989話 一色家と児玉家

 陸奥国外ヶ浜 児玉就英


 1589年秋


『兄さま、見て!あれが今川水軍が誇る一色家の船団らしいわよ』

『あの安宅船が隆景様が率いる瀬戸内水軍を破ったのか』

『おかげで毛利も進化の波に遅れずにすんだんじゃない。時代に取り残されなかったと思えば、決して悪い負けではなかったと思うわ』

『鶴、その言葉、決して他家の方がおられる場所では言うなよ』

『わかってる。また私の嫁ぎ先が決まらないことについて陰口を言われるんでしょ?もう慣れた』

『それだけでは無いのだが、まぁ言わぬのであればそれでよい』


 遠くで子らが一色水軍を見ながらそのような話をしている。

 元昌の言う通り、鶴の言葉はずいぶんときわどいものであり、少なくとも当時今川水軍に手痛い負けを喫した方々には聞かせてよい言葉ではなかった。

 元昌の言葉の意図は伝わっていないようであったが、鶴も陰でこそこそ笑われていることは気にしていたようである。それがわかっただけでもまだ収穫があったと思うべきか。あまり喜べるものでもないが。


「就英様、数人が体調を崩しておりますが、誰かがかいがいしく牢に足を運んで世話をしていた者がいたようで、大半は健康であるとのことでございます」

「景唯、ご苦労であった。してその世話をしていた者というのは?」

「それが商人らも誰かわかっていなかったとのことでございます。最初こそ毒が盛られているのではないかと疑ってかかったようなのですが、目の前で毒が入っていない証明として食らっているさまを見てから、その者の世話を受け入れるようになったと申しておりました。また海辺であったため、夜間はひどく温度が下がったようでございますが、そういった日には日替わりで別の者らが火をつけにやってきたとも申しておりまして」

「謎が謎を呼んでいるわけか。だが普通に考えればその者は大浦に従う者であろう」

「大浦の都合で捕らえた罪滅ぼしでございましょうか。おかげで死人が1人も出ておりません」

「あのような場所にとらわれていて死人が出ていないとは奇跡だな。囚われの身にあった者たちは大半が商人だった。身体を鍛えていたとしても、この地の冬は随分と厳しいものであった。それを誰1人欠けることなく耐えたのだからな」


 従甥にあたる景唯は腑に落ちないといった表情であるが、おそらくは今しがた景唯が言ったとおりであると思われる。

 罪滅ぼしの意味があり、それを命じていた者はおそらく誰も死なせたくはなかったのであろう。

 しかしあの者たち曰く、この地に運び入れた荷や船はすべてなくなっていたとのこと。大浦が足らぬ船を商船で補っていたことは明白であり、商人らは凄まじい損害を被ったことになった。

 だが囚われていたあの者たちは命あってこそだとたいそう喜んでいたのが印象的である。商人によっては、商船を失うことこそ商人としての死であると店を畳むものまでいるというのに。


「…」

「就英様?何かございましたか?」

「いや。あの者たちの身柄は一色殿へと渡る。もはや我らは関係あるまい」

「はぁ。それでは何かがあると言われているようなものでございますが…」

「確証がない、が…。此度の商人保護の依頼元は摂津の商人であると言っていたな」

「隆景様は今川様よりそのように依頼を受けたと申しておられました」

「その依頼が直接今川家に渡ったとは思えぬ」

「それであるならば織田家も水軍を出しておりますので、そちらを頼るのではないかと思います。織田家の大将であられる信忠様は摂津にも拠点を持っておられますので」

「私も同感である。ならば別に伝手があったということであろう。特に今は京の各所に大名屋敷が建っているゆえ」


 そう言うと景唯はグッと頭をひねって考える仕草をした。

 おそらくであるが私も同じことを考えている。


「京の今川家は本願寺との関係を加味して、伏見に屋敷を築いておられます」

「そうであったな。伏見か山科か。選ぶ基準は一向宗と対立していたか、協力していたかくらいのもの」

「伏見には他にも上杉様もおられます。織田・今川・上杉とはなんともわかりやすい構図で。あとは伴天連の影響を強く受けている大友家も伏見でございますな」


 私がうなずけば、少しばかりうれし気に景唯が笑みをこぼす。


「今川屋敷の留守役は誰であったか…」

「父上、それはあの一色水軍を率いている男の父親でございます。一色民部少輔殿。今川屋敷の留守役であり、幕臣でないにも関わらず公方様の相談役でもあり、元清様の友である」

