986話 大浦為信の覚悟
陸奥国和徳 大浦為信
1589年秋
「やはり我らの前に立ちはだかるは織田であったか」
「いくら敵方を崩したとて、次々と精強な兵が立ちはだかる。これは少々策を練り直さねばなりませぬか」
「時間はあまりない。いつまでも和徳城が耐えるということは無い。急ぎ策を練り、奴らを蹴散らす」
「かしこまりました」
祐光が隣でブツブツと漏らしているが、それよりも気になることがある。
それは津軽の西を抜けていたという上杉らの足止め報告がいっこうに届かぬことであった。
あちらには嫡子信建と腹心である茶右衛門をおいている故、少数しか動員していない上杉くらいであれば十分にくぎ付けにできると踏んでいたのだがな。
「祐光、
「信浄殿でございますか?いったいどちらに」
「いつまでも福浦城を守らせていたところで、奴らの目はそちらに向かぬ。ならば和徳城にくぎ付けになっている連合の目を盗み、背後にある堀越城を返してもらうのだ」
「堀越城を…。はぁ、なるほど!そういうことでございますか!?」
「どうだ、堀越城の守りは手薄であると、少し前の報せにあったであろう。あのときはそのような場所にまで目を向ける余裕が無いと捨て置いた報せであったが、今となっては有益この上ない」
祐光は広げた地図にかぶりつくほどに覆いかぶさり、またブツブツと小声で言葉を漏らす。
そしてしまいには「グフフ」と奇妙な笑い声を漏らしながら儂に頭を下げた。
「軍師としてこの程度のことに気づけぬとは。やはりこの役目は返上し、武功にて殿のお役に立たねばなりませぬ」
「それは違う。知略に優れたおぬしが命を伝えるからこそ、兵たちは信用して動くことが出来るのだ。すでに蠣崎をめぐる数度の海戦で負けを喫した儂の言葉を全面的に信用できる者は少なくなっている。唯一反対したおぬしにその信が集まっていることは身をもって理解しているはずであろう」
「…勝てば誰しもが気が付くはずでございます。この一連の動きすべてに意味があったのだと」
「みながみな、そう聡いわけではない」
傍に祐光という知略ありし者がいれば、なおさらにそれが際立つものである。しかしそれでよい。
それゆえに儂はこれまで自由に振舞えて来たのだからな。
「祐光、信浄に命を出せ。奴らの退路を断ち、完全に和徳で孤立させる」
「かしこまりました!」
「それと福浦城には信堅を入れよ。いくら手負いであるからとはいえ、敵の来ぬ福浦程度であれば守ることが出来るであろう」
「ははっ」
祐光が言った通り、この戦はおおむね想定通りに過ぎている。
いくつかの誤算を上げるとするならば、和賀・稗貫の一揆が想定以上に早く終わったこと。そして想定以上に一揆勢が死者を出したこと。これによって蠣崎に裏切りの代償を支払わせるはずが、早々に連合の水軍が津軽海峡を封鎖してしまった。
大浦に属する水軍衆が甚大な被害を出したのは、今川の水軍衆がこちらの動きを読んでか、先んじて南部領に入っていたためである。だがその程度であれば広い津軽海峡を封鎖しきることは出来ぬと踏んだのだが、続々と援軍が来てしまった。これが最大の誤算と言えるであろう。
しかし端から我が大浦の水軍衆が連合の水軍衆に勝てるとは思っていなかった。
先につぶされるか、あとにつぶされるかの違いのみ。
沿岸部にはこの日のために用意した大量の大筒が隠してあり、上陸せんと近づいてこようものならばドカンである。蠣崎に裏切りの代償を支払わせることには失敗したが、だからといって儂の計画が大幅に狂ったという事実は無い。
そしてもう1つの誤算。
それが次子信堅の負傷。正直に申せばこれが一番痛かったといえる。
出羽からの撤退戦の最中、最上の伏兵に襲撃されて受けた矢傷が原因でひどく体調を崩したのだ。意識朦朧の者を戦場に立たせることは出来ぬし、指揮を執らせるなどあり得ぬことである。
ゆえに儂の後方に陣取らせていたが、空き城に入れることが出来るのであればそちらの方がよかろう。であれば、多少はゆっくりとできるはずだ。
そう思っていたのだがな。
荒々しい足音が儂の元へと近づいてくる。血相を変えた
「ごっ、ご報告申し上げます!若様が赤石の地でお討ち死にされました!また種里城に詰めていた兵は大半が敵方の待ち伏せによって壊滅。生き残った方々もどうにか赤石を脱してこちらに合流せんと動いておりますが、追手が多くすでに大半が囚われの身、あるいは討ち取られたものと思われます!」
「…な、なんと。信建が死んだと申すか!?」
