982話 経験則

 陸奥国津軽郡浪岡城 大浦為信


 1589年秋


「殿、斯波様が一揆勢とともに城に到着されました。一度ここまで駆けてきたことについて、ねぎらいの言葉をかけてもらいたいと」

「斯波だと?今さらよくぞそのようなことが言えたものだ。詮直に伝えておけ。そんなことをしている暇があるのならば、一揆勢を連れて沿岸の防衛でもやれとな」

「斯波様にそのような口をきくことは、さすがに某にはできませぬ」

「信則、おぬしはいったい誰に仕えているのだ。主は誰だ。誰の命を最上のものと考える。そのあたりがわかっているのであれば、今の命を拒絶することなどできぬであろうに」

「でっ、ですが!相手は名門斯波家の血を引く御方でございます。さすがにそのような御方を相手にそれは…」

「恐れるな。今や陸奥一揆の頭領にまで墜ちた男よ。もし大名である大浦の家臣に無礼を働こうものなら、直々に俺がそやつの首を刎ねてやる」


 そもそも奴がなぜねぎらいの言葉を欲するのか不思議でならぬ。せめてあらかじめ決めておいた働きくらいはしてもらわねば、想定よりも早く南部が戻ってきたせいで津軽全域の奪取が完全に失敗となってしまった。

 奴が伊達の小僧を足止めすると息巻いていたから、その言葉に乗ってやったというのに。


「殿、それを信則殿に命じるのは酷というもの。殿と斯波様の間を取り持っておられたのは信則殿なのですから。元の性格を考えても、そのような突き放す言動などで出来ますまい」

「ならばお前が行くのか?」

「お任せを。彼らがなんと言おうと、こちらの計画に大幅な変更が出たことは事実。そして津軽防衛を担うはずだった一揆勢の多くが先の戦で死んでしまったことも事実。いくら相手が名門の出だからといって、遠慮することはございません」

「ならば斯波詮直の対応はすべて祐光に任す。増長せぬ程度に使え」

「かしこまりました。では斯波様のもとに行ってまいります」


 祐光は信則の脇を通り抜けていき、おそらく詮直が待っているであろう広間へと向かった。

 しばらくして、詮直の怒鳴り声が聞こえてきたがすぐに静かになる。

 上手く祐光がやったのであろう。


「さて、信則」

「ははっ」

「うぬには斯波との連絡役の任から外れてもらわねばならぬ。次に儂が何を命じるかわかるか」

「南部との国境は安東様が、南から攻め寄せてきている鎌倉公方家の御方々は森岡殿が、西の沿岸部を攻めている毛利らは若様が抑えておられます。ならば私が向かうべきは北。つまり伊達らの部隊でございます」

「違うな」


 儂が首を振れば、ぎょっと驚いたような顔でこちらを凝視する。しかし残念なことにそれは違う。

 我らはたしかに津軽を守りながら耐える必要があるゆえに、各戦線の防衛を厚くする必要がある。

 しかしそれは戦線を狭めるだけで事足りるのだ。

 奴らはずっとこの津軽の地にとどまり続けることが出来ぬゆえ。

 しかし1つだけ大きな問題があった。

 それは厄介な地にある連合側の拠点。つまり儂らを裏切り、人質すらも見捨てた蠣崎の存在である。


「知っているか、信則。すでに数十度に渡る蠣崎領への侵攻が失敗しておる。儂を裏切った男の首が未だに儂のもとに届かぬのだ。これでは先に死んでいった者たちが悲しむであろう」

「…まさか殿は」

「海を渡り奴を殺せ。そして津軽の海を完全に封鎖せよ」

「できま」

「できるかどうかを聞いているのではない。やらねばならぬ。この役目、まことに信がおけるものにしか託せぬのだ。信則ならばわかるであろう?半端な者たちを送れば送るだけ、無駄に人が死んで船が壊れるだけ。これ以上は許されぬ」

「津軽の海は今や西に毛利・織田、東に今川が支配しております。この包囲を突破することなど、余力のない我らの水軍ではとてもではありませんが難しいかと」

「わかっておらぬな。何のために我らが独自にアイヌの者たちに接触したのかを。何のために蝦夷に向かう航路をいくつも切り開いたのかを」

「…まさか」

「それ以上は言うな。だが大浦の血を残す手だけはうっておかねーとならん。もしものときのために奴らのは多額の金を払って密約を取り付けておいた。それを果たしてもらうは今よ。もし儂らがこの戦に勝てば、あれを連れて戻ってくればよい。さすれば盛大に祝ってやるからな。その間のあれの指導はすべて任せる」