「あぁ、そういえばそんな話があったか。ところでこちらに戻ってよかったのか?」

「鶴の相手は疲れますので。あとのことは元隆らに任せました」

「ふむ。ならばよい。目を離すと勝手に動き回るゆえ」

「弟であればこれほど頼もしいものはないのでございますが。兄上は病がちでありますので、頼りになる身内が欲しいと思うております」


 何やら視線が痛く、居心地も悪い。

 逸らした先には景唯がおったゆえ、その肩を掴んで元昌へと差し出す。


「頼りになる身内よ。そうであろう、景唯」

「いつでも頼っていただきたく。まだまだわが父には及びませぬが、元昌様をお支えできるように修練は積んでおりますので」

「まこと頼りになるわ。な、そう思うであろう?」


 そもそも鶴があぁも男勝りになったのは私が悪いのだ。船に乗るときは横に置き、船から見える瀬戸内の景色をよく見せてやっていた。たまに海賊どもと戦う際にも、決して船底に隠すこともなく鶴に戦闘の様子を見せてきた。

 育て方を間違えたと気が付いた時には、時すでに遅し。じゃじゃ馬娘が親の手にかかってもどうにもならぬところにまで育ってしまっていた。

 元昌が鶴が弟であればと嘆くように、私も鶴が息子であればと思ってしまうほどである。


「そういえばなぜ元清様はその一色の先代と縁をお持ちになったのでございましょうか?毛利と今川はあまり関わりが無かったと思うのですが」

「それはな景唯」

「はい」

「織田の御隠居様にたいそう気に入られた者同士という共通点を持っていたからである。京で行われた主だった大名を集めて行われた会談の際、織田の御隠居様との付き合い方を一色の隠居殿にご教授いただいたと申しておられた」


 元昌が自慢げに語ると、景唯も「ほぉ」と感嘆の声を上げる。

 しかし当時の家中では、一色家を頼ったことをあまり好意的に受け取られていなかった。とは言っても、否定的であったのは頭の固い方々ばかりであったが。

 さきにも言うたように、今川水軍の主力であった一色家に手痛い負けを喫しているのだ。織田家を介して味方になったとはいえ、恨むべき相手に助けを請うとは何事なのかと。

 まぁ今となっては元清様の人を見る目が正しかったとなっているが。


「その隠居殿が依頼主である摂津の商人と繋がっており、その縁で囚われの身となっていた商人らを探していた、か。今川の当主すらも動かすその影響力、なかなかのものであるな」

「たしかに。一色家は様々な方面で名を聞くほどの一族でございます。しかし一番の魅力は伴天連の者たちに黄金都市と言わしめた大井川領の港町でございましょうか。一度は見てみたいと思っておりますが…」


 元昌が何かを言いたそうに私を見ていた。それに気が付いたのか景唯も私を見ている。2人が言わんとしていることはわかるが景唯はそもそも隆景様の遣いとしてよこされた身であり、私が連れまわしてよい者でもない。

 おそらく毛利の水軍はこのまま新潟、三国、若狭で京に寄り、そのまま山陰に沿う形で瀬戸内にまで戻るはず。

 我らだけが勝手を許されるとは到底思えなかった。


「景唯。隆景様を説得できぬか」

「私がでございますか!?そこは就英様の出番では?」

「何を言う。おぬしの言葉であれば隆景様も無視は出来ぬ。もし我らの願いを聞いていただければ、噂の地を一目見て帰ることが出来るのだぞ。このような機会があと何回あるか」


 チラチラと元昌が景唯を見て、うなずく時を待っている。私も景唯が隆景様を説得してくれることを密かに期待していた。

 しかし景唯は自信が無いのか、葛藤をしているのであろうがなかなかうなずきはしない。

 なかなかに緊迫した空気。この状況を動かしたのは、やはりこの者であった。


「父様、大井川領に寄られるのでございますか!?寄港されるのであれば、私も船を降りとうございます!」

「ひ、姫様!?」

「なに、景唯?あなたは日の本一と称される港町を見たくは無いの?あの栄えた堺よりも賑わっていると噂なのよ?私は見てみたいわ」


 すでに疲労困憊の護衛をつれた鶴の登場により、緊張した空気は一気にほぐれた。といよりも、景唯が折れた。


「かしこまりました。姫様の願いとあらば。一色家に商人らを託した後、すぐさま隆景様にお願いをしてまいります。ですがあまり期待は」

「わかっている。隆景様にもご迷惑がかかりかねぬゆえ、期待などしておらぬ。説得とは言うても、拒否されればすぐに引き下がるがよかろう」

「ははっ」


『一色家の船団に船をつけます!』

 船頭らの声にあわせて、ゆっくりと一色家の先頭にあった安宅船を船を近づける。そして隣り合ったところで、一色家より船を渡る用の板がかけられた。


「とりあえずは一色殿に会いに行くとしよう。此度の戦が無事に終わったことを讃えあわねばならぬ。鶴」

「はい、父様」

「余計なことは言うでないぞ」

「…はて」


 …心配だ。このような女子はそうおらぬゆえ、一色殿が吞まれぬか、無礼を働かぬか、まことに心配であった。

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