暗雲立ちこめる
495話 暗雲
大井川城 一色政孝
1578年春
昌成と高瀬の婚儀は井伊の血を引く高瀬の出自を理由に、やはりあまり盛大にすることは出来なかった。
最低限のことを済まし、あとは元々付き合いのある者達だけが個人的に祝うためにやってくる。そんな感じになった。
文字にしてみれば、本当にひっそりとしたものという感じに見えるだろう。
だが実際はそんなものでは無かった。来客だけでいえば、久が輿入れしてきた時をゆうに越えていると思われる。さすがに菊の時ほどでは無かったが。
その理由は単純なもので、日ノ本各地でアイドル的存在だった高瀬の婚儀を祝う商人が異常に多かったからであった。
中には涙を流しながら祝っていた者までいた始末。その感情がどちらなのかは本人のみぞ知る、そんな感じであった。だがさすがにその異様な光景には昌成もドン引きであったが。俺も遠くから引いて見ていた。
その祝いの遣いの中には雑賀衆や堺・大湊の商人も含まれており、その人気っぷりを再確認したものである。
まぁ婚儀の通常の形を取らなかっただけで、賑やかな場を設けられて結果オーライと言えるであろう。そう信じている。
昌成も高瀬に負けられぬと奮起してくれるであろうしな。
「随分と領内が賑わっているようで羨ましい限りだな」
「そうなのです。各地から商人が集まっておりまして」
「それはよいことだ。是非ともこの賑わいが大井川領だけで収まらず、周辺領地にまで広がることを願っている」
目の前には珍しい御方が来られていた。
それは泰朝殿である。数日前までは留守役として今川館に滞在しておられたと思っていたのだが、どうやら一時的に掛川城に戻るその道中であったらしい。
しかも重要な用件を携えて。
「さっそくなのだが四家による会談の日取りが決まった」
「ついに、でございますか」
「うむ、時期は6月の中頃。殿はあまり商圏設立に関しては急がないように、と申されておった。此度の会談で重要なのは、対毛利と義昭様主導で築き上げられた包囲網の対策に関してである、と」
「やはり本題はそちらで」
「これだけ各大名家で火種を抱えている状況で商圏設立などといった大きな政策を実施することは難しいであろうとお考えである。私もそれに同感だ」
「私も同じ考えにございます」
「であるから、そちらに時間をかけることも重要であるが、それよりも必要なのは各大名家の連携。どうやってこの危機を乗り切るかが重要よ」
「特に織田様の事にございますか」
「その通り。そして今回は見送られたが、いずれは長宗我部様もこれに含まれることになるであろう。さらに繋がりが深まれば豊後の大友様も加わるやもしれん」
織田・長宗我部・大友は独自の協力関係を築いている。毛利を包囲するように築いた協力関係であるが、依然大友は危険な状況におかれているわけだ。
その打開のため、話の通じる大友と早期の同盟締結が求められる。九州では厄介な勢力が日に日に大きくなっているからな。それも毛利の仲介の元で。
「随分と大きな話になりつつあるようで」
「経済圏の成立に関しては公方様も同意されている。またその有用性を帝にご理解いただければ、帝公認の一手として展開されることにもなるであろう。そうともなれば、政孝殿の目指すものがより一層近づくはず」
「そのように言われると、やはり気が逸ってしまいます。焦るなと言われていても」
「それは追々、ということでよろしく頼もう。主要四家は決して崩れてはならぬ。まずは外敵を大人しくせねば、そういうことよ」
さすがに理解はしている。
優先事項は対毛利・義昭に関する相談。
こちらも佐竹と対しているわけだが、現在は伊豆や相模の方々で里見の統一戦に手をつけておられる頃だ。
次の戦では総力戦で臨むことも出来るだろう。だからこそこの会談を成功させなければならない。絶対に負けない態勢を整えなければ・・・。
「それと織田様のことであるが、どうにも雲行きが怪しい」
「どちらのことにございましょうか?」
「畿内、というよりも、やはり本願寺。三河・伊勢・近江・越前・加賀・越中では、その石山の影響もあってか一向宗の活動が相当に活発なものとなっている。指導者らは徹底的に排除したと思っておったが、まだ随分と隠れていたようだ」
「三河も、にございますか?随分と氏長殿や信康が力を入れて弾圧したと思っておりましたが・・・」
「息を潜めていたのだ。特に三河では派手に親本願寺派の者達を弾圧したからな。さすがに状況があまりに悪いと理解したのであろう」
「また警戒する必要があるということにございますか」
「面倒な事にな」
俺と泰朝殿のため息はほとんど同時であった。一向宗との因縁はなかなか断ち切れない。