 正直に言えば、我らが置かれた状況は想像以上に厳しい。いくつかの良い知らせはあったが、それでも一揆勢の弱すぎた抵抗によって、全方位がほとんど同時に津軽へと攻め込んできておる。

 数の不利を補うはずが、これでは守る手がたらず瞬く間に津軽が落ちてしまいかねん。

 役に立たなかった斯波詮直を早々に沿岸防衛に向かわせたいのも、それが理由であった。労いなんぞは、生き残ったあとにいくらでもしてやる。

 だがこのままいけば、労いどころか全員が首だけになってしまう勢いだ。


「宕磨は先んじて五所川原の唐川城へと入っておる。ゆえに信則、任せたぞ」

「…」

「二度も命に背くことは許されぬ。さっさと行くがよい」


 信則も儂に良く尽くしてくれた。

 本来であれば傍に置いておきたい存在ではあるが、幼子を任せることが出来るのもこの男である。

 何度も失敗している蠣崎の攻略と言えば、家中から不満の声など出てこぬであろうし、むしろ哀れみの目を向けられるであろう。

 あとは我らが切り開いた独自の航路で、つなぎをつけたアイヌの者たちのもとに向かうことが出来れば、大浦の血を残すことが出来る。

 たとえ宕磨の兄たちがこの戦で死んだとしてもな。


「殿」

「はよう行け。時間が惜しいゆえに」

「ははっ」


 これでよかった。ようやくほかのことが気にならなくなる。

 儂も出陣するとしよう。目指すは敵総大将がいる和徳じゃ。




 津軽海峡 毛利輝元


 1589年秋


「殿、網にまたかかりました」

「そうか。しかし我らはまことにこのような役目だけでよいのだろうかな。聞けば鎌倉公方様はたいそう苦労して兵を進めておられると聞くが」

「我らは遠い地からの派遣でございますので、多くの兵を連れて来てはおりません。陸で戦ったところで、些細な戦力にしかならぬことを思えば」

「毛利の強さは海でこそ輝くと、そういうことであるか」

「その通りでございます」


 二宮の家を継いでおられる叔父の就辰なりときは、私が織田家と同盟を結んだ頃より側近として、傍によくいてくれる存在である。

 特に元春の叔父上が亡くなられてからは、よくしてくださっているのだ。

 そんな就辰と私は、津軽の海から少し西にいった場所で船を浮かべていた。というのも、津軽の海はすでに今川やら、異国の船、さらに上杉・織田といった水軍衆で埋め尽くされており、また別の命を授かった私は自らこの場所に待機しているのだ。


「しかし大浦もようやる。これ以上、蠣崎に手を出したところで船が沈むだけであるというのに」

「退路の確保かとも思いましたが、どうやら狙いは別にあるようでございます。聞けば、蠣崎の裏切りで随分と人質が死んだようでございますので」

「ふーむ。蠣崎内部の不和を煽ろうとしているのか。あまり感心できぬやり方であるが」


 それでも大浦の船はずいぶんと減ったはずである。

 遠慮なく沈めてもよいという命を受けているからであるが、それでもよくぞこれだけ用意できていたものだと、そこは感心できた。

 ただ一部の者たちが思うように、気分が昂ぶるようなものかと言われれば、そういった感情は一切芽生えてこなかった。


「大浦も馬鹿者だ。どれだけ時間を稼ごうと、このままいけばいつかは滅ぶだけである」

「そうならぬために我らは網を張っているのでございます。あの鎌倉公方様の相談役、かつては関東の主でございました。そのような者が言うたとおりに戦が進んでおります。じきにあれもあるのではありませぬか?」

「…さて。私にはわかりかねるが」

「兄上も申しておられました。あの者の言葉は決して軽んじてはならぬと」

「軽んじるつもりはない。ただそうも次々に起こることを当てられるかと、そういう話がしたかったわけで」


 しかしまことに来るのであろうか。

 大事なものを乗せた船とやらが。

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