736話 明商人の催促
室町新御所 足利義助
1584年冬
「・・・それは真であろうか?」
「真でございます。しかし我が父は一貫して商人の保護に専念しておられ、それ以上の深入りは現状されておりません」
「それは私も同様である。そして同じく明の商人の出入りがある毛利にもそのように申しつけた。あとは幕臣の1人を龍造寺にも・・・」
「その龍造寺、どうやら個人的に明国との繋がりを持っているようで。倭寇の討伐をかなり積極的に行っております。しかし我らに倭寇と商人を見分ける術など無く、多くの商人らが誤って襲われていると」
信長からの使いは倅の信忠であった。
信忠曰く、倭寇の問題が随分と深刻化しているとのこと。織田家や浅井家が領有している若狭や敦賀の港に入っている商人達は、しきりにより積極的な介入を求めているという。
このままでは無事に家族の元へと戻れないと。
「龍造寺には改めて人をやる。それで止まらぬようであれば」
「如何いたしましょうか?龍造寺は理由を色々付けて上洛を未だ果たしておりません」
「・・・織田は龍造寺の討伐に動くというか?」
「日ノ本の益を損ねる行為を見過ごすわけにはいきませぬ。明国との付き合い方は我らこそが正解であり、あのやり方はあまりにも危険であると考えております」
「毛利には伝えたのであろうか?」
「いえ。公方様のお心次第であると我が父は考えておりますが」
「が、なんである」
「龍造寺家は、我らの盟友である今川家に従属する大友家と必ず戦うことになりましょう。そうなったとき、奴らの背後に明国の影があるとどうしても戦いにくい。戦の規模も比べものにならぬほど大きくなるかと」
信忠の。いや、信長の懸念に思わず息を呑む。
明は大国である。どれだけ中央が腐ろうが、その巨大な佇まいは変わらない。現状は相手にするわけにはいかぬのだ。
「しかし倭寇の討伐にも消極的である。たかだか余所の国の事情に介入してこようか?」
「明が直々にということは無くとも、周辺諸国が動員されることもあるやもしれませぬ。そうなると、最早収拾が付かぬ事態に発展することでございましょう」
「そうか。あの者達はそれが出来るのか」
「それが出来るのです。ゆえに早々に龍造寺を抑え込まなければなりません。公方様のお力が及ぶのであればそれで良し。しかし仮に公方様の御命に従わぬとなれば、手遅れとなる前に彼の者達の暴走を止めねばなりません。武に頼る結果になったとしても」
私は側で成り行きを見守っていた藤助に目を向ける。藤助も心得たと言わんばかりに頷いてみせた。
やれるだけのことはやってくれるはずである。
「まずは私が改めて説得を試みる」
「説得、でございますか」
「龍造寺は私を将軍として見ていない。ならば威光を振りかざしても無駄であろう」
「たしかにそう、なのでございましょう」
「ゆえに説得を試みるぞ。あちらにも話の分かる者はきっといる」
「いてくれれば良いのですが」
「きっといる。何と言っても、最盛期を築く勢いであった大友家と渡り合ってきたのだ。愚かな者達だけでは到底出来ぬ芸当である」
その者の尻を叩いてやればあるいは。
藤助も同じ考えであったようで、何度も頷いていた。
「ともかく幕府としての方針は変わらぬ。信長殿にはそのように伝えてくれれば良い。毛利にも改めて人をやっておくとしよう」
「かしこまりました。それともしもの時のお覚悟をお願いいたします」
「・・・」
「父は明と戦になるようなことは無いと申しておられました。これは公方様や帝を安心させる言葉では無く、本心から出た言葉であると私が保証いたします」
「おぬしが言うのであれば信用出来るというものである。だがもし仮に、仮にその時が来たとすれば」
「その時は我らが全霊をもって日ノ本を御守いたします」
「真であるのだな?」
「誓って。ですがそれは最悪の想定でございます。そうならぬように我らは駆け回る所存でございますので」
「いや。その気持ちが分かっただけでも十分である。私も最悪の想定に進まぬように手を回すといたそう」
「ありがたきお言葉でございます」
「うむ。ところで」
「はい」
私は1つだけ気になることがあり、このまま信忠が席を立ちそうな雰囲気であったために思わず声をかけてしまった。
信忠もすでにそのつもりであったのであろう。僅かに浮きかけた腰を静かに下ろす。
「何故に此度は貞勝では無い?いつもであればこの手の話を持ってくるのは奴であったはずであろうに」
「貞勝は越前に与えられた新たな領地を見に行っております。庶兄信正とともに」
「越前?」
「北陸の平定で色々ありまして、村井の家が随分と出世いたしました。父は庶兄の働きに大層喜ばれ、平定を果たした越前に領地を与えられました。しかもその領地には三国が含まれております」
