731話 一色港のキャパ

 大井川城 一色政孝


 1584年秋


 当時四挺しか生産されていなかったライフリング技術搭載火縄銃に乗っている埃を落としながら、外の景色をボーッと眺めていた。

 少しばかり布に汚れが付いているところを見ると、どれだけ長い間城を空けていたのかと思い知らされる。基本、部屋は定期的に自分で掃除していたから、これほどまでに汚れている物たちを見るのは随分と久しぶりのような気もした。


「ところで最近、煙管を使っていないようであるな?」

「のんびりする時間が減ったからな。こっちに来てからはずっとバタバタだ」


 慶次は部屋の外で、話題の煙管を大事そうに拭っていた。

 イメージ通り、紅色の持ち手で派手そのものだ。落ちていても、すぐさま持ち主が慶次だと推測できるほどに。


「それは悪いことをした。しかし今であれば吸えようぞ。おそらく来年の春頃まではのんびり出来るであろうからな」

「たしかにそれはそうだ。だがどうやらこの城の子供らに好かれてしまったようでな。御方様や大方様に火の扱いには気をつけるよう、何度も釘を刺されている。そうなると吸わない方が賢かろう。何かあった時、言い訳がきかぬでな」


 わざとらしく大きなため息を吐く慶次。だが久や母の言いつけを守っているのは意外だった。

 いや、子供らを気にしていることが意外だったというべきか。だが子供に好かれるというのはなんとなく分かる。キャラとして随分と立っているからな。

 しかし天下のかぶき者の弱点がまさか子供であったとは。

 そんなことを思っていた時、少し遠くの方からトン、トンと杖の音が聞こえ始めた。その音はだんだんとこちらに近づいているようで、誰かが俺を訪ねてきたのだとすぐに分かる。


「誰だ?」

「あれは彦五郎殿だな。一緒に親元殿もいる」

「彦五郎と親元か。そのまま部屋に通してくれ」

「わかった」


 手入れをしていた煙管をしまった慶次は、背筋を伸ばしてそれらしく待機する。すぐに彦五郎らと言葉を交わし、2人は部屋へと通された。


「ご隠居様、突然申し訳ありません」

「失礼いたします」

「いや、気にする必要は無い。むしろ退屈していたところだ。来客はいつでも歓迎するぞ」


 彦五郎は親元に支えられるように、腰を下ろす。杖もしっかりと自身の側に置いて。


「しかし腰は結局良くならなかったな」

「打ち所が悪かったようでございます。ですがコレさえあれば、まだまだ歩き回ることが出来ます。まだ生きていて良いという仏様の思し召しやもしれませぬな」


 数年前に船から落下した彦五郎。一時はどうなることかと思ったが、どうにか出歩くほどに回復はした。しかし肝心の腰は良くなることはなく、力がうまく入らないとのことであった。

