735話 思い出の品々

 大井川城 一色政孝


 1584年冬


 松平家の協力によって、人員確保の目途はたった。

 親吉やその代理の者達と協議を進めた結果、着工は来年の春頃より行われるとのことである。

 だがそれは港の機能部分の話だ。

 陸地側の施設や、急遽決まった宿場などはもう区画整理などに動き始めている。


「まぁあそこまで決まれば、俺の役目も無いに等しいだろう」

「結局父上の手を煩わせてしまいました」

「構わん。明らかにこちらの方が手を離せなかったはずであろう。政豊がこの地を空ける方が拙いわ」

「父上が戻られた時期と重なったことが不幸中の幸いであったと心底思います」

「俺もだ。役に立てて良かった」


 そう言いながら、部屋の荷を用意した箱に詰めていく。

 ここは大井川城の中にある俺の部屋だ。いつもは整理整頓している部屋であるのだが、今日はあり得ないほどの荷物が散乱している。

 座る場所を無理矢理確保した政豊は、俺の邪魔をしないように大人しくしているだけであった。


「しかし良いのですか?これら、全部捨ててしまって」

「あっちに持っていっても使わぬものばかりであろうからな。必要なものは改めて暮石屋に頼んで揃えるつもりであるし、使い回せるものは持っていく。しかし意外と不要なものは多い」


 すでに必要が無いであろう報告書の山は纏めて焼却処分だ。

 一応捨ててはいけないものが混ざっていないか、1枚1枚確認しているが・・・。まぁほとんど今さらあったところで意味の無い報告ばかり。

 ただ1枚の報告書を見て、思わず手が止まった。


「父上?」

「いや」

「何やら大事なものでも出てまいりましたか?」

「ただの報告だ。しかし僅かばかり、懐かしい気持ちになってな」


 そうはいいつつも、残しておいても仕方が無い。これも不要のものである。

 処分の山へとその1枚を重ねた。

 しかし政豊は興味が湧いたようで、それを手に取って中を確認する。まぁ内容自体は取り留めることも無いただの報告だ。

 俺の感情は、政豊にはわからぬであろうな。


「これは大井川の氾濫被害の報告でございますか。まだ周辺に集落が少なく、氾濫の規模の割には被害が少のうございます」

「まだ東海一向一揆前の話だからな。人の流入も無く、俺が家督を継いだ直後くらいの話であった。その頃は湯日川も無く、大雨でも降ろうものなら度々氾濫していたのだ」

「なるほど。してこの報告にいったい何が?」

「その報告書の字は氷上の先代の字だ」

「先代・・・。時真の父となりますと氷上の爺様にございますか」

「爺様?そのように呼んでいたのだな。あまり覚えていないか?直政と一緒に可愛がられていたが」

「よく覚えております。直政とともに刀を振ろうとして、よく叱られました。まだ身体が出来ていない時期に無茶をするなと」

「氷上の家を時真に譲ってからは随分と退屈していたらしいからな。孫のようにお前達を見ていたのであろう。勉学も武芸も、教える際には随分と熱が入っていたようである」

「しかしそのおかげもあってか、今あまり困ることがございません」

「たしかにそうだ。俺に似ず、武芸に明るい男に育ったようで嬉しい限りよ。まったくな」


 政豊は再び報告書へと目を落とす。

 そして改めて俺を見た。


「まことによろしいのですか?」

「時宗との思い出は生涯忘れることは無い。俺にとっても大切な人であったからな」


 だから敢えて何かを残す必要も無かろう。


「よい」

「そうでございますか」


 むしろ俺よりも名残惜しそうに政豊は処分の山へと報告書を戻した。そんな会話をしている内にも、どんどん処分の山は大きくなっていく。

 いったい整理整頓をしていたはずの部屋のどこからこれほどまでにいらぬものが出てくるのかと疑問に思うほどに。


「だが、おおかたこの類いのものの整理は済んだな。ほとんど処分であったが」

「父上がどれだけ熱心に政に入り込まれていたのか。これだけ見ても良く理解させられます」

「いや。そのほとんどは事後報告ばかりだ」


 俺が笑えば、政豊は「そうなのですか?」と首をかしげる。

 しかしよく見れば分かることである。報告書の末部分には、ほとんど全てに昌友の署名があった。

 つまり政に関する報告書は昌友の署名を受けていて、俺の元にやって来るのは事後報告ばかりなのである。元々そういう役割分担でやっていたから問題は無いのだが、当主の俺が何も知らぬところで政が進んでいるのは拙い。だから報告はちゃんと俺にあげるように指示をしていたのだ。その結果がこの山なのであろう。


「昌友は休みよりも政に没頭している方が楽しいと言うタチの人間であったからな。俺が命令せねば休むこともせぬような男であった。だからこそ信頼して任せることが出来るのだが」

「昌成もその血を引いているように思えます。それに高瀬も」

「高瀬は昌友に憧れ、その背を追っていた。血の繋がりも無いのに、性格が似ているのは仕方が無いというものだ」


 呼んでおいた勘吉と、その下に付いている者達に処分を任せる。勘吉は連れていた者達に指示を出して、1枚たりとも残らぬように部屋から持ち出していった。

 そのおかげで、足の踏み場を再び確保することに成功する。


「さてさて、次は何をするか」


 部屋を見渡す。まだまだ物はあるのだが、とりあえず必ず持っていく物だけは箱にしまっておくとしよう。

 俺は床の間に飾られた村正を手に取る。すでに俺の刀は何度か代わっているが、これだけは手放さず、処分もせず大事に残しているものだ。


「それはたしか」

「氏親公が母に託した一振りである。刃こぼれが酷く、戦に持ち出すにはあまりにも危険だと別の刀へと変えたが、これは俺にとっても思い出深い一振りだ。初陣の供でもあったからな」


