985話 武士としての生き様

 陸奥国油川 秋田実季


 1589年秋


「決して奴らを上陸させるな!この地を奪われては、我らの負けは決定的なものとなるぞ!」


 こうして気丈に檄を飛ばしてみても、あまりに劣勢な状況は簡単には覆せない。

 為信殿は和徳城の救援に向かわれたというが、正直なところこちらに助力に来てほしいとは思ってしまった。

 よりにもよってこちらに派遣されてきたのがあの方とは…。


仁賀保にかほ挙誠きよしげ様より増援要請がございました。如何いたしましょうか」

「我ら安東の兵は貸し出せぬ。油川城にある斯波様に要請を送るようにと返答せよ」

「…かしこまりました!」


 しかしその者はいっこうにその場から立ち去る気配がない。何かを言いたそうに私をじっと見ていた。


「そのような顔をするな。おぬしが言いたいことはよくわかる」

「ならば何故!?」

「為信殿が強行した蠣崎攻めによって我らの水軍衆は壊滅に近い被害を受けた。我らは船に乗って遠くから攻撃してくる連中を陸から相手どらねばならぬ。由利にあった反最上の領主らがこの地に集ってくれたことは感謝すべきことであるが、もう目の前の浜に上陸させぬだけで手一杯よ。まだ余力があるのは一揆勢を率いて油川城に滞在しておられる斯波様のみ。駄目だと分かっていても、兵を出すことが出来るのは斯波様しかおらぬ」

「…むね「その言葉だけは使うでない!まだ我らは負けておらぬのだ!」」


 その者はうろたえ、そしてゆっくりと頭を下げて立ち去って行った。

 本当であれば為信殿には南ではなく北に動いていただきたかった。和徳城に入っている信元殿は戦上手として名高く、大浦家大躍進の立役者の1人でもある。

 ゆえに総大将がいるとはいえ兵の少ない南の本隊を叩きに行くよりも、もはや我らを武功としか見ていない連中が迫りくる北に来ていただきたかったのだ。

 だが助力に来たのは陸奥で敗走を重ね、命からがら津軽にやってきた一揆勢と、それらを率いていた斯波詮直様である。まったくもって頼りにならない御方の到着に、我ら安東勢や出羽の領主たちは酷く落胆した。

 それが為信殿の判断だと知って、さらに我らは絶望した。

 我ら出羽の民は大浦の捨て駒にされたのだと思った。あの者の表情はまさにそういった空気を読んでのものであったわけである。


「殿、通季様が敵方の攻撃にさらされてお討ち死にされたと。すでに亡骸を拾っての撤退が開始されたと報せがありました。これにより湊安東勢は総崩れとなり、奥内に敵方が上陸するのも時間の問題であると」

「…そうか、通季が逝ったか」

「はっ。また近くに展開していた戸沢光盛様が敵方の上陸を遅らせるために、戸沢盛重殿を奥内に派遣されたと」

「光盛殿には感謝であるな。しかしこれはあくまで時間稼ぎにしかならぬであろう。戸沢家にかかる負担があまりにも大きすぎる」

「先ほどの話にもありましたが、なぜ斯波様は出てこられぬのでございましょうな。数が足らぬ現状、とにかく兵を派遣していただきたいところ。にもかかわらず」


 安東家の当主であったころ、私をよく支えてくれた五十目いそのめ秀兼ひでかねは大きなため息とともに愚痴をこぼす。

 この男は一揆勢が安東領を占拠した際に、城主として領内防衛の指揮を執った。ゆえに一揆勢の強さも弱さも熟知している。斯波様の頼りなさはともかく、一揆勢がどれだけの力を発揮してくれるのか、その底力を知る秀兼はこの状況をひどく嘆いていたのだ。

 実際、我ら旧安東勢の兵は秀兼らが出羽より連れてきた一揆勢が主力である。こうしてある程度耐えてくれていることからも、指揮次第で化けることは証明済みであった。

 それゆえの「にもかかわらず」である。


「ご立腹なのだと耳にした。為信殿が特に労いの言葉をかけられなかったゆえに」

「それだけのことででございますか!?なんと身勝手な…」

「為信殿は最大限の誠意を見せられたと私は思う。労いの言葉はかけられなかったが、斯波様が浪岡城に到着されるまでは留まっておられたのだから」

「…」

「たまたまであると思うか?まぁあのような粗暴なふるまいをされる方であるゆえ、そう感じるやもしれぬ。しかし為信殿はああ見えて、思慮深い一面もある。この状況を思えば、何をと鼻で笑われるやもしれぬが」


 しかしそうは言っても、この地に集う者たちは為信殿に夢を見た。出羽のいち領主だったという存在でこの乱世を終えるのか。もっと大きくなれるのではないか。奪われた生まれ故郷に何をしてでも戻りたい。

