496話 待ち伏せ

 三河国碧海郡 一色政孝


 1578年夏


 関東方面の方々が安房へと兵を出されているであろう頃、俺は三河にいた。正確には三河を抜けて尾張、そして美濃を目指している最中である。

 一色港付近にまでは海路で来たのだが、途中で海賊に遭遇した上に思わぬ一発を喰らってしまい、急遽陸路への変更となった次第である。


「じきに三河を抜けましょう。ですがその前に刈谷城にて一泊させていただく予定となっております」

「刈谷城となると水野家の城であったな」

「はい。水野家の当主である信元様自ら出迎えていただけるとのことにございます」


 馬を横につけて話をしているのは、景里の長子である景規かげのりである。まだまだ若いが、火縄銃隊を率いる景里の英才教育の甲斐あって、すでに火縄銃の腕前は家中でも上位に入るほどであると景里自身が自慢げに語っていた。

 その言葉を信じて、此度は護衛として同行させている。

 もちろん背には得意の火縄銃を担いでいた。当然だが馬から下りて使うためのものである。

 まだ馬上筒は開発段階とのことであり、改良の余地しか無いあれはまだまだ実戦投入などほど遠い代物とのこと。


「そうか。ならば急いで向かわねばならぬな」

「そうでございますね。いくらこの時期であるとはいえ、日が沈めば周りが見えぬほど暗くなってしまいますので」

「尤もだ。もっともであるのだが暑くて敵わんな。どこかで一度休憩を挟みたいところであるが・・・」


 すでに日は昇りきっている。尾張までは船で移動するつもりで出発したため、この想定外の事態にどこか気分が参ってしまっていた。

 休むことが出来る場所があればありがたいのだが。

 そんな思いをついつい溢してしまう。それほどまでに今年は暑くなるのが早すぎた。

 季節的に夏になったとはいえ、まだ時期的には梅雨すらも迎えていない。だが気温はこちらの思いに反して日に日に上がっていく。

 いっそのこと会談が秋であれば良かったのに、そう思わずにはいられないほどに暑かった。


「殿、先ほど栄衆より報せがありました」


 直政が後方より慌てた様子で近づいてきた。側にいるのは栄衆の忍びであろうな。


「栄衆から?となると毛利で動きがあったか?」

「毛利絡みであることは確かにございますが・・・」


 ここで周囲に目を向ける。あまり多くの者に聞かせるわけにはいかないか。

 選りすぐりの護衛であるとはいえ、一応念には念を入れて。そういう意図があってのことであろう。

 景規も意図を理解したようで、側から離れようとする。

 だが流石に護衛が1人もしないという状況はよろしくない。何のための護衛であるのかという話になる。


「景規、お前はそのままで」

「よろしいのですか?」

「誰にも直政の話を漏らさぬであろう。それに護衛が易々と俺から離れてはならぬ」

「迂闊にございました。そのお言葉、肝に銘じます」


 景規を乗せた馬は再び俺の側を歩く。

 直政もそれを確認し、周囲に聞き耳を立てている者がいないことを改めて確認した上で、その栄衆からの報せを話し始める。


「毛利家が上洛をする上で最も脅威となっていた大友にございますが、前の戦では大友領に攻め寄せた龍造寺と島津の大軍を押し返しております。何度かの小競り合いの後、両者は兵を退いたようにございますが、ここで新たな問題が発生したとのこと」

「問題?」

「肥前の大名である有馬の扱いを巡り、龍造寺と島津で衝突が起きております。有馬は元々大友に属しておりましたが、明らかに不利な情勢を鑑みて大友の元から離れたようで。これを好機とみた龍造寺は肥前統一のために有馬に対して臣従を迫りましたが、有馬はそれを拒否して島津へと助けを求めたとのこと」