 杖があって歩くことは出来るが、腰を下ろす・伸ばすなどの動きが大変だということであるらしい。だから杖にかかる負担も尋常ではない。

 商人らを頼り、頑丈な木で身体にぴったりな杖を特注で作って貰って、ようやく好きに動き回れるようになったようだ。だが家の者達はみな心配しているという。

 特に彦五郎の妻、徳などは気が気ではないだろう。

 港に行く時は、必ず側に付いているとのことであったしな。家でも一切目を離してもらえないとのことだ。


「して此度は何用で参った?ただ雑談がしたかったというわけでは無いのであろう?」

「そうでございました!親元殿」

「うむ。実は一色村にて問題が発生したようでございまして」

「・・・」


 無意識であったのだが、2人の顔が強ばったような気がした。

 眉間に皺が寄ってしまったのであろうな。だがそのような顔をしたくなるのも当然というものである。

 俺はもう当主では無いのだ。

 その手の話は政豊に持っていくべきである。そのことをこの2人が分からぬはずも無いと思ったが・・・。


「ご安心くだされ。すでに殿にはお伝えしております。その上でご隠居様にお伝えしに参ったのです」

「それを先に言ってくれ。政豊のことを頼りないと周囲の者達が思っているのかと警戒してしまったではないか」

「申し訳ありませぬ。少し気が急いてしまいました」

「まぁ政豊に話を通しているのであれば良いのだ。して一色村が如何した」

「はい。実は一色村代官補佐より人がありまして」

「代官補佐?今はたしか・・・」


 最近は人事関連にノータッチだった。今の一色村の代官補佐は誰であったか・・・。


「我が孫にございます」

「孫?彦五郎の孫と言えば、あの騒動を境に一色家に出仕することになった彦左ひこざであったか?」

「その通りでございます。あの者は現在、殿の御命によって一色村の代官補佐についております。孫曰く、一色村の発展が凄まじく、かつて親元殿らによって拡張された港も現状の船を捌くには限界を迎えているとのこと」

「それほどまでに船が入っているのか?」

「最近は南蛮船も多く入っているようでございます。元々商船を受け入れるつもりで港を拡張しましたので、人や物は周辺にある港よりも多く集まっております。それが目当てでございましょう」


 親元の補足を受けて、そういうことかと納得する。

 しかしそれでも、俺の記憶が正しければ一色村の港も随分と規模の大きなものであったはず。だからあちらを人の出入りが激しくなると予想された商い特化の港町に指定したのだ。

 だがそのキャパを越えるとなると・・・。


「して、俺に何をさせようというのだ」

「殿は現在、領内で発生したいくつかの問題で大井川領を離れることが出来ませぬ。そこで殿に代わって、ご隠居様に一色港拡張の指揮を執っていただきたいと思いまして」

「それは政豊が言ったのだな?」

「はい。お忙しそうでしたので、その旨はお願いに参った我らからご隠居様にお伝えすると言いました」

「それで今に至るわけか」

「はい。ご隠居様も京からお戻りになられてからは退屈されていると思いましたので」


 親元は俺と同じ側だ。

 隠居後の時間を持て余している。

 一方で彦五郎は腰が悪くなってからも元気であった。先ほども言うたように、杖を持ち、妻の徳とともに港に顔を出している。

 物事に顔を突っ込むわけでは無く、ただ港を眺めているようだ。それだけで1日が過ぎていくらしい。

 彦五郎は俺に仕え、港周辺を任せてから今まで一切変わることが無かった。そして今後もそうなのであろう。

 もう身体が動かなくなるまで、港や水軍に生を費やし続けるのであろうな。


「まぁそれは事実であるがな」

「如何でございましょうか?もし他に用があるようでしたら、我らだけで向かうことも出来るのですが」


 聞き方が狡い。そのような聞かれ方をして、断れるはずが無い。


「わかった。ならばここは政豊の顔を立てて、俺自ら向かうとしよう。していつ行く?」

「出来れば早めに。限界はまことに近いようですので」


 限界は近い、な。

 果たしてそれはどこに向けての言葉であるのだろうか。いや、普通に考えれば港の話なのであろうが・・・。

 親元の隣を見ると、いい歳した爺が目をキラキラ輝かせて何かに想いを馳せている様が映る。

 限界なのは隠居後、何も口を出せずにただ見ているだけの生活を送っている彦五郎なような気もする。親元の真意はわからぬままであったが、何となくそういう意味でいったような気がしてならなかった。


「わかった。すぐに支度をする。しかし親元」

「はい」

「俺の屋敷はどうなる?図案の作成をしておいて、あとは丸投げなのか?」

「あれはご隠居様に頼み込まれたために書いたものでございます。実際に屋敷を建てるとなると、それは専門外ですので」

「いても無駄だと?」

「あとのことは他の者達に託しました。一色村の拡張や、大井川や湯日川の治水に携わった者達ですので、安心して任せることが出来ます」

「まぁそれならば良い。実績ある者たちのようだからな」

「はい。ご安心くだされ」


 しかし一色村か。

 京へ向かう道中、船の上から遠目に見ることは何度かあったが、実際に一色村に入るのは随分と久しいことである。

 最後に彼の地に赴いた記憶もあやふやであるからな。キャパオーバーになるほど発展した彼の地の姿、早く見たいという気持ちもあった。

 そういう意味で言えば、彦五郎の気持ちも理解できるというものである。

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