比叡山の怨霊

990話 コエリョ布教長からの要請

 室町新御所 足利義任


 1589年冬


「まずはヒノモトのトウイツ、まことにオメデトウゴザイマス」


 先日、日ノ本に滞在している宣教師らをまとめているコエリョ殿より謁見の申し出があった。

 その日は津軽より大浦降伏の報せが京に届けられた日でもあり、その報をどこかで耳にしたのであろう。

 公方様としてはあの話があったとしても、これまでの関係を思えばやはり蔑ろにすることなど出来ぬとのことで、こうして機会を設けたわけである。

 しかし今川領にある青ヶ島を一時的に占拠したという者たちの言葉が事実なのであれば、日ノ本統一を実現した今こそ注意すべきであると私も、そして公方様もお考えであった。


「そのようにかしこまらずに。私とコエリョ殿の仲ではないか」

「いえ、そういうわけにはイキマセン。此度はヒノモトのショウグン様に会うために、こうした場を用意してイタダイタノデゴザイマス。ヒノモトにある友としてではなく、一国のアルジに会いにきました」

「…コエリョ殿、日ノ本の主は私では無い。そこだけは注意していただきたい」

「おぉ、これはこれは。シツレイいたしました」


 コエリョ殿はわざとらしくのけ反り、そして謝罪の弁を述べる。

 しかしどうにもいつもと様子が違う。政孝を若様につけて近江に送り出したのは失敗であったやもしれぬ。

 おそらくこの京で一番異国の事情に詳しいのは政孝であった。いったいどこでその知識を得たのかは不明であるが、青ヶ島の一件からもそれは間違いない事実。

 コエリョ殿は公方様の友としてではなく、布教長という立場で来ているとのことであるから、明らかに重要な話があるはずであった。


「実は此度はお願いがあって参った次第でゴザイマス」

「お願い?お願いとはなんであろうか。もし宣教活動の制限等に関することであれば」

「いえ、そうではアリマセン」

「そうではない?ならばいったい何事であろうか。私の力が及ぶ範囲であればよいのだが。これまでコエリョ殿にはよくしてもらったゆえ、できる限りは応えてやりたいとは思うが」


 公方様のお言葉は少しばかり迂闊であったと思った。

 たしかに宣教師が日ノ本にもたらした諸々は非常に大きなものであり、外の世界を知らぬ我らからすれば、まさに未知との遭遇であった。

 異国の宗教、武器、文化。まだ見ぬ世界を見せてくれた宣教師たちには感謝してもしきれない。これは正真正銘、彼らの抱く感謝の気持ちである。

 しかしだからといって日ノ本の騒乱がようやく落ち着いたばかりのこの時期に、怪しげな行動をしている宣教師の言葉を聞き入れることは難しい。

 今の公方様のお言葉は言質を取られたと受け取られてもおかしくはないものであった。

 公方様の人の良い所が、ついうっかり出てしまった形である。


「セバス司祭、こちらに」

「ハ、ハイ」


 ずっとコエリョ殿の背後に控えていた年若い司祭がススッと前に出て来て、そしてコエリョ殿の横に並ぶ。

 手には丸めた紙があり、広げると見たことも無い地図が描かれていた。


「これは?」

「これはリュウキュウよりもさらに南に位置する島でゴザイマス。ワレワレはこの島のルソンという場所に拠点を持っているのでございます」

「…るそん。最近どこかで聞いた覚えがあるが」


 公方様は首をひねられたが、私はその聞き覚えの正体がすぐにわかった。

 このるそんという地名は、政孝が接触したという摂津の商人が頻繁に船を入れていたという南の島の地名と一致していた。

 最近は海賊被害がひどく、船が出せないと嘆いているとも言っていたか。


「公方様、政孝が先日申していた件。それがるそんでございました」

「おぉ、そうであった!何やら最近は物騒であると話を聞いているが」

「やはりご存じでゴザイマシタカ!そうなのです!最近、どこのクニに属しているのかもワカラヌ者たちに襲われて困っておりました。ですが先日、ついにショウタイを突き止めることがデキタノデゴザイマス」

「ほぉ、正体を?実は我が国の商人もそのるそんという地の近くで襲撃被害にあっているようで、もし正体がわかったのであれば共有していただきたいのだが」

「えぇ、もちろんでゴザイマス」


 この瞬間、何やら嫌な予感がした。

 その嫌な予感をうまく言葉で表現することは出来ないが、しかし明らかに危なげなものを肌で感じてしまった。

 それゆえ咄嗟に口を挟もうとしたのだが、ずっと公方様の目を見て話していたはずのコエリョ殿が一瞬だけこちらを見たかと思えば、目で動きを制されてしまった。

 これは間違いなく予感が当たっている。あまりにも危険な香りがする。


「そのショウタイは明の正規軍と、それをシエンしているイングランドの私掠船団、つまり国家に認められた海賊でゴザイマシタ」

「…明の正規軍が我が国の船を襲うだと?それはありえぬことである。なんせ明とは朝廷が」

「明国にとって、ヒノモトやルソンは目の上のタンコブ。独立した国家が明国の太洋進出の妨げとなってオリマス。彼らはジコクの沿岸部で悪さをする倭寇の討伐に手が足らず、ヒノモトと手を結ぶことにしましたが、本当は邪魔で邪魔で仕方がナイノデス。一方で我らイエズス会のトウヨウ進出を拒もうとする国がイングランドですので、彼らが結託する理由があるというわけでゴザイマス。事実彼らは、ヒノモトの領地を占領したではアリマセンカ」

