今起きている明国内の情勢不安に伴う商人らの助けを求める声は当然起こりうるものであり、それが後々日ノ本に災厄としてふりかかる可能性があるが、かろうじて対応することも出来るであろう。
浅井家に限った話ではないが、ある程度は見限る・黙殺するということも必要であると三成殿にはそれとなく伝えた。
当の本人はまだあまり実感が無いようであるが、それでも吸収はいつものようにしてくれているようではある。
「実は俺からも1つ聞きたいことがある」
「いったいなんでございましょうか?答えられることであればよいのですが」
「浅井輝政様の従妹様にあたる京極殿についてだ」
「京極殿、でございますか?もしやそれは
「寿芳院、様?そうか、あの御年で出家されていたのか。それは知らなかったが」
「出家されたのはつい最近のことでございます。生涯誰の元にも嫁がぬように、その身を仏門に入れられたと聞いておりますが。して寿芳院様がいったい何の」
「いや、それが聞けただけでも満足だ」
「は、はぁ。今の返答で満足頂けたのであればよいのですが」
三成殿は俺の反応に困り果てていたが、これに関しては俺もあまり深入り出来ない。これ以上はただのお節介となりかねず、ここでその名を問うてみたのは、ただ少しばかりの興味からだけのものである。
京極殿、寿芳院殿はその呼び名からもわかるように京極家の娘である。父親は長政とともに越前の地で散った京極高吉で、母親が長政の姉だ。
京極は宇多佐々木家の流れを持つ一族であったが、乱世の中で衰退していった。一時は近江北部にあった領地も家督争いで失い、同族である六角家に助けを求めたり、幕府に助けを求めたりと、京極高吉とその父親はかなり大変な思いをした半生であったらしい。
結局京極家の家督争いに関与、京極家から離れる原因となった浅井家との和解に成功し、浅井家先々代当主の娘、つまり長政の姉の
それはさておき、こうした京極家の近江復帰というめでたい動きの中で、一時幕臣として迎え入れられていたことで幕府に対して恩のある高吉殿に13代征夷大将軍である義輝公よりとある命が下されていた。それが若狭の守護であった武田家との繋がりを強化すること。正確に言えば足利の血を引いている武田元明との関係構築。
このころの幕府は三好とバチバチにやりあっていたころであり、京から西回りの陸路はすでに内藤宗勝が大部分を押えていたため、比較的幕府寄りであった近江守護の六角家傘下状態にあった浅井家の家臣となった高吉殿は娘が生まれ次第、すぐにでも武田元明のもとに娘を輿入れさせることが求められていたのだ。
聞けば生まれたばかりの赤ん坊の頃にはすでに若狭入りを果たしていたとのこと。時期で言えば1563年から1564年にかけて。
そしてこの時期に武田元明は内藤宗勝と若狭武田家家臣の裏切りによって若狭を追われ、近隣の国へと逃れている。だが寿芳院様はまだ幼いどころの話ではなく、元明とともに遠くへ逃げ延びることが出来なかった。
内藤宗勝に保護された寿芳院様は、のちに近江守護となった浅井家との関係構築の最中に京極家へと返されている。三成殿の話を聞く限り、生まれたばかりの頃にあった許嫁を生涯忘れず、以降は一度も誰の元にも嫁いでいないとのことだ。そして最近、出家されたとのこと。歳はまだ20かそこらのはず。
「もしや妻にしようと考えられているとか」
「滅多なことを言わないでくれ。そのようなことをこんな爺が考えるはずもないだろう」
三成殿が珍しく冗談などいうものであるから、思わず大きな声で反論してしまった。そのことに驚いたのか、三成殿は素早く頭を下げた。別に本気で下げているわけではないだろうが、誰かに見られると何を思われること、やら。
外からの視線に気が付き頭をそちらにむけると、どうやら今日の役目が終わったらしい義種様が政元殿とともに戻ってきておられた。
この状況は不本意な誤解を生みそうだと、思わずため息を漏らしてしまったものである。
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