それこそ史実、江戸時代のキリスト教弾圧をあれだけ過激にやったにもかかわらず、結局隠れキリシタンが存在していたことを思えば、やはり宗教に関して完全なる弾圧など不可能なのであろう。
勘違いされたくないのは信仰の自由は俺としても認めている。ただ問題なのが、過激な連中が絶えず側に残り続けているということだ。
大人しく、その寺としての本分を果たしてくれれば本願寺だろうが、延暦寺だろうが関係なく平和な関係を築けるというのに。
「本願寺、延暦寺といった仏閣勢力は、この期に及んでもまだ織田様を畿内から追い出そうと画策していると聞いている。奴らは手強い。一気に各地で蜂起されれば、流石の織田様でも厳しかろう。その辺りの相談もして貰いたい」
「かしこまりました。その辺りの対策は、四家全てに必要な議題にございます。しっかりと確認をした上で、対処いたしましょう」
「よろしく頼む。これは非常に重要な事態である」
「お任せください」
泰朝殿はその後、少しの雑談をしたのち掛川城へと帰って行かれた。
残った俺は、先日江戸城に滞在している家康から届けられた文に手を伸ばす。
「佐竹との決戦、思ったよりも近くになりそうだな」
内容は佐竹の不穏な動きに関して。しきりに兵糧を下総との前線に運び込んでいるという。
だがそれに合わせて兵が移動している様子は無い。つまり停戦令の違反では無いということ。だが間違いなく戦支度に見える。
「おそらく次の戦は下総に兵を出すことになりましょう」
廊下から顔を覗かせていたのは、長らく高遠城に入れていた平沼景里であった。信濃方面の火縄銃隊を率いていた景里であったが、佐竹との決戦を目前にこちらに呼び戻した形である。
「随分と越後でも活躍したようであるな」
「あれは活躍に入りません。我らは逃げ惑う敵兵を一方的に討ち滅ぼしただけにございます。むしろ活躍したのは頼安殿と、その子の
信濃に滞在している間に頼安の子は元服していた。父子揃って前線で活躍しているようで何より。
きっと義定や重治も心強く思っているはず。
しかし今の景里の物言いはどこか羨ましげであった。そんな感情がたぶんに込められているように思える。
「ならばそろそろ手柄が欲しい頃合いか?」
「その通りにございます。むしろ抵抗なき者らに対して発砲することは、あまりこちらも気分がよいものではありませんでした」
「であろうな」
「はい。やはり明らかに強力な武器を手にしているからこそ、それなりに矜持を持っておりませんと。強さを驕れば、いずれは足下をすくわれかねません。そう言い聞かせて我らは戦っております」
その目には強い覚悟が見えた。
矜持、言うなればプライドだ。あまりに強い武器を専門に扱うからこそ感じる”ソレ”があるということか。
「存分に暴れてくれ。次に相対する者達は、死を覚悟して突撃してくるであろうからな」
「かしこまりました。必ずやご期待にお応えいたします」
会談は本願寺や佐竹との和睦期間中に行われる手はずになっている。佐竹が決戦の支度を早々に始めていることを思えば、やはり会談の重要性がどれほどのものかが分かるというものだ。
改めて感じる。必ず成功させなければ、と。
???国???城 ????
1578年春
「まことに上手くいくのでございましょうか?」
顔が引き攣るその男は、顔どころか声までもが震えていた。
ここまできて何と弱気なことなのか。実行の日はもう目前なのである。そう叱責しかけたが、ここでこの者らの士気を落とすことは非常に拙い。それは直接、策の失敗に繋がるであろう。
故にここは寛大な心で許す。
「上手くいく。奴らの目は北に向ききっているのだ。こちらのことなど目に映ってもいないであろう」
「ならば良いのですが・・・。ですが南にはまだ」
「あまり弱気になるでない。俺の指示通りに動けば間違いなど決して起こらん。そんなことよりも貴様らがこの地が奴らに奪われて如何ほどが経った?随分と苦しい生活を強いられてきたのは誰が原因である?全てはあの裏切り者が悪いのだ。そうであろう?」
俺の言葉に、だんだんと目の前の男は目の色を変え始める。怒りで身体が小刻みに震え始める。小さな声ではあるが、漏れ出る恨み節がその者の忘れかけていた怒りを思い出させる。
最初からこうであれば楽なのだがな。
いや、こうして闘志をみなぎらせるのだから、最早何でも良いか。その恨みを奴らに存分にぶつけてくれさえすれば俺はそれで満足だ。
さすれば俺の野望が叶う。
この地で大名となるのはもう目前の話である。
「さぁ、国盗りを始めるとしようか。我が配下は際限なく生み出される一向宗である。どうする、織田信長?いや、我が主の仇敵、浅井長政よ」
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