984話 毛利家隆盛の立役者

 津軽海峡 小早川隆景


 1589年秋


「戦は終わりでございますか?」

「あなたはどう思いますか?」

「終わりでございましょう。この期に及んで血筋の者を津軽から外に逃がそうとしたのです。それも大浦の重臣をお守りにつけて。よほど大浦の内情は切羽詰まっているのだろうと、そう思えます」

「私も同感ですね。最後の戦と意気込んではきたものの、殿は積極的に戦に乗じるつもりがなかった様子。それを弱腰だとささやく者たちもいましたが、私にはその姿が亡き兄上と重なって見えました。戦という人の生き死にに直結する場ですら、どうにかそれを回避しようとされる」

「隆元の兄上でございますか」

「えぇ、さすがは兄上の御子。これだけ悲惨な戦であったというのに、毛利領の民はほとんど被害を被ってはいませんからね」

「…それに我らだけが弱腰だと誹られることは納得がいきません。此度の戦で終始消極的だった大名は他にも大勢おります。むしろ乗り気であった方がおかしいのです。大浦が蜂起さえしなければ、相手はただの一揆勢。武器はおそらく大浦が流していたためか随分と揃っているように見えましたが、しょせんは烏合の衆でございました。それに対して手柄を奪い合うなど」


 父上はたいして期待を寄せてはおられなかったが、私から見れば弟たちはみな優秀であった。養子とした弟の元総も同様で、客観的に全体をよく見る力がある。

 普段は自由気ままに同腹の兄たちをからかう姿がよくみられるものの、この者であれば小早川を任せることが出来ると心底思えた。


「あまり言いすぎてはいけません。曲解して幕府批判だと言い出す輩がいるかもしれません。ここから先、我々が求められていることはいかに戦乱期でなくとも使えるかということなのです。幕府の方針に従い、実現する力があるかどうか。別の方向を向いていては排斥されかねないのです」

「…決して幕府を批判する意図はございませんでした。ですが軽はずみな発言であったとも思っております。以後、気をつけさせていただきます」


 元総にはこう言ったが、幕府批判だと言われることが危ういのではない。名前こそ出さなかったが、此度の戦において殿と同様に消極的な姿勢を貫いた1つの御家と比べられることが一番よくなかった。

 その最たるものが東国の主とも言われている今川家。多数の国を治める様は毛利と同様であるが、足利将軍家の御一家である上に、現幕府を献身的に支えた大名家である。

 現公方様が一度京を離れられた際には、織田様の要請を受けて一時的にその身をかくまっていたという事情もあり、幕府の要職にはついていないもののおそらく日ノ本で今一番力が強い大名家であるとも言える。

 そんな今川家も今回の戦は乗り気でなかった。後方支援に徹しているゆえに、逃げ道が用意されているようにも見える。誰もが裏であろうとそれを非難しないのは、これだけ長期間にわたる平定戦を行うことが出来た要因の1つが今川家による後方支援のおかげだと誰もが認めているからであった。

 そんな今川家を名前こそ出していないが、遠回しに非難している。元総の発言がそのように捉えられただけで毛利の名は一気に落ちるであろう。

 今や京の公家の大半は今川家の目を気にしているような状況であるのだから。


「しかしあの者の身柄は如何されるのでございますか?鎌倉公方様は内陸部におられ、ここから津軽の港に船を泊めたとしても、移送には随分と手間がかかるように思えますが」

「我らの役目は海上封鎖のみ。陸でのことは陸を任されている者たちに任せましょう」

「…それは手柄をみすみす手放すということでございますか。ただでさえ我らは功を上げる機会が少ないというのに」

「我らがあの海域に網を張っていたのは、鎌倉公方様の相談役がそのように助言されたからです。手柄の所在は毛利ではなく、あの相談役にあるはず。横取りなど、武士としてそのような薄汚いことが出来ますか?」

「…それはそうですが」

「それに織田家の羽柴殿といえば、それほど悪い評判を聞かない人物です。その人柄で難しい地であった播磨一国を見事にまとめ上げました。彼であれば私たちの手柄も鎌倉公方様に間違いなく伝えてくれるでしょう」


 羽柴殿といえば、織田家中における対毛利の最前線を長らく担ってきた人物。決して武勇に優れたわけでも、知略に長けたわけでもない印象を持ってはいましたが、彼には人を従える、ついてこさせる天性の才があった。

 毛利としても播磨は瀬戸内を制するうえで必要な地であり、対織田を見たとき一向宗の拠点や周辺の小島などもあってどうしても手にしたい土地だった。それでも赤松家の衰退後、周辺の大国に翻弄された彼の国の領主たちを丸ごと毛利に仕えさせることは出来なかった。父上は間違いなくそれを期待されていたというのに。

 そしてやってきた羽柴秀吉という男。毛利か織田かで混迷を極める播磨を、ほとんど織田様の力を借りることなく見事に治めてみせた。

 敵対関係にさえなければ、もっと早く言葉を交わしたかったと思わせるほどの人材。一方的な私の評価であるが、おそらく羽柴殿は此度の殿の意図を察してくださるであろう。

 長らく近くから見てきた私はそう確信していた。


「それにこれは殿の御意思でもある。殿がそれでよいと言われているのですから、我らはそれに従いませんと」

「殿までもが。かしこまりました、では元興にそういった手筈でことを進めるように伝えておきます」

「はい、お願いします」


 元総は離れていき、代わりにこの船に同船していた大多和おおたわ元直もとなおが傍へと寄ってくる。


「隆景様、我らはこの後も津軽の海に戻るのでございましょうか?」

「本来であればそうすべきなのでしょうが、もう大浦領内にある港は大部分が落ちているはず。これ以上は海にいたとしても無駄でしょう。それよりも羽柴殿に代わって港の防衛を担った方がよいかもしれません。小早を殿のもとに出して、小早川に従う水軍衆が海域から離脱する旨を伝えましょう」

「かしこまりました。では全軍に対して着岸の支度をさせます」

「元直がやってくれるのであれば、私はしばらく風にあたっていますね。後のことはよろしくお願いします」

「ははっ」


 元直も離れ、私は1人になった。

 そしてようやく人目を憚らず、大きな息を吐くことが出来る。

 兄上が亡くなり、父上が亡くなり、そして元春兄上も亡くなられた。この間に殿は着々と力をつけられ、今や後見として常に傍にいる必要もなくなったと言える。

 肩の荷が下りたと思うと同時に、わずかばかりの寂しさも感じてしまう。

 だが私の役目は間違いなく終わりへと近づいているのだと思った。


「…いったい父上はここまで読めていたのであろうか」


 父上は死の間際、耳が痛くなるほどに天下を望むなといわれ続けた。もはや遺言はそれしかなかったのだと錯覚するほどに、何度も何度もそう言い聞かせて逝かれた。

 きっと父上は私たちが津軽の海上に船を出しているなど思われなかったはず。想像などしておられなかったはず。

 しかし私はこうしてこの地に立っている。毛利の年長者が誰も目にできなかった景色をみていた。

 正直もう満足である。軍略家としての最後の役目がこれであれば、私はもう思い残すことは無い。

 国に帰れば殿にお願い申し上げるとしよう。小早川の家を元総に譲り、私は第一線から退くと。それがよい。毛利のためにも、小早川のためにも。そして何よりも、私のためにも。

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