 変えてからは、ずっと部屋に飾っていた。初心を忘れないように、という思いもあったのであろうな。


「そしてそちらが」

「ライフリング技術なるものを取り入れた火縄銃である。重秀殿が厚意で俺に1挺譲ってくださったのだ。帝にも献上されたほどの代物であるぞ」

「・・・」

「欲しいか?まだ弾が無く、使うことは出来ぬが」


 まぁ外見に大きな変化があるわけでは無い。筒の中の構造の話だから、一見するとただの火縄銃である。

 だがそもそもの話をすれば、普通は個人的な部屋に火縄銃なんぞ飾ったりはしないが。


「よろしいのでございますか?それは父上にとって大事なものなのでは?」

「これは雑賀衆と一色家の友好の証だ。政豊が今後も雑賀衆と懇意にするというのであれば、託しても良いと思っている」

「それはもちろんでございます。我らと雑賀衆との仲は不滅であると、私自身思っております」

「ならば託す。大事にな。手入れを怠らぬようにせよ」

「ははっ!かしこまりました。ありがたくちょうだいいたします」


 政豊に火縄銃を手渡し、俺は残るモノを見つめた。


「これは千代丸に譲り渡すべきであろうかな」


 俺の手が再び止まったことを、火縄銃を丁寧に畳の上に置いた政豊も気がついたようだ。


「ずっと気になっておりました。その軍配はいったい」

「これはこっそりと俺に託されたものであるから、知らずとも無理は無いな」


 壁に掛けられた軍配を手に取った。

 持ち手の部分には、譲り受けた当時からあった血痕がしっかりと残っている。俺のものでは無く、前の持ち主の血だ。塗るなり、剥がすなり、血痕を消す方法はいくらでもあったが、敢えて残している。


「一度だけ聞いたことがあったような気がします」

「そうであったな。たしかあれは陸奥でのことであっただろうか」

「はい。伊達様の血縁にあたる石川家を救うために出陣した際のことであったと思います。あの時はよいようにはぐらかされてしまったと記憶しておりますが」

「別に言ってもよかったとは思うが。それでも前の持ち主と今川との関係はあまり良くなかった。口に出さずとも良いと思ったのだ」

「今であれば教えていただけるのでございますか?」

「構わぬ。もう問題も無いであろうでな」


 内緒の話だと思ったのであろう政豊は、ズイと身体をこちらへと寄せようとした。だが足下は荷が散らかっており、それも限界がある。

 手の平を向けて制止し、元の位置に戻るようにと伝えた。

 政豊は良いのだろうかと疑問顔であったが、もうあの出来事は時効を迎えたはず。普通に話しても何も問題は無い。


「これは甲斐の虎、武田信玄公の遺品である」

「たっ、武田信玄公!?」

「あぁ。義元公亡き今川家を裏切り、東海進出を企てた最悪の同盟相手の遺品よ」

「・・・仮にも菊様を室として迎えている身。そのような言葉は」

「菊の輿入れは臣従の証であった。俺が選ばれたのは、きっと信玄公の考えが含まれていたのだと思う」

「その頃、すでに信玄公に認知されていたと言うことでございますか?」

「当時、使者として今川館にやって来たのは竜芳殿であった。竜芳殿はこの話になったとき、俺に嫁ぐという結論に至るよう明らかな誘導をしていた」

「最初から武田にその思惑があったと」

「あぁ。俺も高瀬を妻とするかどうかでだいぶ揉めた身であったからな。菊の輿入れもあまり積極的なものでは無かった。だが断れるような状況でも無かった」

「・・・では菊様を迎え入れたのは渋々であったのですか?」


 これ以上踏み込んでよいのか。政豊は迷いながらも、俺に問い続けるようであった。


「歳が随分と離れていたからな。妻としての役割を求めてはいなかったことは確かだ」

「そう、なのですね」

「そういった縁で武田家との繋がりを得た俺であったが、その後とうの信玄公は京へと向かわれたのだ。そして将軍家の争いごとに巻き込まれ、前の関白である近衛前久様と協力関係になった」

「次々と大物が出て参りますな。その前の関白である近衛様とも父上は親交がありますし」

「この軍配は近衛様が将軍家争いに積極介入した結果、九条様に敗れて京を離れた際に持ち出されたものである。近衛様は信玄公が亡くなる直前に俺へと託すと言われたと俺に伝えてくださった」


 戦に出る時は必ずともにしていた。

 俺に信玄公のような戦は出来ないが、どこか御守代わりにしていたのだと思う。その役目も、俺の隠居に合わせて無くなってしまったわけであるが。


「これは千代丸が元服した際に託そうと思う」

「それが良いかと」

「よい爺であったと教えてやらねばならぬな」

「知らぬ方が良いこともありますので」

「そういうことだ」


 その後も部屋の整理は進む。

 途中で政豊は政務に戻ったが、俺は1人で部屋の片付けをしていた。じきに移ることになるであろう、小山の屋敷に持っていくものを選別するために。

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