 史実通りであるならば、今の有馬家の当主は有馬氏の中では一番有名な晴信であるはず。

 なかなかの蝙蝠外交で戦国の世を生き抜いた人物であると記憶しているが、この世界線では少々早まったようだ。

 そもそも対大友でたまたま共闘した形となった龍造寺と島津であるが、別にそもそも仲が良かったというわけでは無い。

 九州における実力者の1人を、二方面から攻められるという餌に食いついただけであるのだから、九州統一を目指して戦う両者はいずれ衝突する運命にあったのだ。

 それに対して、大友は生き延びた。今であればまだ大友に属していた方がマシであったであろうに。


「対大友という形で手を取り合った両者の仲は再び険悪なものへと変わりつつあります。大友はこれを好機として、土佐の長宗我部様と頻繁に人を送りあっているとか」

「こうなると毛利の次なる一手が気になるところだな。探れるか?」


 俺と直政の視線が、側に控えていた忍びへと向く。その者は静かに頷いてみせた。


「ならば良し。決して無理だけはせぬようにな」

「御意」


 忍び1人が姿を消し、それを確認した者達が再び俺の側に護衛として戻ってくる。直政も今度は側に控えていた。


「しかし岐阜城にございますか」

「此度の会談の場所であるが、景規は美濃にいくこと自体が初めてか?」

「初めてにございます。私は遠江と信濃を往復するだけにございましたので」

「それは勿体ないことだ。いずれは京や堺も見ておかねばな」


 ちなみに直政は前回の四家会談に同行している。美濃も岐阜城も今回が二度目だ。


「楽しみにしております。大井川城に戻れば戦以外の経験も積むことが出来ると父上や重治殿に助言頂きましたので」

「ならば楽しみにしておけ。しばらくは直政とともに常に連れ回すことになるであろうからな」

「はっ」


 楽しみな感情が溢れていた。隠しきれぬほどの笑みである。

 一方で直政の表情はそれほど明るくは無い。


「しかし四家会談はこの時期でちょうど良かったと言われておりましたが、実際はそうでも無いというところが少々気になります」

「浅井のことを言っているのであれば、なんせ直前の報せであったから仕方あるまい」

「先日、朝比奈様が申されておりましたあの一件。殿も十分に注意していただきたく」


 実は大井川城を出立する前、氏真様の文を携えた信良殿が城に参られた。

 内容は浅井からの報せを纏めたものであり、此度の会談でそのことにも触れるようにとのご指示だ。

 果たして浅井で何が起きたのか。

 実は加賀にて一向宗の動きが再び活発化しているのだそうだ。もはや看過できぬほどの事態にまで発展しているらしい。彼の地は浅井の領地とされているため、長政自らが兵を率いて越前北部の城に入っているのだというが、その支援を今川や上杉からもしてはどうか、そういう提案である。

 何故その提案に織田が入っていないのかは簡単な話だ。織田・浅井両家は先んじて婚姻同盟を締結しているため、既に何かしらの支援はされていると考えているからである。


「能登畠山家や越中の織田家からも圧を加えているようであるが、果たしてどこにそのような力を隠していたのやら」

「能登平定時に主だった一向宗の指導者らは捕らえるか、もしくは領外へと落ち延びたと思っておりましたが・・・」

「今我らがいる三河も、未だ一向宗の影響が残る国の1つにございます」

「分かっている。十分に気をつけよう」


 直政からの忠告に耳を傾けつつ、目前に迫る水野領に目を向ける。

 猿渡川の向こう側にある関所を抜ければ、そこはもう水野領である。どうにか日が落ち始める前に城に入ることが出来そうか。

 言われた側から油断した途端のことだ。


「敵襲!敵襲!!」


 列の前方より誰かがそのように叫び声を上げている。

 瞬間に辺りは緊張状態に陥り、景規や直政も馬を降りて刀に手をかけた。


「殿!待ち伏せされておりました!」


 前方より血相を変えた護衛の一人が俺達の前に膝を突く。


「・・・誰か分かるか?」


 今の今までその話をしていたところだ。

 嫌でも最悪の予感が頭をよぎる。


「一向宗の門徒であるかと。集団の中に僧兵の姿を確認しておりますので」

「数は」

「列を遮った者達は少数にございます。ですがそれが全てであるとは」

「わかった。直ちに迎撃の構えをとれ」

「はっ!」


 しかし残念ながら、俺達は鎧姿では無い。本当に最低限戦えるだけの格好であった。

 まさか三河領内でそんなあからさまに襲撃をされるとは思いもしなかったからだ。しかも目の敵にしている一向宗からなど。


「こちらの数はそれほど多くはありません。一度松平様の領内に退きましょう」

「私も景規殿の考えに賛同いたします。ここから一番近いのは福釜城であるかと」


 2人はいたって冷静であった。さすがに何度も戦場に立っているだけはある。

 そして俺もどこか冷静に物事を見ることが出来ていた。

 確かに装備面で言えば劣勢であると言わざるを得ない。だがここは一向宗に随分と厳しい目を向けていた松平の領内である。

 助力を請えば、きっと兵を出してくれるはず。そうで無くても匿ってはくれるであろう。


「俺のために命を捨てることは許さぬと命を下せ。互いに守りあいながら、福釜城まで後退する」

「かしこまりました!」


 直政がすぐさま人を用意した。

 一度馬から下りていた俺であったが、後退すると決まれば再び馬に乗り直す。

 景規もしっかりと俺に付き従い、万が一に備えた。


 ドドーン!!


 前方より火縄銃の音が響き渡る。

 おそらく景里に預けていた火縄銃隊が威嚇のために撃ち込んだもののはず。これで奴らの足が止まれば、一気に容易な撤退へと変わるはずだ。

 なんせ三河の一向宗は、かつてこの地で起きたあまりにも悲惨すぎる戦を経験している。

 一色による火縄銃の運用の歴史のまさに始まりであり、最初の得物となったのが一向宗だ。

 あの音でその恐怖心が呼び起こされれば、きっと・・・。


 ドドォン!!


 再び銃声が聞こえた。

 明らかに自分たちがいる場所より後方から。

 直後、これまでの人生で感じたことの無い衝撃が自身の胸辺りを襲う。視界がグラッと傾き、福釜城を見ていたはずの景色は真っ青な空へと切り替わった。

 視界の片隅には、何やら慌てた様子の直政の顔が見える。そして誰かの叫び声も・・・。

 今の、声は、はたし・・・。

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