「…」


 公方様はジッと考え込んでおられる。

 しかしその領地を占領した船団は一色水軍の指揮下におかれて奥羽の一揆鎮圧に協力してくれた。

 まことにあの者たちの言う言葉が本当なのであれば、これは宣教師らによる明確な罠である。だが一方であのいんぐらんどからの使者を全面的に信じられるものもなかった。


「そこでイエズス会の上層部はとある決定を下したのでゴザイマス」

「決定とな?それはいったい」

「それは我らと同じく、不当なやり方に晒されているヒノモトの方々とともに明国の横暴を止めるというもの」

「コエリョ司祭、それはあまりにも勝手が過ぎます!我らは長きにわたる戦乱の時代をようやく終わらせることが出来たのです。なぜ日ノ本のことを他国の、それも宗教家らによって決められねばならぬのでございますか!?」


 ようやく口を挟めたのだが、コエリョ殿は一切こちらをみない。

 ただ公方様からの言葉を待っている。公方様も事の重大性を理解されているため、今度は慎重に言葉を選んでおられた。


「モチロン、タダで協力していただこうなどとは考えてオリマセン。セバス」

「ハイ」


 再び背後に下がっていた司祭が一礼ののちに立ち上がり、背後の襖に手をかけた。

 開け放たれたさきに広がっていた光景はまさに息をのむ。思わず「なっ!?」という声が漏れてしまったが、それは公方様とて同じであった。


「これは軍資金でゴザイマス。加えてルソンに停泊中の会所属の船団をハケンいたします。これだけあれば、明国やイングランドの船団を沈めることは容易でゴザイマショウ。上陸さえしてしまえば、あとはこちらのモノ。明国の北側はセイジョウフアンによって、王のイコウが届いておりませんので」

「我らであれば明の北部に攻め入ることが出来ると?」

「そう、上層部は考えてオリマス。ともに手を取り合い、互いの邪魔をする勢力を、このトウヨウから追い出そうではアリマセンカ」


 コエリョ殿はさすが宣教師をしているだけあって上手いものである。

 その気がなくともついつい引き込まれる話し方であるのだ。しかしこれは一国の一大事。

 とても公方様が単独で決めてよいものではない。

 少なくとも朝廷には即座に持って行くべき事案であった。


「今はまだ、バクフに、ショウグン様に権力が残されているとワタシは知ってオリマス。どうか賢明な決断をしていただけると、キタイしておりますノデ」

「…すぐには決断できぬ。長きにわたる戦がようやく終わったことは紛れもない事実であり、戻ってくる者たちの労を労わなければならない。その後も諸々の後始末があり、それを終えてからと考えれば何年も先の話となるであろう」

「…」

「しかし仮にコエリョ殿の忠告が事実であれば、明国と結んだ友好関係はいつでも破られる状態にあるということ。それは到底看過できるものでは無い」

「もう一度言わせていただきます。一国をトウチするオカタとして、正しい決断をされることを、切に願っております」


 司祭らは御所をあとにしたが、公方様はその場から一歩も動かれなかった。

 私も同様に動けなかった。


「明が我らを騙していた。それはあり得る話であろうか」

「異国との関わりが増えた今、海を支配する重要性はどこも理解していることでございましょう。コエリョ殿の言われたように、明国の皇帝が自国の太洋進出を目指すうえで日ノ本を邪魔に思っているという可能性は十分にあり得るかと」

「ならばあの者たちとともに明国に攻め入るのか?」

「それは…。」

「どちらにしてもすぐには決断できぬ。此度の戦に関する報告が御所で行われる。その際に今日のことを話し、みなの考えを聞くとしよう」

「公方様、その際にはどうか島津や龍造寺、そして長宗我部にはお気を付けを。それと伊達や大友も同様でございます」


 さきにあげた3家はとにかく血に飢えている。此度の奥羽での戦でも、手柄欲しさに前へ前へと突き進んでいったと聞く。

 あとの2家に関しては会との関わりが深い。

 大友は先代当主の影響もあって、家中の半分ほどの伴天連に改宗している。つまり会の主張が正しいかどうかではなく、家中が賛同に傾く可能性がある。

 一方で伊達家はすでに朝廷と幕府の許しを得て、彼らの国に使節団を派遣しており、さらに使節団の長が爵位まで授けられている。また織田や今川と違って、領内のどこでも布教活動をしてよいなど、傾倒の具合で言えば大友よりも凄まじいものである。

 これら5家が賛同すれば、他の大名家が反対に回ったとしても押しきれてしまう。それに大友の娘が今川に輿入れしている関係上、下手をすれば今川までもが…。


「わかっている。しかしまずは朝廷に知らせねば。中山権大納言様を呼ぶのだ。いそぎこの話を朝廷でも議論していただかねば」


 その目は間違いなく迷っておられた。

 一時、明への出兵を考えられたことがある。まだ国交回復を果たしていない頃のことであった。

 しかしあのときは政孝がその考えを改めさせたという。ならば今回もこの公方様の迷いを払いのけることが出来るのは、政孝だけなのやもしれぬ。もう1人、それが出来る男はすでにこの世を去ってしまったゆえに。

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