 理由は様々であるが、いずれにしても為信殿が動いてくださらなければ、我らは時代の波に飲まれてひっそりと消えていたのであろう。

 それを思えば、為信殿は平等に機会を与えてくださったのだ。

 斯波様のことだってそうである。先んじて津軽の防衛にあたっていた者たちがいるなかでの浪岡城への到着。

 為信殿が明確に指示を出したからこそ、ただの逃亡者という汚名をかぶって時代から消えることは回避できたのだ。

 そうでなければ、きっと浪岡城で一揆勢とともに一息ついていたはず。労いの言葉を待っていたということからも、おそらくそのつもりであったのが目に見える。


「時代に抗う我らに花道を用意してくださったと?」

「幕府が大浦家とそれに従う者たちを敵と定めたのだ。その上に立つ朝廷が黙っているわけがない。つまり我らはもはや朝敵であるぞ?」

「朝敵…。我らがそのよう大それた存在になろうとは」

「楽には死ねぬな。しかしこの戦に負けたとしても武士として死ぬことは出来るであろう」


 勝てば生き残ることが出来るが、負ければ死ぬしかなくなる。

 それだけの状況に追い込まれた我らはさらに強くなる。こうして何か月にもわたる防衛戦を展開できているのがまさにその証であった。

 負け戦だとあきらめたわけではない。決して。


「見てみよ、秀兼。奴らは幕府にしっぽをふったために、武士として死ねぬのだ。何十年と戦場をかけてきた者たちの末路がそれである。あまりに哀れだと思わぬか」


 陸奥湾に浮かぶ複数の船を見た。

 あそこにいる連中は長い余生をこれからも生き続ける。戦無き世で、それはもう退屈に。


「所詮武士は乱世の中でしか生きられぬ。我らがまことの武士だと示すは今よ」


 よく見れば、また奴らが動き始めた。何度目かの攻撃が始まるのだ。

 これに耐え、奴らが近づいてこようものなら沿岸部に隠した大筒の餌食となってもらう。

 我らの意地を見るがよい。




 陸奥国津軽郡和徳 織田信忠


 1589年秋


「自ら買って出たことではあるが、やはり大浦為信はすさまじいものであるな」


 独り言のつもりであったが、知らぬ間に傍にいた長谷川はせがわ与次よじが小さくうなずく。しかしそれと同時に神妙な面持ちで俺に声をかけてきた。


「殿、森隊が崩れました。どうやら長可殿が敵の弾に当たったとのことで。指揮がとれぬ状況に陥っております」

「…状態は?長可は死にそうなのか」

「そこまでは。ですがあの男は弾が当たった程度で前線から退くような者ではございません。にもかかわらず崩れかかっているということは、そういうことなのやもしれません」

「そうか。森隊の穴は恒興にふさがせよ。決して為信を鎌倉公方様に近づけてはならぬ」

「かしこまりました。そのように使番をやりましょう」

「ついでに長可の容態も確認させるのだ。状況によっては森隊の指揮を長隆に任せることになるであろう。そういった心構えもさせておくのだ。森家の精鋭を後ろに置いておくほどの余力はないゆえな」

「かしこまりました」


 その与次の背後にもう1人立っていた。

 その者はサルに従う中村一氏である。


「サルは上手くやったであろうか。俺を貶して敵を騙すなど、恐れ多くてできぬと申しておったが」

「はっ!殿と鎌倉公方様の相談役である截流斎様の狙い通り、大浦の連中は最も手出しをせねばならぬところで、別動隊を見逃しました」

「よし。これでサルは北へと兵を進めたことになるのだな?そのほかに何か別動隊に動きはあったか?」

「例の偽報に騙された大浦勢が激昂して、摂津衆が留まる地へと急襲を仕掛けてきましたが、すでに到着していた上杉様との協力により撃退。敵将である大浦信建を討ち取り、津軽南部の沿岸を完全に掌握いたしました」

「信建は大浦の嫡子でございます。これは摂津衆大手柄でございますな」

「率いていた秀久にはうんと褒美を与えるとしよう。それと景勝殿にも感謝せねばならぬ」


 これで終わりかとも思ったが、一氏はまだとどまっていた。


「まだ何かあるのか?」

「はい。実はすでに動き出されていると思うのですが、毛利様が大浦の末子を津軽海峡上で捕縛いたしました。どうやら蝦夷の協力者のもとに逃れる最中であったようでございます。この末子の身柄は津軽北部の港を掌握されていた秀吉殿に預けられましたので、大浦との交渉の駒として使っていただきたいとこちらに護送中でございます。すでに本陣にもこの旨は伝えられていると思いますが、毛利様よりよろしく頼むとだけ言われました」

「…殿、これは」

「逃がそうとした話がまことであれば、交渉次第で一気に戦が終わるやもしれん。無理な攻めは禁物であるな」

「同感でございます。伊勢衆による和徳城攻めもうまくはいっておりませんので、この報せは広く共有すべきでございましょう。下手な動きを見せれば、他の大名家に恨まれてしまうやもしれません」

「そうであるな。とりあえず小野寺の陣に急ぎ人をやれ。あの男、ここで家中をまとめあげんと前へ前へと出たがっている。為信の攻めがここまで苛烈となると、交渉が始まる前に死にかねぬぞ。織田の者がそれに巻き込まれてもおもしろくはないしな」


 俺がそのように言うと、与次が慌てて外へと駆け出す。

 小野寺の監視は截流斎が俺に投げてきたもの。面倒な役目を任されたとは思ったが、汚名をどうにか晴らしたいと考えている小野寺義道は使える男であった。しかし死んでしまっては意味がない。

 義光殿の心労が増えるだけであろう。さすがにあれだけ周囲に苦労をかけられているさまを見ると不憫でならぬゆえに、義道だけは生かしておかねば。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る