「三国と言えば」
「北陸にて敦賀にならぶ巨大な港町でございます。長らく一向宗が加賀・越前入りを果たすための玄関口として使われておりましたが、これからは本来の役目を取り戻していくことになりましょう」
「あまりにも大出世ではないか。つまり貞勝が京に戻ってくることは無いということか」
領内に巨大な港を抱えている者達は、誰もが忙しそうに政に精を出す。貞勝も私に構っている暇など無くなるのであろうな。
付き合いが長く、話しやすさもあったために残念であるとは思うが。それでも武家として大きくなることは喜ばしいことである。
ここは素直に祝いの言葉でも。
「いえ。貞勝はじきに京へと戻りましょう。公方様との関わりは随分と長く、さらには公家衆との付き合いも長い。代わりになる者が現状おりませんので、その役目は引き続き貞勝のものでございます」
「ならば越前の領地は如何する?当主不在では」
「庶兄が尾張から北陸に入りました。越前を任される勝家の補佐として、その側で力を振うことになるかと思います。またねっからの真面目人間でございますので、荒んだ民の心に寄り添うように振る舞うことも予想されます」
「ふむ。ならば私との織田家の間は」
「とくだん変化はないものと思われます。もし変更のご要望があれば、父にお伝えいたしますが」
信忠からの申し出であったが、私は首を振る。むしろ貞勝で良い。
後任の者も新たに出てくるやもしれぬが、それまでは話しやすい貞勝が良い。あの男は幕府と朝廷、そして大名家の間を取り持つのが上手いゆえ、思わず色々相談をしてしまう。
全て信長に報告はされているのであろうがな。
「左様でございますか。では今度こそこれで」
信忠は席を立って部屋から出て行った。藤助は見送りのために席を立ち、その様を廊下で見送る者もいた。
弟の義任である。
「兄上」
「もう明のことは良いぞ」
「いえ。今川家より遣いの者が寄せられました。緊急のものでございます」
「今川?範以殿が何と申してきた」
「酒田港にまで送り届けられた義昭でございますが、その後は会津へと向かったようでございます」
「会津?何故会津に」
「どうやら越後転覆に失敗した上杉憲政が潜伏していたようで、その縁を頼りに会津に向かったようで」
「・・・」
思わず言葉が出てこなかった。
またあの2人が揃うことになる。しばらく行方をくらましていると思っていたが、まさか会津にいたとは・・・。
「ですが肝心なのはここからでございます」
「何があったのだ?まさか反伊達の兵を挙げたか?」
「その反対でございます。蘆名を牛耳っていた蘆名義広派の者達が相次いで殺害されました。黒川城下には金上盛備と結城義親の首が晒されており、即刻義広派は降伏するようにと呼びかけているとか」
「蘆名は今後どうなると今川は見ておる」
「会津に二階堂家の当主が入ったとの報せを受けております。現当主である二階堂盛隆殿は、先々代の当主の養子として蘆名家へと入り嫡子としての立場を有しておったのです」
「であったな」
「範以殿の見解といたしましては、二階堂家は盛隆殿の弟に譲り、自身は蘆名へと入るのではないかとみております」
蘆名の家臣らに立場を追われ、一度廃嫡となったのが二階堂盛隆である。
その盛隆が再び蘆名に入る。当人がそれを望んだのか、それとも周囲がそう仕向けたのかは分からぬ。
だがこれが奥羽統一の足がかりになってくれれば、私としてもこれほど嬉しいことは無いのであるが。
「上手くいくであろうか?」
「すでに蘆名の四天は盛隆殿を迎え入れる支度を進めているようでございます。あとは邪魔者が無ければ万事上手くいくかと」
「その邪魔者が義昭である可能性は」
「あるかないかで言えば、おそらくありましょう。蘆名が親伊達勢力となると、相馬家が動けなくなります。さすれば伊達家を南北挟撃する狙いが外れてしまいますので」
「義昭の打つ手は大半がお粗末なものである。だが数打ってくるために、たまに致命的な一撃を貰うことがある」
「はい」
「今川家の目に頼っていては、得られる情報が随分と古いものになってしまうか」
「ならば我らも目を送り込みますか?」
思いも寄らぬ提案であった。
そもそも私が忍びを抱えたことなど無い。いったいいつの間にそのような手をまわしたというのであろうか。
思わず喰い気味な視線を向けてしまったが、わずかに身を引いた義任は申し訳なさそうに一言呟く。
「これから良い者を探します」
と。
※三淵藤助=三淵秋豪
幕臣、三淵藤英の長子。藤英の死後、今川家に匿われていた。後に義助に仕えた。
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