「はっ!敵の偽計にかかり、罠にはめられてしまいました!」
声が震えている。
儂が怒り狂って殺すと思っているのであろう。しかしそれは当然のことである。
利顕には若い信建をよく支えるようにと耳にタコができるほどに言い聞かせていた。にもかかわらず、種里に置いていた部隊が壊滅し、そのうえ信建までも殺してしまった。
これは浪岡の北畠を滅ぼした際に、北畠一族でありながら唯一見逃してやった儂への恩義を裏切る行いである。
そしてそこに仕える者もまた同罪である。しかし今はまだ手を出さぬ。ここは冷静に指示を出し、指示を…。
「と、殿!?これはいったい!?こやつ、北畠の若い衆ではございませぬか!?」
「祐光」
「は、はっ!」
「信建が上杉によって討ち取られたそうである。敵の罠にかかり、まんまと釣られてしまったと」
「な、なんと…。なんということでございましょうか。若様は大浦を背負って立つことが出来る器量をお持ちであられたというのに」
「利顕が死んだとなれば、これに関わる者どもも決して赦してはおけぬ。これは信建に従っていた者たち全員であるが」
「しかし今手を出すべきではございませんでした。ここは死んでいった者たちのために手を合わせねば、お味方からの信頼を失いかねません」
「自身を見失っていたわ。気が付いた時には刀を抜いていた」
「一時は許すおつもりであったならばよいのです。この者の処分はこの私めが引き受けましょう。あくまで殿は散っていった者たちの魂に手を合わせていると周囲に思い込ませることが出来れば、我らはまだ戦うことが」
「殿!一揆勢の壊滅により油川城が落ちたとの報せがございました!外ヶ浜の防衛にあたっていた秋田実季様、戸沢光盛様、仁賀保挙誠様お討ち死に!また油川城に入っておられた斯波詮直様行方知れずでございます!外ヶ浜一帯が落とされたため、伊達家を筆頭に連合の者たちが津軽北部の大部分に上陸し、兵を南に動かしているとのこと!生き残った方々がどうにか敵の侵攻を遅らせておりますが、いつまでも耐えられません!」
「ついに乗られたか。ならば」
「板垣将兼様より救援要請でございます!南部の者たちが東より侵攻を開始!陸奥湾からの上陸などもあり、少数の城兵だけでは抑えきれません!!」
「…四方八方すべて攻撃にさらされているのか」
「どうやらそのようでございます。私の策をもってしても、この状況を打開することは出来ぬでしょう」
「…そうか。ならば全軍に対して命を下す。儂はこれより鎌倉公方の首を目指して突撃を行う。儂に従う意思がある者だけ残り、あとは福浦城へ向かえ」
「ろ、籠城でございますか!?」
「降伏だ。嫡子であった信建がすでにこの世におらず、ならば次子の信堅がそれを継ぐのは当然のことである。また他の戦線で敵の攻勢に耐えている者たちにも伝えよ。これ以上の抵抗は無意味。早々に降伏し、連合の命に従うようにと。みなが儂と命運をともにする必要などない」
儂はその場から立ちあがり、外に待機させていた愛馬へとまたがった。そんな儂のもとに祐光が寄ってくる。
「私もお供いたします。流浪の身にあった私を拾ってくださった殿とともに逝きとうございます」
「祐光、おぬしにはここまで世話になった。だが気持ちだけ受け取らせてもらう。これからは信堅の傍にあり、大浦をどのような形でも生き残らせよ」
「な!?私を連れて行ってくださらぬと言われますか!?」
「連れて行かぬ!これは儂から下す最後の命だ!信堅を助け、大浦の血を乱世の後にまで残せ!」
儂は刀の背で強く祐光の兜を叩く。あまりの衝撃に、そして不意の攻撃に「ぐっ!?」といううめき声を残して祐光はその場で意識を飛ばした。
「信堅のもとに向かうものは祐光を必ず連れていけ。他の者は槍をとれ、刀を握れ、弓を持て。織田の壁を穿ち、鎌倉公方の首を土産にこの乱世から退場するといたそうか!!」
「おぉぉぉ!!!」
強く、頼りになる雄たけびが儂を中心に巻き起こる。
数人の兵が祐光の脇に潜り込み、そしてこの場を離れていった。残ったのは儂が率いていた者たちの大半。離れたのは沼田の者たちばかりである。
「さぁ!儂が先を行くぞ!みな、ついてまいれ!!」
乱世を捨てる者どもに儂の槍が止められるか!戦場を知り尽くした我が愛馬の足を止められるか!この津軽の荒波を静められるか!
さぁ、やってみるがよいわ!
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